石橋を叩いても渡らないかも?: ニューメディア

2007年01月08日

オーマイニュース(店・仮想)を訪れて

年末から正月にかけてずっと出勤状態のわたしにとって、新たな年を迎えたことで気分一新のスタートをはかりたいところですが、このダラダラと続く毎日は精神的疲労もピークに近く、記事を書く意欲もわかない状態でした。

連休初日、空の雲行きが怪しくなった頃、いつものようにマイカーで出社しようとしたらエンスト。
わたしの足となって走り続けてくれた愛車も、いままで走っているのが不思儀なくらい酷使していただけに、わたし同様老朽化し、それを だましだまし乗り続けてきたから、とうとう来るときがきたかという思いです。

でも、そのおかげで思わぬ休む為の口実が出来て、精いっぱい悲しそうな声をつくって社に電話し、やっと人並みに連休がとれました (代替えの交通機関のない不便なところに住んでいます)。

前フリが長くなりましたが、さっそく いつも伺う方たちのブログをチェック、相も変わらず正月から元気な様子を確認し、それから、いま一番関心のあるお店、オーマイニュース(仮想)を訪れました。

開店(創刊)からはや半年が来ようとしています。小奇麗な店先の陳列(誌面)は変わりありませんが、なぜか人気(ひとけ)のないガランとした雰囲気に訝しさを感じながらも店内に入って見ました。

品ぞろえは日ごろから口うるさい常連客を意識してか、陳列棚にならぶ商品は健康食品(記事)ばかりです。
開店早々、冷やかしのお客で一時騒然となった経緯がありますから、ウィンドショッピングに訪れる一元のお客様の扱いは以前のままですが、会員客(コメント投稿者)を装った不良来店者の締め出しは強化されているみたいです。

もっと、驚いたのはお店で一番の売れ筋(人気記事)が、いまだにお店自慢のクレームグッツ(社内批判記事)だったことです。なにせ注文件数(アクセス&コメント数)は他の商品を抜いてダントツに多いのです。それに比べて他の商品の予約注文(アクセス&コメント)の少ないこと。予約ゼロ(コメント数)の商品(記事)が棚にあふれています(当然アクセス数も少ないのですが)。

でも、新鮮を主に売りとしているこのお店は、売れなくてもドンドン棚ざらえして新商品(新記事)が並ぶのです。
そして店内を闊歩している常連客たちと言えば、自称開店当初からの常連だといって、あらたに訪れる店の客を品定めし、その客が何か言おうものなら、口の利き方が悪いだとか、うちの店(?)に相応しくないだとか、およそ一般世間では考えられない応対で来店者をビビらせて悦にいっているのです(元々、セルフのお店なのですが、なぜ店員でもないのに指図するのだろう?フ・シ・ギ?)。

お店の店長も困っているみたいですが、実質この常連客で売り上げ(アクセス&コメント数)を維持しているという現状を考えると何も言えないみたいです。わたしも何か言おうと思いましたが、そのとばっちりが店長や静かに来店している他のお客様にご迷惑がかかってはいけないのでただ、傍観しているだけです。

お店の経営責任は店長やその仕事に従事している者にあります。
ローカル球団にありがちな熱烈であるがゆえに監督の采配に口出しする野球ファンに似ています。でも勝たなければいけないと一番感じているのは当事者(編集部)でしょう。どんなに熱心でもファンは責任の無い発言者です。ともに心中はしてくれません。でも、注文は人一倍多いのです。

みなさんも日常生活でこんなお店見かけたことはありませんか。ヤンキーがたむろしているコンビニとか、反対に高級ブティックで鼻もちならない成金マダムがインテリかぜ吹かせて、さも自分でこの店は持っているんだといわんばかりの態度で、それをお店の人が上目使いに応対している様子だとか。

わたしもオーマイニュース(仮想)が開店したときはおおいに期待し、既存の大規模店(マスメディア)の退廃ムードに新風を吹き込んでくれるのではと思いましたが、現状ではインテリ(?)ヤクザのたまり場と化しているみたいです。

一日も早く創刊時の志に戻ることを望みます。

注:(実在の企業名に類似した部分がありますが、これはあくまでもフィクションであり、正月向けのエンターティメントとしてご鑑賞ください)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:13 | Comment(2) | TrackBack(5) | ニューメディア

2006年12月12日

12月11日、深夜。

きのう、遅い時間に外出しかけて、少し時間があるからとその場繋ぎのつもりでブログ見てたら、どなたかの記事でTBSで「オーマイニュース」を取り上げた番組をオンエアするという文字が目に飛び込んできた。

実名登録制に踏み切った「オーマイニュース」だが、実施後投稿欄が荒れることもなく、淡々と市民記者の記事を更新し続けているが、その平穏な静けさは何故か寂しさの漂う紙面でもあり、世間で言われるように、もはや人々の関心から遠ざかっているのかなと思っていたところへの番組予告記事だった。

わたしは、日ごろテレビを見ないものだから、前から見たいと思っていた番組が気がついたら放映済みということがよくある。今回も、きょうが何日かも知らずに日々を過ごしているわたしにとって、また見落としてしまったかなと思ったが、念のため調べてみると期日はきょうだ。しかもオンエア数分前。

