石橋を叩いても渡らないかも?: 日記

2007年01月20日

なぜ書き続けるのか

個人的な日記ブログでスタートしたのに、いつのまにか政治ブログもどきになってしまいました。

政治ブログもどきと書いたのは、わたしのコンセプトは決して大仰な主義主張を訴えるのが目的では無く、マイブログのサブタイトルに掲げているとおり、「裸の王様」が家臣や民衆に見えもしない (まといもしない)晴れ着を褒めそやされ、それを眺めていた子どもたちが「王様は裸だ!」と叫ぶ。そのまっすぐな視線を貴方自身、失いかけていませんかという問いかけのブログとして書き始めたのです。

見えていることを「見える」。感じていることを「感じる」。
このあたりまえといえばあたりまえのことが、なぜか人は大人になっていくと口に出せない。いや、口に出せないのではなく、ほんとうに見えなくなっていたり、感じなくなっていたりするのです。

おかしいと思えば相手が与党だろうと野党だろうとに関係なく書きたいのです。疑問をぶつけたいのです。だから確固とした主義主張のあるブロガーのみなさんからみれば、立ち位置の定まらない野郎だと思いでしょうが、わたしからみれば身内だから、支持しているからとかということで口をつぐんでしまうことは決してあってはならないと思うのです。

そうでないと人を批判する記事を書く資格はないと思います。そうでないと結果的には、自分自身へのお返しとなって批判される側となんら変わらないことになってしまいます。たまたま書いた記事がどちらかに寄っているように見えてもわたしの場合、それは寄っているというよりは素直に感じたままを優先させたに過ぎません。

だから人にレッテル張りをすることも、されることも嫌です。良いと思う意見はどなたの意見でも受け入れ、間違っていると思えば批判もします。

以前から思っていたことなのですが、日本人の成熟度がいまでも低いと思われることの一つに自分の視点に基づいた自己主張がないことです。わがままとは違います。例え、自己主張だと本人が思っていても単なる他人の意見の借り物だったり、同じ色合いもの同士の横並びの姿勢をみていると、つくづく日本人だなと思うのです。

でも、この記事を読まれる方を想像し、言葉を選びながら書いているいまの自分に、わたし自身脱しきれないものを感じていることも事実です。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 23:07 | Comment(1) | TrackBack(4) | 日記

2007年01月16日

つかのまの帰宅

いや〜。仕事が忙しくてブログから遠ざかっています。
たまに家に帰って(?)ひとさまの記事をチェックするんだけれど、それもほとんど斜め読み。

いま、社内もちょっとした内紛(小嵐)でゴタついているので、けさは社長と個人的に話し合い。
わたしはほかの社員と出勤時間も違うし、利害も絡んでいないので双方から意見を求められるのだけれど、ハッキリいって困っている。

逃げになってしまうけれど社長にアドバイスしたのは、明確な指針を打ち出したほうが良いと言うこと。それから、トコトン話し合う必要があるということを伝えた。

世の中、政治の世界も、経済社会も対立するモノ同士の疑心暗鬼が、よけいに解決の手だてなるはずの道をを迷路化してしまう。

とにかく、話し合いしかない。
わたしはみんな好きだし、きのうまで仲良くやってきたのだからなんとか元に戻らないかと思うのだが。

きょうはまったくの日記になってしまいました。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:43 | Comment(0) | TrackBack(2) | 日記

2007年01月12日

不眠不休?のわたし

マイカーが壊れたままだから出勤できない(いつもの言い訳?)。
でも、買い換えるお金もない。そこで自分で直すことにした。
言っておきますけど、こう見えても車つつかせたら整備士並み(自画自賛)。

でも好きでやるわけではない。ただ貧乏なだけ。
やる気満々なのだけど悲しいかな、そこは素人。
バラしてみれば次から次へと修理箇所が増えて終わりそうにない。
いつまでも休んでいる訳にもいかず、きのうはタクシーで出勤(金も無いのに)。

たまりにたまった仕事かたづけるためにきょうの昼過ぎまでかかった。
午後二時過ぎにようやく自宅に帰ったが、隣のニイチャンがめずらしく玄関先で声をかけてきたので立ち話。きのう奥さんと離婚したのだという。
なんか誰かに聞いて貰いたい、そうでなければ辛くてたまらない、っと言う雰囲気なので、ついつい話し相手になっていたら、ドンドン時間が経っていく。
おいおい!、おれはきのうから一睡もしていないのだ勘弁してくれよ。
小一時間つきあって、ようやく話が途切れたから、ほうほうのていで自宅に入った。
帰ってからも何やかや、やらなきゃいけないこと部屋で片付けていたら、疲れからいつのまにかそのままうたた寝。

おかげできょうも、また遅刻(いつもの言い訳?)。
でも、きょうは会社から借りてきた車で出勤なのでラクチンなので〜すう。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:43 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2007年01月11日