ニューメディアが、あたらしい報道の世界を切り開いてくれるのではという期待もあって、その後の経過が気になって、急きょ外出を取りやめテレビの前に座った。

内容は「オーマイニュース」の発足から今日までの経過を病気治療中の鳥越編集長を絡めての簡素な番組だった。ちょっとガッカリしたが、報道とは本来こういうものである。それを伝えることによって受け止める視聴者がどう感じるかはそれぞれ自由だ。

いつも主義主張のハッキリしているブログばかり見ているからもの足りなさは感じたが、かといってどちらかに誘導するような意図が見え隠れしても困る。中立性を保つという報道は左右双方からマスコミ批判のやり玉に挙がりがちなのだけれど判断するのは視聴者自身だ。

でも番組の最後にコメンテーターとして筑紫哲也氏が言ったひと言が印象的だった。
「新しいメディアの可能性を秘めて現在進行中なのですが、もしこれが成功して大きな力となったら、そのとき一番先に脅かされるのは、既存のメディアの立場にいるわたしたちかも知れません」

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:07 | Comment(0) | TrackBack(6) | ニューメディア

2006年11月13日

オーマイニュースに微かな望みが

ブログって続けていくだけでも体力いりますね。あんまり裏付けのないいい加減なことも書けないし、そうかといって何も思い浮かばなかったら、つい想像だけで書いてしまいますね。わたしは小心者だから、あとで読み返すと自己嫌悪に陥ることはたびたびです。

あのニューメディア・オーマイニュースの鳥越編集長の記事が炎上しています・・というタイトルで記事を書きかけていたら、急用が入って不用意にPCのスイッチを切ってしまった。あっと思ったときはすでに遅し、全部消えてしまった。

そもそもの発端は双方向性を生かした市民参加のニューメディアというふれ込みでスタートしたのだが、2ちゃんねる掲示板よろしくバンバン批判コメントが返ってくる。ある程度は想定されていたことだけれど想像以上の書き込みに、気の弱い市民記者だとおじけづいてしまって投稿を控えてしまう。だからある方のデーターによると登録数が伸び悩んでいるとのこと。主宰者の思惑どおりことは進んでいないようだ。

それでこのたび規約改定予告を鳥越編集長名で掲示した。とたんに膨大な数の批判コメントが寄せられて、もはや炎上状態。これまでの編集部の対応のまずさが真っ先にやり玉にあがってしまった。杜撰といえば杜撰なのだけれど、最初の主旨が誰でも参加できるということだったからいまさら取り下げることも出来ず、結局は一部、コメントに規制をかけようということらしい。納得のいかない人は去っていってしまう。

その膨大なコメント読んでいて、せっかく既存のプレスでは出来ないことに挑戦するニューメディアだと期待していたのに早くも頓挫かという雰囲気なので、最後に恨み節のひと言ぐらい書いてやろうと書きかけていたところだった。(わたしは参加していないのでマイブログにしか書けない)

一夜明けて消してしまった文面の記憶をたどりながら書かねばならないので再度コメント欄をのぞいてみたら、きのうにもまして数が増え続けている。このあたりぐらいがきのうの続きだろうと読み始めたら何故かあれほど批判の山だったのにきょうのコメント欄は様子がおかしい。(じつはわたしの勘違いで前日アクセスランキング1位の記事だから同じ記事だと思って、いきなりコメント欄から読み始めたから記事そのものが前日と変わっていることに気づかなかった)

それは、ある一市民記者のかたの記事に寄せられたコメント欄だった。そのかたの記事は自分が初めて市民記者をやってみようという動機の説明から始まって、最初に掲載された記事がケチョンケチョンに批判されて惨めな思いをしたこと。でも気を取り直して指摘された至らぬ点を改めながら再度書き続けていったこと。厳しい批判が自分を磨き、支えていったことなど感謝の気持ちを込めて書かれていた。

あれほど辛口のコメント常連の連中が彼女の記事に対して誰一人批判をあびせることもなく、まるできのうの嵐がウソのように静まり、皆、賛辞の言葉に変わっていった。そして厳しい言葉を発していた彼らも胸襟を開き、オーマイニュースの未来について真剣に語り始めた。

今回、わたしが学んだことは、厳しい批判を卑屈に受け止めていじけるよりも、彼女のように傷つきながらでも自分の至らぬところを謙虚に反省し、再度挑戦してみるその姿勢が、あの怖い常連の批判ギャラリーの心をも解かしたのではないかと。なんだか読んでいて鬼のあつまりが、いつのまにかみんな福顔になっているようなこの光景は、コミュニケーションの難しさと優しさの両方を同時に見たような気がした。

(追記)オーマイニュースの記事は2日ぐらいで消えてしまうみたいなので、念のためその市民記者さんのお名前と記事タイトルを書いておきます。お名前は長島美津子さん、記事タイトルは、* 同じ「市民記者」の方々に問いたい * です。オーマイニュース内の検索欄で出てくると思います。
(追記)
”同じ「市民記者」に問いたい”の記事  

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posted by ゲゲゲのイチロー at 23:54 | Comment(4) | TrackBack(7) | ニューメディア

2006年10月15日

戦わない勇気

戦争が他人事ではなくて日本も、という雰囲気が好むと好まざるとに関係なく、ひたひたと足もとに押し寄せています。

yawaraka-sensya.gif今年の初めにちょっと、面白いアニメサイトをみつけて、それからしばらく忘れていたのだけれど、この間、偶然そのサイトに再会しました。サイト名 「やわらか戦車」  初めて見たときはライブドアのアニメサイトの一作品だったとおもうのですが、今、あらためて見てみるとそれが初作品だったのだとわかりました。わずか1分程度のアニメ」なのです。