A quiet diary

けさ、ちょっとした調べモノのため、検索サイトでキーワードを入れて検索をした。

調べたい業種のホームページにたどり着きたかった、と いうよりは、ちゃんとたどり着けたのだけれど目的の項目が見つからなくて、しかたがなく同じキーワードのほかのサイトをパラパラと (実際はネットだからパラパラじゃなくて、クリックなのだけど) めくっていたら、偶然あるブログにたどり着いた。

それは日々の出来事や気にとめたことなどを書きつづっているだけなのだけれど、いつもそこで終わっている。プロフィールも見てみたけれど、中年の人でごく普通のかたみたいだ。でも、過去ログまでさかのぼって全部に目を通してみても、一行としてご本人の感想 (意見)が書かれていない。

何だかキツネにつままれたみたいな気がしたが、よく見ると、そんな記事でもコメントが来ている。それもどこかのブログへ訪れたお礼のコメントだ。彼のブログは決して自分の意見を書かないのに、どこかへ出かけていっては、ちゃんと何か言っているらしい。

こんな、もの静かなブログもあるんだ。そのかたが関心をもたれて、書かれた記事のながれをみれば彼が何を言いたかったのか想像できる。日ごろ、あたりまえだと思っているわたしたちのほうが騒々し過ぎるのかも知れない。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

2006年12月20日

人生へのスローライド

きょうは忙しいさなかのちょっとした中休み。
貧乏ヒマなしというけれど、ヒマがあっても先立つモノが無いからヒマを持て余してしまう。でもって原稿書こうと思ったら、マイブログのサーバーが24時間のメンテナンスで書き込み出来ない。

jitensha.gif区の図書館に貸し出し予約していた本が入庫しましたとメールが来ていた。思いついたらドンドン予約するから忘れたころに連絡があると何の本を予約してたのか思い出せない。

定期健康診断で、運動不足からくる成人病の兆候が現れているから毎日30分の歩行をしなさいと医者に言われた。ちょうど借りてきた本の中に「自転車スローライド」(新田穂高著)というのがあった。読後、すこし感化されてお休みの日は運動不足解消も兼ねてチャリンコで町内を走り回っている。

この本の著者は、子どものころに乗り始めた自転車とのかかわりが、やがて成人するとともにその世界に深くのめり込み、自転車雑誌の編集者として携わるようになるが、後に彼自身のライフスタイルにまで影響を与え、いまは郊外のかやぶき屋根の下で田舎暮らししているという。

若いとき、風をきって走ることだけに快感を感じていた自転車が、やがて四季折々の風景を楽しむためのサイクリングとなり、そしていま、著者が言うには
「ぼくは、ただ風景に出会うだけのサイクリングでは飽き足りなくなっていた。旅の途中で人に会い、話を聞きたいと思った・・・・風景にかかわる人を訪ねてまわった・・・・

自転車を停めて話しはじめると、予想以上に会話がはずむ。「自転車をこいで来た」と言うだけで・・・・・寄り道の時間は多くなり、一日の走行距離は格段に減った。・・・・ぼくは「スローライド」という新しい走り方を発見した。」

現代人は何を生き急いでいるのだろう。お金のため?会社のため?家族のため?日本のため??? もっと地に足を据えてユックリと生きようよ。そうしたら生き急いでいることで見失っている何かが見えてくるはず。

「自転車スローライド」は「スローライフ」の薦めでもある。わたしにとってもみなさんにとっても。
(12月19日記)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:42 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2006年10月22日

人のふり見て我がふり直している今のわたし

自分の意見に相手が反応(もしくは同調)しないと、突然、不機嫌になって当たり散らす人がいる。
それも若い人ならいざしらず、いい年こいたオヤジが反抗期の中学生みたいに暴れ回るから始末におえない。この人の何十年の人生経験は何だったのだろうかと不思議にさえ思えてくる。

ご本人はそれなりに主張もあり、素直にそれを表に出しているから、自分はウソ偽りのない生き方をしているのだと自負されているのかもしれないが、その四角張った行動は周りの仲間を自覚のないままに傷つけていく。それが人生経験少ない若者ならば、内心不愉快に思いながらも、学ぶであろう彼の未来を信じて猶予を与えるのだが。

「ご意見五両、堪忍十両」。どこかのブログで見た言葉だが、個人的に気に入っている。
人の意見に耳を傾けることは五両の価値に値する。たとえ意を異なることに遭遇するも、それに耐え忍ぶことは、前にもまして十両の価値に値するということらしい。

こんなこと書くと、ツッコミ好きな人から、間違ったことをいっている人に何もしないで黙っていろと言うのか!と反論が反ってきそうだが、もう一度上の言葉をよく見て欲しい。どこに無言に徹っしろと書いてあるのか。そんなことは言っていない。この言葉の意味は、コミュニケーションの大切さ、それによって得られる様々な意見に耳を傾ける必要性を説いているだと思う。

そして、人として生きていくことは、自分一人の世界で生きていくことではない。様々な人たちの世界と折り合いをつけて共存していくことだと言っているのだと思う。こんなことを、すでに立派な社会人として暮らしていらっしゃる読者のみなさんに、お聞かせすること自体、釈迦に説法なのですが、最近目につくことがあったので、ひと言いってみたかったのです。

ブログって、走り出してしまうと自分の意のままですから、車の運転とよく似てますね。だからハンドル持つと性格変わってしまうドライバーがいるように、わがままになるライターがいるのですね。 ナットク!!

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:20 | Comment(1) | TrackBack(3) | 日記

2006年10月20日

自然体

下段に緊急連絡があります(参照)

ブログ始めて、もう一年がこようとしている。
なんにでもハマル性格なので、周りはまたかという雰囲気だったが、う余曲折ながらも続いている。やり始めて知った色々なこと。
奥の深さとは反対に、この程度のことなのかという限界も見え隠れして、世間でもてはやされるほど革新的なツールでもない事もわかった。でも、世の中に体験してむだなことはなにもないと思っている(取り返しのつかないこと以外)。

最初のうちは、みんな何か発信したいのだ。だからしっかり受け止めて言葉を返さなくてはと、こまめにコメントした。コメントした相手から「そんな反響があるなんて思いもしなかった。わたしは、いま自分が感じていることを、ただ書き連ねただけなのに。」というご返事を頂いて、世の中そういう人もいるんだなあ。見せたい読ませたいと思っている人ばかりではないのだと。

見せたい読ませたい自分からみれば、その人のコメントはちょっとしたカルチャーショックだった。
それまで気負っていた肩の力が抜けて、いままで理由もなく焦っていた自分を見つめ直すいいきっかけになった。

目的ががなければ表現するまでに至らないと思っていた自分の視野の狭さがそれでひとつ拡がった。自分の思いを書き綴るのは、その人にとっては詩や和歌を詠むようにひとつの表現なのだと。

「コメントありがとうございます。わたしの記事をお褒め下さってありがたく思っております。いままで、ひとさまに何か伝えようと思って書いたことはありませんでした。でも、これからはそれを意識して書いていこうと思います。」

違うんだ!!   あなたの人の視線を意識しない文に、さわやかさを感じてコメントしたのに。

それから何度か、その人からのコメントはあったのだけれど、わたしは応答することはありませんでした。もう、わたしのこころの琴線にふれることもなく遠のいていく。更新したその人の新しい記事を見ながら感じた。


追伸!共謀罪成立に向かって強行採決への不穏な動き!

というメールやTBが入って来ました。マスコミは予測記事は書かないと言う大義名分で沈黙を保っています。
結果報告しか書かない(フライング出来ない)マスコミの力には限度があります。
わたしたちブログはそういう制約はありません。でも、もし共謀罪が成立してしまったら、いまこうしてお伝えしていることすら出来なくなるおそれがあります。これは時代の逆行です。暗闇は一気に押し寄せてくるのではありません。
平穏な日々の暮らしの中に静かに、足音もなく皆さんが気がつかないうちに忍び寄ってくるのです。
だから、怖いのです。映画や歴史ドラマでみるみたいに目に見えるような変化で暗黒の時代に突入するのなら、誰しも気づくし、警戒もするでしょう。
現実はそうではないのです。市民がだれも知らないうちに暗黒の時代は始まるのです。今も昔も。
ひとりでも多くの市民に知らせましょう。悲惨な思いをするのはいつの時代も我々、市民なのですから。

わたしはまだ詳細を把握していません。詳しい方どんどんトラックバックしてください。助かります。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:16 | Comment(3) | TrackBack(7) | 日記

2006年09月23日

きょうはあなたもプロ並みショット(運動会編)

きょうは晴天に恵まれ、市内各所で運動会。
少子化とはいえ、我が子や孫の晴れ舞台を見に朝から会場へ向かう家族連れが目立った。

unndoukai.gifそこで写真撮影チョットだけヒント!
本当は我が子だけ写ってれば満足なのが大半なのでアドバイスなんか無意味なのだがそこをあえて、より向上心のある方向けにお節介させて頂きます。

撮るのは我が子の出番だけだから、それ以外のプログラムはすべて無視OK!
ただ絶対に心しなければならないのは、すべての競技が一回ポッキリ(参加場面)だからベストショットを押さえようと思ったらカメラポジションが大切。