何に惹かれたのか、やわらか戦車というタイトルなのか、可愛らしいキャラなのか、とにかく印象に残りました。
でも後に再会したとき、続編のパート2の終わりの画面に好評につきブログ開設しますとあったので、見ていた他の人たちも同じように何か感じていたのだなと思いました。

今は、シリーズ7(作品一覧参照)まで発表されていますが、それぞれおもしろいです。
作者の方がどんな思いで描かれたのか興味があったので「ラレコ先生にインタビュー」をクリックしてみました。そのインタビューの中で映画「プライベートライアン」の印象が下地になっていると書かれてありました。

すでにご覧になっていらっしゃる皆さんはご存じでしょうが、トム・ハンクス主演、スティーヴン・スピルバーグ監督のこの映画は、いわゆる戦争映画です。単なる英雄映画ではなく、色々と考えらされる映画です。

このインタビュー文を読んでちょっとだけ、ラレコ先生(アニメ作者)の心の中を見たような気がしました。なぜわたしが惹かれたのか、そして若いアニメファンの人たちにうけたのかわかったような気がしました。

日ごろ、反戦だ、反核だと叫んでいるわたしが、こんなアニメを紹介するなんて不謹慎だと怒られるかもしれませんが、そんな固いことをいわずに一度、ご覧になって見てください。

おそらくラレコ先生は過激な政治ブログの対極である、やわらか好きの優しいメッセージを発信できる方だと、わたしが勝手におもっております。どんな表現であれ、人として優しさを共有できる世の中を願い、伝えるのであれば、それは立派なメッセージだと思います。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 10:04 | Comment(0) | TrackBack(15) | ニューメディア

2006年09月21日

正義は勝つ(本当なの?)

プライベートな時間が少なくなってブログを閲覧する時間も貴重な状態なので、とうとうRSSリーダーを入れてしまった。100パーセント満足というわけには行かないが、とりあえず時間短縮にはなっている。

あいかわらずオーマイニュースはアクビの出るような記事ばかりなので、少々鼻についてきた。皮肉なことにコメント欄のほうがおもしろい(品のいい○チャンネル掲示板というところかな)が、前途は暗い。おまけにRSSリーダー非対応だから、このまま行くとほんとうに見なくなるかも。

マエ振りはこれくらいにして、実は自動魚捕り装置(RSSリーダー)を設置して、かかってきた獲物を品定めしていたら、ちょっと気をひかれる記事にあたった。ツカサネット新聞というサイトでカテゴリーが「生活>笑い・感動」の中の時の流れに身を任せさんのお笑い小説にブチ当たった。

これがすこぶるおもしろい。ただおもしろいだけでなくてネタの裏付けもしっかりしててエスプリの効いた社会批評になっているのだ。おもわず、さかのぼって投稿記事を全部読んでしまった。最近、政治ブログのワンパターンアジテーションに、いささかうんざりしていたわたしには、とても新鮮に感じられた。

いまの世の中になんとなく危機感を感じて来ている人たちは大勢いると思う。だけどそれを叫ぶ運動家たちや政治ブログは賛同者を除いた、その他大勢の人たちに自分がどう見られているのか、もう一度自分たちの姿を振り返ってみて欲しい。

先日お玉さんの記事にも書かれてあったが,受け手(聞き手)の視点に立つことも必要だと思う。意見を述べるときに自分中心の表現になりがちなのは誰でもだが、その意見を受け入れてもらえないと、やれB層市民は意識が低いだとか平気で相手を見下して言う人がいる。

そんな見下された人たち(B層市民)でも、それぞれがしあわせでありたい気持ちはみんなと同じように持っている。その人たちからみれば、何言っているのかわかんない人相の悪い(ネットだから見えないか?)オルガナイザーより、ソフトなイメージの安倍さんのほうがと、どうせ中身がわからない同士なら見た目のいいほうにいくのじゃないかな。
スーパーの食品売り場で曲がったキューリよりまっすぐなキューリがよく売れる。生産者からすれば中身は変わらないのにと思っても選ぶのは消費者だ。そういうイメージでしか現象を捉えない、どうしようもないオジサンやオバサンだってみんな一票もっている(しあわせになる権利はある)。

ビジネスの世界でいえば自分の立場をよりブランド化して顧客を惹きつけることで成功しているパターンもあるけれど、それは全体からみればごく一部のユーザーを相手にしている場合に限っての話である。自分の主張は正しいと信念持っていても、お店のかまえがレクサス売っている風なら、軽自動車でいいと心に思っている人は最初からお店に入らないでしょう。

民主主義ではそれぞれの思いが反映されるための手段は選挙。
軽自動車に乗る人も一票。ベンツ乗る人でも一票。歩くだけの人も一票。自分のショップ(主義)に買い物来る客だけ相手にしてたら、結果は所詮それだけのものなのだ。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:10 | Comment(0) | TrackBack(4) | ニューメディア

2006年09月10日

原点を探して

きょうは政治にやや興味を失いかけている、というよりこの壮絶な狐と狸の化かし合いの世界にほとほと嫌気がさしているわたしは、ブログスタート時の世捨て人の心境にだんだん戻りつつあります。
ブログに参加しているとたくさんの情報に囲まれ、ついつい真剣になって年甲斐もなく自分の意見を述べたりして、それに酔っている自分が嫌です。

以前にも書きましたが本来の自分のスタンスは見たまま、感じたままの子どもの目でありたかったのに、わたし自身が机上の論者になりかけているのを感じたとき、それはもう(自分の)口から出てくる平和や幸せと言う言葉が空しく、何か世の中に貢献できるのではというあさはかな思い上がりにも思えて、人を戒める前に自分自身を見つめ直す時間をとっていかなければならないと思います。

これからもなにも発言しないということではなく、もっともっと純粋に自然に湧き出た清水のように、感じたままの言葉を飾らず人の目を意識せず、書き連ねていけるよう努力したいと思っています。

inukgirl-1.gifもし、世の中にはっきりと正義と悪という役割があるのなら、たとえ天からの命で正義の役を仰せつかっても、そこにおごりや、言葉や力で他を制する気持ちが少しでもわいたなら、それはもう正義ではないのではないでしょうか。
これは以前から感じていたことです。

常に勝ち馬に乗り続けたい気持ちの人たちもいますが(潜在的にはそれが普通だと思いますが)、むしろ勝ち馬に乗る乗らないではなく、乗ってからの己自身のあり方ではないでしょうか。

先日、ラジオでイヌイット(カナダ北部に住む先住民族)の暮らしを研究されている国立民族学博物館の岸上伸啓教授のお話を聞きました。彼らの生計は自然界で捕れる魚や海獣が主で、優れた猟師と、そうでない猟師がいたとしても、獲物は帰りを待っている家族たちに富める猟師が平等に分け与えるのだそうです。与える猟師になんら優越感のようなものはなく、与えてもらう側の猟師たちもそのことを気にせず、自然に共同生活が成り立っているのだそうです。

本当の幸せって何なのか、わたしにとってひとつの課題になるお話でした。(左の写真はイヌイットの少女です・下記参照ページより)
(追加記事)
記事を書き終えた後で(いつものことですが)イヌイットのことが書いてあるホームページを見つけました。北極圏・やや・サバイバル劇場「カナダ北極圏との出会い」ほか・・・ 読んでいて楽しく暖かい気持ちになるページです。ご参考までに。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:38 | Comment(0) | TrackBack(4) | ニューメディア

2006年09月08日

一見は百聞(コメント)に勝る

最近、疲れがひどくて、仕事にも支障が出てはいけないので、しばらくブログ更新から遠ざかっています。もう年なのかなあとボヤくと、周りは夏バテですよと慰めてくれるが、いくら若作りしてもやはり体力は年相応なのです。
きのうは久しぶりに休みをとって、なにもしないでゴロゴロしていました。

興味のあるネタのいくつかを独自取材しているのですが、一介の市民の立場で現場に切り込むには限度を感じます。虎の威を借りても現役のときのほうが何かと有利だったなとあらためて思います。
だが攻め口はいくらでもあります。一番大切なのはこまめに足を使っての現場(体験)第一主義です。

これは最近のニューメディアにかかわる人たちに求められる基本でもあります(ブロガーも)。
足を使わない、机の上だけで書き上げられたニュースや話題だったりするからツッコミどころ満載で、手厳しい読者に攻撃されている姿を、あちこちのウェブ上でみかけます。

なにも背伸びなんかしなくても、自分の目で見たままを書けばよいのだし、この目で見た(体験した)事実は、間接的に得られるいかなる情報よりも勝ります。
ただ、そのときに色気を出して余計な作文したりすると、たちまち袋だたきにあってしまうのです。きょう見たオーマイニュースにもそんな目にあっている記事がありました。

通常のプレスではUPされる以前に、デスクのチェックにかかって人畜無害な記事に手直しされてしまうのですが、どうやらOMNはノーチェックみたいだし、まして投稿している市民記者はほぼ素人です。その怖いモノ知らずというか天衣無縫なところが既存のメディアと違うところだから、それはそれでいいのかもしれません。

学びながら前に進む。
その未完の姿こそが素敵なのです。
むしろ本当に、受け手(わたし)が興味を失ってしまうときが来るとしたら、彼らがベテランライターになったときかもしれません。いつまでも、未完のオーマイニュースの姿であり続けることを望みます。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:46 | Comment(0) | TrackBack(3) | ニューメディア

2006年09月01日

日本版オーマイニュース6日目

おととい書いた泣き言はもう忘れて、もう、いけしゃあしゃあとブログ書いてます。
以前取り上げたオーマイニュースがスタートして早一週間がこようとしています。毎日チェックしていて、気がついたことがありました。

スタート時のモタモタ振りは「想定内」ですが、登録制というハードルがあるにもかかわらず、辛辣なコメントがたくさん寄せられて、それはそれでわたしにとってはうれしいことでした(わたしは関係者でも、市民記者でもありません)。
なぜかというと、その厳しい批判のコメントのひとつひとつが裏を返していえば、待ち望んでいたニューメディアへの期待の表れでもあり、またそれを見事に裏切るスタートはご愛きょうだったのですが、オーマイニュース応援者のわたしでさえその批判コメントを読むたびに納得する点も多く、ひとり頷いてしまいました。

コメントをよせられた方々(登録者)の後ろに、大勢の無言の読者(賛同者かな?)がいます。叱咤激励の言葉は、これが既存のマスメディアだったらただ単に流されてしまうか、体よく拾われてもうまく自紙の賛辞の声として利用されてしまうだけでしょう。相互通信のニューメディアの良さを生かすためにも、編集に携わっている方たちは今後の紙面づくりで、読者みんなの期待に応えていかなくてはなりません。