かけっこののように何組も出る競技なら我が子以外の組の時にカメリハ(練習撮影)するのがいいかも。デジカメなら実際にシャッター押してみてもいい(後で消せばいいのだから)・
フィルムカメラならファインダーを覗いてフレーミングを事前に確認するだけでも出来上がりが違う。しろうとで意外と多いのが出来上がりが豆粒のように小さく写って鑑賞に堪えれないケースがあるからだ。そのためのカメリハ。おのずとポジションが決まる。(学校や幼稚園によっては父兄はトラック内に入れないから注意)

それとスタート時とゴール間近では競技児童のバラけ具合違うから臨場感重視ならスタート時、我が子だけでいいのならゴール間近。幼稚園児はスタート時のほうが無難。

もし、観客席最前列が確保できたのなら腰を落として片膝立てて両脇引きつけてカメラ構える方がブレにくい。(三脚が理想的なのだが現実的でないので慣れた方以外にはお勧めできない。)
あとスピード感の無い競技は競技中にどんどんポジションを変えていくのも一つの方法。
(写真は京都新聞より)

まだ色々とカメラワークはあるのだが、長くなるので今日はここまで。
もし、その他詳しく知りたい方はご質問承ります。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:28 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2006年09月22日

著名人語録から

きょうは、大幅な手抜き。(時間がないのです)。
以前、自分の記事にも書いたけれど著名人語録から。
http://be.asahi.com/100/e/20031018_7003.html

steibeck-2.gif 米国第3代大統領トーマス・ジェファーソンは、「新聞がない政府と、政府がない新聞のどちらを選ぶかと問われたら、私はためらうことなく後者を選ぶ」と言う一方で、「新聞を読まない人のほうが、読んでいる人より正しく物事を認識できる。何も知らない人は、うそと偽りに心を奪われた人より真実に近い」とも述べた。オスカー・ワイルドも、「米国では大統領は4年間統治するが、ジャーナリズムは永久に支配する」と書く。

 ゲーテには「新聞を読まなくなってから、私は心がのびのびし、実に気持ちが良い。人々は他人のすることばかり気にかけて、自分の手近の義務を忘れがちだ」と言われ、スタインベックには「新聞は世界中で一番便利なものだ。読むにはたえないが、他のことになら何にでも使える」とまで言われたす。(写真はスタインベック)

いま、とかくメディアリテラシーが取り上げられる時代です。
飽食は食生活だけではなく、情報社会の肥満(情報過多)からみずからを守らなくてはならない時代です。

昔の人も同じ思いしていたのですね、マスコミに。

ちなみにわたしはいま、ゲーテの心境。
好きなのはスタインベックの言葉。(そう。新聞は読まなくても弁当箱を包めるしね!)

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2006年09月18日

伝えることの難しさ(反省)

いや〜、初心に戻るための反省の日日を宣言したばかりだったのに、早くも二度目の失敗をしてしまいました(潜在的には、もっと失敗を重ねていると思いますが)。

いつも訪問いただく方に、お礼の意味を込めてコメント差し上げたのですが、その返礼(その方の)が、こちらの予期せぬコメントだったので一瞬うろたえてしまい、さてどうしようかと考え込んでしまいました。

あれが受け取られた方が寛容な方だったので素直に受け止められた旨、コメントを返して頂きましたが、立場がかわれば不愉快きまわりないわたしのコメントだったのではないかと思います(そう誤解されてもしかたのない文でした)。

自分のブログに書く分には制約なく長々と意見を述べることも出来ますが、やはり人様のコメント欄は簡潔に感想を述べるだけにとどめようと心がけていただけに、その想いがかえって文面を必要以上に簡略化させてしまい、結果として意味不明のメッセージとして伝わってしまいました。

ここまでは極めて私事なので、読まれている他の読者の方にとってはなんのことやらと思っておられるでしょう。うっとうしい内容だと思われたらスルーされても結構です。本当に私的なことなのですから。

ただ、モノを伝えると言うことは言葉であれ、文であれ、映像であれ、作る作者の心の中で十分に昇華されたモノであり、やがてそれを伝えたいという気持ちに発展していくのですが、わたしのように未熟者だとうまく正確に伝わらないないのです。

今回に限らず、わたしの日常の業務の中でも頻繁におこりうる、いやおこっています。半分、営業を兼ねた業務に携わっているわたしは、日ごろお得意先に説明したりご質問を受けたりしますが、話がすれ違っていまう大抵の場合は、双方とも心の中にある想いが客観的に説明出来ていないときにおこります。

短気なお客様(お得意先)はなぜ理解できないのだと怒ります。そういうケースは過去に何千回(大げさですが)と経験していますから、けっして反論はしません(自分の心の中でお得意先の言葉足らずなところを軌道修正してやれば済むことですから)。でも、同じことを自分がしでかすことはとても恥ずかしいと思っています。
だってわたしはプロ(職業)ですから。