具体的な紙面ならびにコメントを見たわたしの感想は、一部コメントでもあったように一般社会ニュースの配信は(配給が故に)、メジャーなメディアの後追いの感がいなめず、読者の立場でいえばそれらの情報は「Asahi.com」などニュースサイトを読めば済むことで、その辺のニュースの掘り下げかたとしてはオーマイニュース独自の見解やコメントが欲しいところです。。

もうひとつ気がついたことは、批判のコメントで以外と多かったのが掲載記事の傍観者的視点からの執筆姿勢に手厳しい批判が寄せられたことです。ネットとはいえ新聞という形式をとっていることが、ややもすると報道は中立であるという大儀名分の姿勢が既存のプレスとなんら変わりがなく、ひごろ欺瞞と沈黙のマスメディアに不信感を抱いている読者の厳しい反論の言葉となって返ってきたようです。

署名入り記事を掲載するリスクを考えれば、及び腰になる気持ちもわからなくもないのですが、あなたたちが創始者となって作り上げていくニューメディアです。寄せられた厳しい批判のコメントの中に、期待と不安と応援したい気持ちが複雑に入り交じっていることを感じとれましたか。たとえ心底から批判しているひとたちでもオーマイニュースが、何かを変えてくれるとわかったときには熱烈な支持者に変わるでしょう。いまは、ちょっとひねくれているだけなのです。

読んでいるわたしたちもしばらくは寛容になりましょう。まだハイハイの赤ちゃんなのですから。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 12:28 | Comment(1) | TrackBack(7) | ニューメディア

2006年08月13日

ニューメディア維新到来となるか

既存のマスメディアの在り方が問われている現在、インターネットという新たな通信手段によって、その牙城の一角を崩すべくニューメディアが誕生しようとしている。

「オーマイニュース」。
筆頭株主は。すでに韓国で成功している同名のインターネットニュースサイトではあるが、これに日本のソフトバンクが共同出資し、8月28日の創刊を目指している。市民参加型のメディアを目指すという試みは、すでに「JANJAN]などが先行しているが、その存在にいまいち光るものが感じられず、後発の「オーマイニュース」としてはその轍を踏まない意味でも、実績のある韓国メディアの進出となったのかもしれない。(一介の市民に詳しい事情などわかるはずもない)

shinnbun.gifまだスタートしてもいない新たなメディアの展開を予想するのは新馬の初レースの予想するのに等しく、蓋を開けてみないとわからないというのが本音だ。世間では既存のメディアの限界というか、伝えたくとも伝えられない縛りの中の報道の姿勢が国民の不信を招き、マスメディア離れを生み出している原因ともいえる。

唯、この新しいニュースサイトがどこまで既存のメディアに対抗しようとしているのか、それともまったく別のトラックを走りだそうとしているのか、すべてはそれで未来が決まってしまうような気がする。活字を主とした媒体で既存のプレスに対抗するのであれば、それはペーパーがディスプレイに変わっただけのことであり、すでに産経新聞などが地域限定で試みていることである。

同じことをペーパーで伝えるのと、ネットで伝えるのなら読者はどちらを選ぶか。
それは読者にとって、それぞれのメリットがどちらを上回るかによって決まるのではなかろうか。そのことを考えると同じトラックを走るのはハンディが大き過ぎると思う。既存のメディアの取材特権に対して市民記者がどこまで太刀打ちできるのか、それにかかる時間や経済的負担はと考えていくと前途は決して楽でないはずだ。

即攻性のある既存に対して、もし別の道を選ぶのならそれは中身の濃い持続性のある道を選ぶべきであり、センセーショナルな意味での鮮度は落ちるかも知れないが、本当に真実を知りたい読者の期待に充分応えられるのではないだろうか。
期待倒れで終わらないことを切に望む。

今回の話と直接関係ないのだがインターネットが一般に普及し始めた当時わたしは個人的な意見として、そう遠くない将来、新聞のインターネット配信が来るとプレスの連中に広言していたのだが、そんな想像のつかない話は実感がわかないというのがみんなの反応だった
わたしの意見の根拠となるのはあくまでも経営者側からの視点であり、新聞に係わる彼らの末路を語ることでもあったので多くは語らなかった。
でもそれが実現すれば現場の設備投資を含む物的コストの削減はもとより、それに伴う人件費の削減というメリットは経営者にとって魅力だったはずだ。新聞に占めるコストの大半は宅配というコストと印刷に伴うコストである。もしネット配信が可能となればその二つの要因が一挙に片づく。購読者にとっても、全国一律の早さで最終版を目にすることが出来るというメリットがある。その影にはそれに携わっていた人たちの失職という犠牲も伴うのだが。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 03:26 | Comment(2) | TrackBack(16) | ニューメディア

2006年07月29日

久しぶりの開放感

いつも訪問いただく方々はすでにお気づきのことと思いますが、人気ブログランキング辞めました。

ランニング登録されて順位が上がっていくのは励みになるけど、それが逆に手かせ足かせになっちゃって、順位を上げるためのネタ選びがなによりも優先して、わたしの初心とはぜんぜん関係なく、いわゆる人の目を気にするテレビワイドショーと同じ様なことをやっている(視聴率=テレビ、ランキング順位=ブログ)自分の姿に気がついてあわてて辞めてしまった次第です。

昔、「面白くなければテレビじゃない」なんてふざけたキャッチコピーで視聴率稼ぎしてた在京のキー局がありましたが、おかげで日本一のミーハー女子アナ満載のテレビ局の地位を不動のものにしましたし(まるで芸能プロみたい)、テレビの低俗化にいっそうの拍車をかけた功績は誰もが認めるところでしょう(これ皮肉)。

まあ人それぞれだから、どんな生き方しようとどうでもいいんだけれど、9ヵ月もやって、いろいろなサイトを訪問してみたけれど、ランキングなくても人気になっているブログたくさんあることもわかったし、広く浅くじゃなくて、本当に自分に近いサイト仲間を見つけようとおもったらランキングは別に必要ないと思った。

いまこれだけ言いたいことバンバンいってるが、以前だったら反発が怖くて(ランキングに響くから)発言も優柔不断だったし、イイコブリッコしてた。べつにこれでメシ食っているわけじゃないんだと思い切って辞めてみたら、歯にキヌきせぬ発言が自由にできるっていうのはこんなに気持ちがいいものとは思わなかった。

はなしは変わるけどあれだけ、コイズミだ、アベだ、テポドンだって騒いでいる政治ブロガー連が7月2日の滋賀県知事選挙で自公民相乗りの現職知事を破った社民支持の新人女性知事のことダ〜レも書いてない。
これこそ、どっちでもなびくマスコミの予想を裏切った快挙なのに誰も書かないなんて。

ちなみに「滋賀県知事選挙」で人気ブログの検索かけたら、26日経った今日現在まででわずか65件、そのうち投票結果がわかる2日以前のブログ記事と政党がらみのブログ記事はカウントせず,そして日付違いの同一サイトを1と数え直してトータルすれば実質40数件、人気ブログランキング登録数27万件のブログがですよ。政治ブロガーと銘打っててもサッカー観戦の方が忙しかったのか、それともローカルネタはカウントが上がらないからネタにならない?そして時間が経って旬を過ぎたら、もう食いつきが悪いから取り上げない。そのうちテポドン騒ぎになって、みんなそっちへ関心がいっちゃった。

それって、やってること、ひごろ、あなたたちがけなしているマスコミと一緒だよ。

1次ソースがどうたら2次ソースがどうたら、そんなこと言うの十年早いんだよ。
マスコミ向けのお役所の公式発表以外はみんな自力でソース探してんだよ。ブロガーのみんなと一緒だよ。
それでメシ食ってる連中は、限られた条件や圧力の中で精一杯やってるんだからそれをフォローしてやるのがマイナーなブログの立場だとおもう。あら探して足引っ張って正義感ヅラしてるんだったら、そのへんのネットナントカと一緒だよ。

マスコミって謝らないといけないところで、なかなか謝らない。各社ポリシー持っているから表にでてくる報道も反対側の立場にいる人にとっては許せない表現内容だろうし、そうかといって八方美人的表現だと、また叩かれる。そしてニュースの扱いが小さかったり、取り上げなかったりすると偏向報道だといって叩かれる。伝えない。・・・じゃなくて伝えたくても伝えられない。・・・ってこともあるんだよ。

だからブログ上で取り上げられて、しぶしぶマスコミが後から取り上げた。っていうふうにとらえるのではなくて、ブログで騒がれることが、いままで伝えにくかった立場の者にとって、動きやすくなる・・・?。いわば援護射撃に近いものになってるってこともあるんだよ。
自由主義社会といっても所詮、営利がなりたたなきゃ企業じゃないし、マスコミでもない。周りのあらゆる圧力や制限の中でどう伝えていくかはそれぞれの姿勢だけど、世論が後押しするってことは大きな支えにもなるし、圧力かける側だって世論を無視できないだろう。

だから選挙と同じ。健全なマスコミが育ち、自由に表現出来るためにも世論の力は大きい。マスコミと市民は対立するのではなく、お互いに出来ないことを補い合っていかなければ、やがて権力に負けてしまう。
マスコミは神ではないし、それに携わっているものも、ひとりひとりは唯のサラリーマンだ。

あ〜こんなことランキング気にしてた時はとても言えなかった。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 00:45 | Comment(1) | TrackBack(2) | ニューメディア

2006年07月26日

六十一年目の夏をまじかに

kobe3.gifブログ書き始めてからはや9ヵ月。たまたま書店で手にした本が、ブログを紹介する本だった。本当はPC関係の本を探しに行って、同じコーナーにあった本をパラパラと立ち読みしたのがきっかけだった。

なにか自分でも舌をかみそうな「ブログ」。
この聞き慣れないインターネットサービスがこれからは急成長すると書かれてあって、興味がわいてさっそく買って帰った。ちょうど世間も政治家からタレントまでマイブログで自分をアピールする広報がわりに使い始めたころだった。

地元マスコミのホームページ担当者と、これからのマス媒体としてのインターネットの活用性なんかの話をよくしていたけれど、そのときブログは話題にあがらなかった。おそらく知ってはいたのだろうけどマイナー的要素の強いブログはマスメディアになじまないと思っていたのかもしれない。でもその地元マスコミもいまではホームページのコーナーにブログを開設している。