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2006年09月16日

第一印象

きょうは何の根拠もない、子ども感覚(わたし)の第一印象のおはなしです。

norika.gifジョージ・ウォーカー・ブッシュ・・・あの風格の無い、頭の悪そうな顔がきらい!!
ロナルド・ラムズフェルド・・・・・・・水戸黄門ドラマ風にいえば、悪代官役にピッタリの顔。
コンドリーザ・ライス・・・・・・・・・・・ご存じのアメリカ版、市毛良枝(どこがやねん!)
安倍晋三・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マスコミのいうところの好感度一のルクス(どこがあ〜?)
小泉純一郎・・・・・・・・・・・・・・・・・第一印象はよかった・・・が
小沢一郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・怖そう!
石原慎太郎・・・・・・・・・・・・・・・・・小心者・強がり!(目元のケイレンを見て思った)
(番外編)
亀井静香・・・・・・・・・・・・・ドラえもんファンには落差が大き過ぎるよ。しずかちゃんなんて。
藤原紀香(いま、話題の人)・・・・・・・個人的には好きでないタイプ。でも世間の評価は??

時間があれば、もっと書けるのですがとりあえず、思いついた人だけ。
これは初めて映像で見たときの第一印象なのでその時点では予備知識なし、実際の人間性とは何の関係もありません。
でも時間が経ってみると、結構、当たっているでしょ!小泉さん以外は。
(番外編)の方は未知数なので、これから次第(好きになれるかも)。

世間の大勢の人たち(国民)も、この程度の判断基準ではないのでしょうか(選挙のときに)。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 07:01 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2006年09月14日

百舌鳥(もず)

mozu.gif子どものときから整理下手で、興味のあることにはどんどん食いついていくのだが、それが多方面にわたるので困ります(世間では気が多いともいいます)。

いまだに大人になり切れていないというか、とりあえずはブックマークしといて後から見ようといつも思っていても、その瞬間にすでに興味は他へ飛んでいってしまっているのです。

WEBの中だけの話にとどまらず、日常生活でも気になるモノはすぐ買ってしまう(高価なモノは買えませんが)ので、部屋中に置きっぱなしで、あとから気がついてもナゼ買ったのかわからない。とりあえずは思い出すまで捨てないで置いておこうとするから、ドンドンたまって収拾がつかない。

区の図書館が近いから、ネットでよく貸し出し予約するのだけれど、時間が経ってしまうと、取り寄せ確保の連絡が入っても何を予約したのかわからない(連絡メールは予約コードしか打ってこないので本のタイトルがわからない)。

まるで百舌鳥(もず)だなと、ひとり笑いだしてしまうのです。

きょうは思い切ってたまりにたまったブックマークを整理してみました。(後日)つづく。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:44 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2006年08月17日

わたしの夏休み

わたしの長い夏休みも終わりが近づき、以前ほど記事が書けなくなるかも知れない。けれど、ひとさまの記事を拝見するぐらいの時間は確保したいし、出来ればなんとか書き続けたい。

natuyama-3.gif何日間か、下界から離れて夏山に身を置くのもいいものだ。
新聞もない、テレビもない。携帯電話すら持って行かなかったから、毎日の行動は夜明けの蝉の鳴き声ともに目を覚まし、まだ日差しの強くならないうちに今日の予定の尾根を目指す。険しい山に挑むアルピニストとは違い、年相応のハイカーだから山々の美しい緑と胸一杯の空気を満喫できれば充分だ。天候にも恵まれ、同じように山を訪れているハイカーたちとすれ違うときに交わすなごやかな挨拶。
夏の日差しはいつまでも大地を明るく照らす。でも山の天気は変わりやすい。決めた時間は守って帰路に着く。

行きつけの宿舎は近所の村の農家のひとたちが手伝いに来てくれる。日ごろは四季とともに暮らしている人たちだ。いつも母親の後ろについて恥ずかしそうにしていた坊主がいつのまにか立派な高校生だ。夏休みだから手伝いに来てくれた。亡くなった彼の婆ちゃんが可愛い孫のために40分もバスに乗って、町に絵本を買いに行くのだと語ってくれたのは、もう一昔以上も前の話だ。婆ちゃんにすれば久しぶりの町での買い物だから嬉しそうだった。(その本屋も町に一軒しかなかったはずだ。)

夜は宿舎の庭に出て満天の星空を見上げる。
もう都会では絶対に見られない夜空だ。芝の上に仰向けになってこの星たちを眺めていると、むこうのどこかに住んでいる星人たちは、わたしたちのいる地球をなんて思って見ているのかなと想像する。幾百万の星の中の地球の存在なんて知るよしもないだろう。その地球にはびこっている我々人間の存在は、宇宙から見たらさしずめ地球という星に巣食うバイ菌ぐらいの存在かな。
もうすでに鳥たちも、みんな眠りについていて、漆黒の夜景の中に星空だけが明るく輝く。

昔、婆ちゃんが乗ったであろう一日三便のバスで、JRの来ている町まで戻る。小さな駅前にその場に不釣り合いなケバい乗用車と幾人かの若者たちがたむろしていた。お盆休みで都会から帰ってきている村出身の若者たちだろう。本線に出るまでのジーゼル(機関)車の乗客はわたし一人だけだった。

やがて発車の合図とともにケバい現実の生活に向かってジーゼル車は走り出した。

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2006年07月18日

善意が使命?