さてマイブログを立ち上げるにあたって、タイトルとコンセプトを決めなければならなかった。
これが結構、時間がかかった。なんにも考えていなかった。ただ漠然とやりたいと思ったから、自分自身が何を、何故と問い返してみても何も出てこなかった。なにか新しく商売を始めるときにお店の名前を決めたり、どんな営業方針にしていくのかいろいろ考えるときの気持ちは、同じような気分だろうなとそのとき思った。

ようやく1か月余りかかって今のタイトルに決めた。
「石橋を叩いても渡らない」。これは、わたしの実姉がうちの家系というか、親戚というか、自分たちの親も含めてその異常なくらい慎重で用心深いさまを、いつも吐き捨てるように軽蔑を込めて彼女が言っていたことばを思い出した。
若いころは姉と同じように、この妙に小心者の家風が嫌でことごとく反発したが、この歳にになってみると、しっかりと血を引き継いでいる自分の姿に気がついて苦笑してしまう。
時代背景も違うし、一介の地方の庶民が地道に生きていくために必要な生活の知恵だったのだろう。

昨日夜遅く、地元でいまも地道に呉の戦災(昭和20年の大空襲)の記憶を継承されている方のホームページを見た。彼らがつくった呉空襲のビデオも見た。地元高校生が反戦活動をしている姿が写っていた。お年寄りが若者たちに自分の体験を現地で語っている姿も写っていた。見終わった後に制作年月日をみたら1986年だった。その後そのビデオは更新されていない。

あのときの高校生たちはいま30代半ばだ。いまは自分の子どもたちが当時の自分たちと同じ年ごろになっているだろう。親として戦争の話を語り継いでいるのだろうか。それとも20年という長い年月と世の中の繁栄と忙しさの中に遠い過去の1ページとして、もう忘れ去っているのだろうか。

親にせがんで話してもらった昔話の中に、思い出したくもない戦災の話を、ひとつひとつかみしめるように語ってくれた、やさしい母の顔がビデオの画面のなかに浮かんでみえた。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:39 | Comment(1) | TrackBack(1) | ニューメディア

2006年07月16日

続メディアリテラシー

gidan.gif久しぶりにブログにむかうきょうなのだけど社内的にもいろいろなことが山積していて、とりあえずきのうで一段落した。やっと取れた休みなので自宅近所の図書館で貸出予約していた本を受け取りに行ったり、本屋さんに注文していた新刊が到着しているかどうか寄ってみたけれどまだだった。

その間にひとさまのブログはずいぶん更新していて、ワールドカップでイタリアが勝利を手にしたあたりまでは知っているのだけれど、その決勝戦で有名選手のレッドカードざたがあって、ブロガー紙面がにぎわっていたなんて全然知らなかった。

たまたま見た「きっこのブログ」でジダン選手の行為を批判したきっこの記事にたいして反響があったことを再度取り上げ、そのとき寄せられた賛否のコメントを掲載、それにたいしてのきっこの意見が述べられているのを見たのだけれど、後出しのわたしの意見で悪いのだけれどきっこのいうとおりだと思う。

日ごろ、政治ブログ書いている連中が、なぜか感情論だけでジダン選手を擁護する記事が目立ったけれど、それってあなたたちが、日ごろ忌み嫌っているメディアの偏向報道にまんまとのせられてエキサイトしてるだけのことじゃないの。視聴率しか頭にないマスメディアは「なにわ節的人情ばなし報道」が受けることぐらい計算済み。
それに乗っかるなんて・・層視聴者のこと悪く言えないなあ。
とかくプロがアマに批判される時代だけれど、プロの立場からいうと「十年早いよ。人のことを言うのは。」と思う今日この頃です。

きょうはNHK標準用語でワープロしたのだけれど、音声での表現を前提にしているので、非常に使いづらい。慣れればなんともなくなるのかもしれないけれど。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニューメディア

2006年06月21日

久し振りに観た「きっこのブログ」は面白い

きょうも何か書かなければならないという脅迫観念に捕らわれて、あっちこっちニュースみたり、ブログみたりしているけれど、何かピンとこない。それぞれ得意分野があるから、当事者にとっては重大な問題でも関心の無い者にとっては、人の尻馬に乗ってまでエキサイトしようという気にはなれない。

詳しい事情がわかりもしないのに、はやし立てるのは、それは書き手というより単なる読み手の立場からの感情表現だ。表現の自由もあるし、何を書こうと個人の勝手だけど、でも客観的に自分をみつめ直す機会が少しでもあるのなら、本当に自分の考えなのか振り返ってみて欲しい。

そうでないと日ごろ忌み嫌う愚衆の姿がそっくりそもまま自分達の姿になってしまう。自分達だけで世の中が形成されているのならそれでよいが、異なる立場や考えの人たちと共存しているのが現実なのだから、それが嫌だと排他的な言動を吐くのなら、その姿はまさに世界の各地で問題を引き起こしている国々となんら変りはない。強いチーム(自分の)を望むのなら評論家ギャラリーはいらないのだ。

わたしの悪い癖で言葉がいつも抽象的になってしまうのだけれど、それは各々の分野にすべて当てはまる事なので、読まれる方が、それぞれに思い当たるところがあるならば、ちょっとだけ自分の気持ちを引いてみて、外から自分を眺めてみて欲しい。

そんな事を考えながらネットサーフしていて、「きっこのブログ」を覗いたら、今日の記事は楽しかった。彼女一流の、面白可笑しく、身近な話題で書き連ねているのだが、さっき、わたしの書いたこととある意味ではコンセプトが通じる。彼女はそれをうまく皮肉をこめて調理しているところなんかスゴイと思う。書かれて有る事をよ〜く判読すれば笑われているのは、そのまま自分達の姿かもしれないと感じた読者はどれぐらいいるのだろうか。

 

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニューメディア

2006年05月03日

PCを捨てて街に出よう。

最近、ちょっと欲が出てきて、もっとみんなに共感を得られるブログにしたいと思い始めている。
でも自分の心情に逆らってまでウケを狙った記事は書きたくないし、内容的には稚拙でも、何か心に余韻の残るような文章が書きたい。
カテゴリーは「日記」でスタートしたブログだったのに、いつのまにか政治ブログぽくなってしまった。(やっぱり、一番関心があったからかもしれない)

きょうは半日費やして、人様(ひとさま)のブログを政治、文化、はたまた宗教から右系、左系と乱読したが、読めば読むほど頭の中は混乱してもうギブアップ。どれも正論に思えるからだ。
いずれも熱心で、書き手の思いがこもっているのが感じられて、無げに否定できない。でも、好んで読まない限りこんな思いはしたくないというのが本音だ。(疲れた)
わたしの個人的な意見を言えわせてもらえば、ひとりの人間のこころの中には部分的ではあっても、すべての皆さんのご意見にそれぞれ共鳴する要素があって、はっきりと何系とか、何寄りとかじゃなく、混在したものが人の心ではないかと。

わたしが一貫として心掛けているのは、難しい専門知識を持って語るよりも、こどもの無垢な、それでいて残酷な鋭い視点にすこしでも近づきたいと思っている。

たまたま拝見したブログがそうだったのかもしれないけど、皆さんのブログは知識や情報が先行して、ご本人も気づかぬうちに自分の意見として述べられているのが多いように思われる。そのことを否定するのではなく、わたしの言いたいことはもっと実体験を経ての感想を聞きたい。
昔「書を捨てて街に出よう」と言う著名な方の言葉がはやったことがあったが、バーチャル全盛な世の中で、もうそれも無理な時代なのかも知れない。

ずっと以前、テレビで各界ののゲストを交えての番組で、国際政治学者の舛添要一さんがその日のテーマのながれで、わたしの専門分野の話題を語ったことがあったが、プロ(職人)の立場で聞いてると、その発言は薄っぺらく、知識として取り入れたものをただ口にしているだけなのが感じられる場面があって、思わず苦笑してしまった。でも大方の視聴者は彼の肩書きと番組のブランドで信じて観ていたかも知れない。あの舛添さんでさえその程度なのだ。
「生活」は字のとおり、活きた行動でなければ机上の知識で終わってしまう。
若者すべてがというのは言い過ぎるが、日頃ブログに接するにつけ、そう感じるのは「年寄りのおせっかい」だろうか。



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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:55 | Comment(3) | TrackBack(1) | ニューメディア

2006年04月18日

ジェネレーションギャップ2/2

嫌韓ブログが盛況なのにそれに比べて在日の人たちの声が聞こえてこないという(私が見つけるのがヘタなだけかもしれませんが)一方通行のなかで最近同じカテゴリーの中で「コリアン・ザ・サード」と言う在日三世の方のブログが目に留まりました。それを読ませて頂いて少し安心しました。
彼の素直な思いが綴られていることにも感心しましたが、それに対してコメントを寄せられる若い人たちの冷静さや優しさも、ある意味では意外な驚きでした。

いつもこの手のブログを拝見していて若い人たちは過激で怖いというイメージしか持っていませんでしたから、話し合う場をつぶしてしまうような過激なコメントを見る度にわたしは(若い世代に対して)虚しさを感じていました。わたしと同世代かそれに近い人たちは同じ思いで沈黙を保っていた方もいたと思います。

年寄りはとかく「近頃の若いもんは・・・」といつの世も言います。わたしが若いころも自分の親やその上の世代の人たちによく言われていました。お互い分かり合えないのが現実ですが、分かろうとする気持ちは大切です。

「コリアン・ザ・サード」の執筆者やコメント寄せられている若い人たちを見ていると「近頃の若いもんは・・・」のわたしの続きの言葉は「なかなかしっかりしとるじゃないか。たいしたもんじゃ。ワシらの若いころに比べると」となります。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | ニューメディア

2006年03月10日

3月10日現在

独断と偏見を伴った、わたしの私的ブログといえどもある程度の下調べ、つまりウラはとる。

情報丸呑みでろくに反芻もしないまま口から出すことは、街のゴシップ好きの暇なオヤジ連中の仲間入り確実だ。(どこやらの議員さんはそれで議員生命も風前のトモシビですが)


ある原稿のウラをとるためネット検索していたら、参考になるサイトに何件もたどり着いたのに、何故かいずれも途中で筆を折っている。

その廃墟の跡に先人が書き残した資料を、まるで古墳を発掘する歴史学者ような気持ちで「このひとは書き始めた動機はなんだったのだろうか、いまはどうしているのだろうか」と、古代人(サイトの執筆者)を想像する。

ときとして未来への光明を見つけ出すために深く潜り込んだWEBが、ますます深海のごとく暗さを増してそれがやるせなくまた後悔に苛まれる。

真実を知るよりもネットの波打ち際でチャラチャラとサーフィンしているほうが楽しい現実なのかも。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 23:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニューメディア

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