一か月ほど前から、玄関横の格子に赤い簡易ポストが取り付けられて「あれ?」と気がつきはしたものの、出勤前の慌ただしい時間だから、そのままにしておいた。

本来ドアについているポストにも、毎日のように大量のダイレクトメールが入り続けていたから、そのときはすぐに忘れてしまっていたのだけれど、定期便で来る郵便物が期日を過ぎても来ない。「もしや?」と思って、例の新設簡易ポストをのぞいてみたら、たまりにたまった新聞の陰に、待ち望んでいた封書が挟まっているのを発見した。

誰か勝手にポストなんか取り付けるからこんなことになるんだと腹立たしい思いで、たまった新聞を捨てようと手にしてハタと気がついた。その新聞は「聖教新聞」。ポストが取り付けられる一週間前、勤務明けの朝帰りの日に、小柄でいつもニコニコ笑って会釈を交わすオバチャンと立ち話したっけ。あのオバチャンがポストを取り付けたんだ。

わたしは、時間が許せばどんなセールスの人でも話は聞く。それはその人の話に納得しているからではなくて、彼らが使命を持って訪問しているのだから何も聞かずに断るのは忍びなくて、とりあえずは数十分ぐらいはおつきあいするのだが、勧誘に乗ったことはない。

でも、生き生きと語り続けるカワイイオバチャンの顔を見ていて「ああ、この人はこれが生きがいなんだなあ」と思うと、むげに追い払う気にはなれない。こんな純心なオバチャンをだましている(?)上の連中が憎い。

でもオバチャン。勝手にポストつけないでね。郵便屋さんが迷ってしまうから。
今、毎日二つのポストを覗くのが日課です。

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2006年07月02日

今日の反省です

わたしはいつも、思いつくままに書きますからあまり下調べとか下書きなどしません。アドリブで書き始めるのですが、書いてる途中で分からない内容や熟語が有ると、書くのを中断してそのとき初めて下調べするのですが、こんな非効率的なことをやっていますから、記事一本書き上げるのに、ずいぶん時間がかかります。

先日、わたしのブログを見てくださった方からコメントが届いてました。
コメント頂いた方は26日の富良野のラベンダー畑について書いた記事の感想を送って下さったのですが、じつは現地にいったのはわたしの友人で、彼の話とラジオのインタビューの内容とを合成し、わたしなりに光景を想像しながら書いたつもりだったのですが、コメント返ししたときにそのネタばらしをしたら、かなり驚かれていらっしゃいました。

なにか、騙したみたいで申し訳なく思ったのですが、本当に今まで仕事で全国を移動することはあっても、じっくり現地を見物することはなく、いつも印象に残っているのは泊まったホテルまでの移動中の景色ぐらいしかありません。今度いつか来たら、ゆっくり見物しようと思いつつも、まだどこも仕事を離れてゆっくり散策したことはないのです。

でも、忙しい仕事の方はみんな同じだと思います。「講釈師、観て来たような嘘をつき」

書いた内容に詐称も偽装も無いのでご容赦願います。

撮って来た原稿にキャプションや簡単なコメントを求められる場合もよくあったのですが、それも殆んどは社に帰ってからのデスクワークの範ちゅうなので、こういうのが世間のみなさんに誤解をまねく要因のひとつになっているのかも知れません。
大抵の場合はわたしの仕事ではなく編集スタッフが本文を書き上げるのですが、その扱いがどういう使われ方をされてもいいように、ひとつ被写体を何方向からも、条件を換えて撮影します。
忙しい時は、刷り上ったときにどのカットを使ったのか確認すらしないまま、次の仕事に入ることもしばしばです。

どなたかが言われてました。「何か、好きな道(趣味)があって、それを楽しんでいるうちはいいのだけど、もしそれを職業にしたら、それは最愛の恋人を働かせて食っているヒモのようなものだ」と。

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2006年06月26日

一期一会から始まって その2

rabender.gif7月は、北海道・中富良野のラベンダーの季節です。

30年前、道内で香料の原料としてラベンダーを農作物として作りつづけた数々の農家も合成香料の普及という思わぬ時代の波を受け、みんな採算の合わなくなったラベンダー作りに見切りをつけていきました。とうとう最後には中富良野のファーム富田一軒になってしまいました。今年限りでと、いつも心に言い聞かせながら栽培を続けていらした富田さん(当時44才)にとっても、その年は本当の正念場でした。

ある晴れた日、ラベンダー畑に大勢の人が訪れているのが目に止まりました。次の日も次の日も。もともと普段は地元の農家の人たちしか見かけない静かなところです。その不思議な集団との出会いが富田さんにとっても、中富良野にとっても未来につなぐ使者たちの出会いだったなんて、その時は知るよしもありませんでした。

その集団はカメラを持っていて、思い思いにラベンダー畑を撮り続けているのです。その中の一人が教えてくれました。「今年(75年)の国鉄のカレンダーに、この美しいラベンダー畑が載っていたんだよ。知らなかったの?」今のようにインターネットのようなものの無い時代です。この一枚のカレンダーによって富良野のラベンダー畑の存在は全国のアマチュアカメラマンに伝わり、愛好家たちは富良野を目指したのでした。

いつも訪れてくれる写真愛好家たちに、素朴な農家の富田さんのお母さんはどう、もてなしたらよいのか分からず、手持ちのハギレで作った小袋にラベンダーを詰めて、訪れてくれる人たちに差し上げることにしました。その手作りの匂い袋を持ったカメラマンたちが口伝えに、また富良野の人の優しさとラベンダー畑の美しさを全国に拡めていきました。

もともと上富良野で上田さんという方が栽培されていたラベンダーに魅せられた冨田青年(当時21才)が両親を説得し、中富良野の地に根付くよう努力され、農作物として開花されたのだそうです。その愛情や思い入れが最後の一軒になっても続けられた原動力だったともいえます。当時を振り返って語られる富田さんは「もし、あのときカレンダーにラベンダー畑が載らなかったら、またそれを見て訪れてくれた人たちとの出会いがなかったら、次の年はもう、ラベンダー畑は無くなっていたと思います。彼らが訪れ、励ましてくれた事が、もう一年、もう一年と続ける励みになったと思います」

夏の北海道にとって、いまや富良野のラベンダー畑は本土では見ることの出来ない南フランスの景観です。観光客も中富良野だけで100万人以上です。

中富良野町役場ホームページ http://www.furano.ne.jp/nakafurano/

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2006年06月18日

しぶとい年寄り

二、三日前からブログ画面を修正したくて、日々悪戦苦闘。

以前、「ページトップに戻る」と画面下に入れていたのに、HTMLを初期化してしまったから、また最初から打ち込まないといけないのだが、入れたのは随分前だったから、HTMLのどの位置に入れていたのか覚えていない。

マニュアルを引っ張り出してきて、色々それらしいところに打ち込んでみるのだけれど、疲れているのと眠たいのとで打ち間違いばかり続いて、なかなかはかどらない。もう終わり頃には迷路のパズルをやっているみたいで、とうとうギブアップ。限られた時間に作業することもあって、一日たつと昨日やった事をみんな忘れているから、また初めから。

なんてこっちゃ。歳を取ると記憶力が衰えてくるのがよくわかる。もうこうなると、何が何でもやってやると週末の時間返上して、ようやくプレビューで文字が画面に出てきたときにはホットした。いつも「人気ブログランキング、クリックお願いします」と、バナーを記事下に入れていたのは、じつは原稿を書き上げる度に、わざわざ貼り付けていたのだ。その手間を解消しようと、今回はHTMLの中に打ち込んだ。

ところが「お願いするバナー」の説明の文字の大きさが調整できていない。記事本文の文字よりかなり大きくなって画面に出てくる。「お願い文」だけデカイなんてとても恥ずかしい。取り敢えず、なんとか使える状態だけにはなったので、細かい調整はまた追々やるとして、ようやく今日から記事がアップ出来ることになりました。

追信です。今日中には無理だと思っていた文字の大きさ調整出来ました。年寄りのネバリ勝ちです。ヤレヤレたらーっ(汗)。(19:57)

 

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:45 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2006年06月15日

光り輝くモノを求めて

最近、ブログ書いていても楽しくない。スタート時と比べたら、書く要領にも慣れてきたし、掲載回数も以前よりはずっと増えた。好意的に訪問してくださる方たちもいらっしゃるのに、何故か楽しくない。友人に言わせると、またわたしのワガママが始まったと笑う。居心地の良さはわたしにとって苦痛だ。

いつの日からか、読まれることを意識して書き始めた(ウケを気にしている、居心地の良さを求めている)、そういう自分が嫌だ。でも自分のブログのコメントに、反論じみたことを書かれたらショックだろうな。

自分が気づかない別の視点も知りたい。

関心があることと、好きなこととは違う。好きなブログもあるけれど、それは単に自分にとって居心地が良いだけ。自分の求めているものとは、たぶん違う。だからあえて自分と立場(意見)を異にするブログも覗いてみる。ああ、オレとは違うなあと思いながらときどき気になって、また覗いてみる。でもときたま、何十遍に一遍、いい文に遭遇する。ああ、いい視点してるなあ、ナットク!。でも、次の日からまた、意見を異にする記事が延々と続く。

もしかしたら、ブログを書いてるみんなも、その何十遍に一遍の光る(自分にとって)モノを見つける為に、書き続けているのかも知れない。

でも世の中に口の上手な人います。人の気持ちを掴むのが上手い人。そういう人が為政者だったり、宗教家だったら人々は不幸せです。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:14 | Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

2006年06月14日

あなたは惰性になってませんか。

よく駅員さんが出発前の電車のいるホームを、前方から後方まで指差して安全確認をしているのを見たことはありませんか。これは単純なことですが非常に大切な事です。

わたしの仕事も確認から始まります。毎日の繰り返しなので、つい手を抜きたくなるのですが、もしそれによってアクシデントが起こると、乗り物の仕事に従事されてる方たちのように、人命に関わるようなことは無いまでも、まず、間違いなく信用を失います。企業の社員なら何らかのかたちで、フォローして貰えますが、フリーの立場の人間にとってそれは致命傷です。最悪の場合は、仕事がきれるだけでなく、損害賠償を求められます。過去に2度だけありました。

撮影条件の安定している場所での場合はさほど問題はないのですが、屋外で状況が変り易いときや、被写体がカメラを意識しない動物や幼い子供たちの場合は大変です。それも時間と予算をタップリ頂いている場合ばかりではないですから、アクシデントは、そういう余裕の無い条件のときに起こります。だから確認が必要なのです。指差したり、声に出したりしているわけではありませんから、まわりの人たちは気づきませんがすばやく一から確認を始めるのです。確認に時間がかかる作業ほどその心構えは必要です。

またいつもの例え話になりますが、NASAなどがスペースシャトルや宇宙ロケットを打ち上げるときに、カウントをとりますね。大きい数NASA.gif字からいって、残り後わずかのカウントになったとき、何らかの事情で中断する場合があります。それから再び作業が再開されたとき、残り36まで数えたから次は35からだとカウントしますか。いいえ36までの段階で確認したことは確認済みだからそのまま続行ということにはなりません。また最初から数え始めるのです。これは極端な例だったのですが、状況が時間とともに変化する仕事に従事するものにとってこれは至極当然のことです。

若い同業の人たちの会話を聞いてると時々びっくりするような話をしています。今はフィルムの時代でなく、VTRや磁気ディスクの時代なのでリプレイしてすぐ確認できることが失敗しても撮り直しできるという甘えにつながっていると思います。フィルムの場合は現像から上がって来るまでの時間がかかります。翌日仕上がりを確認してダメだったらもう同じ状況は再現できません。何十年やっても緊張の仕事でした。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年06月13日

モノクローム世代

今はすべての映像がカラーだが、昭和30年代までは、白黒全盛で(映画もテレビも)カラーは、既にあったのだけれど、まだ希少価値だった(コストが高い)。だから、わたしが習った当時は、白黒を基準(スタンダード)として教えられた。操作はすべて手動。露出計も無かったから、自分の記憶とカンに頼るいい加減なものだった。当時の専門家のコラムなどにそれが出来ないとプロじゃないみたいな事が大真面目に書かれてあったのを覚えてる。

capa.gifでも白黒映像のいいところは最初から色の事を気にせずに、写したいコト、伝えたいコトのみに集中できた(伝えられた)。それが段々と原稿依頼がカラーでという注文が増えてきて、今までどおりの感覚で撮影し、提出したら「もっと色のコンビネーションや効果を考えて撮るように」とお叱りの言葉が返ってきて、また新しいコト(テクニック)を覚えなければと苦労した。いまの人はハードがすべてオートマティックだから操作の苦労が無い分、絵作りに専念できる。

どんどん進歩して実際に見たモノに、より近く表現できることは、一見良い事のように思われるが、実はそうではない。以前にも書いたが「伝えたい事」というテーマがあってカメラを回しても、要不要にかかわらずすべてのことが写ってしまうのだ。人間の肉眼で見るばあいは、一瞬のうちに脳の中で取捨選択し、興味のあるモノしか脳が受け付けないから、あたかもそれしか見えていないように思うだけなのである。だから現場のカメラマンは見えるコトではなく、見る人(視聴者)が関心を持つであろう(もちろん撮影者自身も関心があるのだが)状景をフレーミング(トリミング)していく。そうして「伝えたかったコト」を皆の前に披露するのだ。

これがややもすると、作為的に本来伝えるべき事はフレームアウトされてしまうこともある。(ほとんどは編集段階でだが)これにSE(効果音や音楽)がつき、ナレーションがつく。商業目的の映像はこのテクニックは当然のことではあるが、これが報道とかドキュメントの場合はある意味でコワイ!。

(カラー画面をモノクロにして音量もゼロにしてニュースを見るのもいいかも。編集してあるから保証はできませんが)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:18 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

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