石橋を叩いても渡らないかも?: マスメディア

2006年12月08日

非力だとあきらめるな。

師走真っただ中で、自宅PCの前に座る時間もなかなかとれません。

家に帰ってすぐ就寝。目が覚めたら簡単にRSSリーダーでピックアップされた記事のみ、ざっと目を通してすぐ出社という状態が続いています。

とかく、悪い面だけ伝わって、多くのブロガーの皆さんに不信を買っているマスメディアですが、その問題は言い訳してもしきれないぐらいあるので今回はパス。

心、もとらないながらも、ニューメディアの道を歩み始めた「オーマイニュース」にこんな記事がありました。

「みんなで権力と戦いたい」。これは警察権力に対して、一部の地方紙記者たちの奮戦を語ったものです。社会のさまざまな悪に立ち向かうブロガーの皆さんからみれば、些細な動きとしか受け止めてもらえないかも知れませんが、報道のプロの人間でさえ、真剣にひとつの問題に取り組むと、さまざまな障害に行く手を阻まれるのが現状なのです。

大手マスメディアの鈍い姿勢は批判されても致し方がないとわたしも思いますが、目立たないながらもジャーナリストの志を捨てないで頑張っているひとたちがいることもわかって欲しかったのです。なかなか内部的な苦労話は披露される機会はないので、もし参考になればと思いリンクしました。

仕事として携わっている姿は外目には有利に見えますが、それ故に動けないこと、出来ないこともたくさんあるのです。だからひそかにプライベートな立場でブログや他のサイトでうっぷんをはらしている御仁も多くみかけます。以前にも書きましたが健全なマスコミを育てるのも世論です。

十把一絡げにマスコミ批判するのもいいですが、足りないところを支え合っていかなければ本当のメディアが育たないのです。決して他力本願でなく、ひとりひとりが積み重ねていくことが民主主義の原点だと思うのです。ブログも小さな発言の場ですがその特性を生かせば、だれも無視できない日がくると思っています。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:26 | Comment(4) | TrackBack(3) | マスメディア

2006年11月10日

様々な情報の裏と表

きょうは珍しく長文になるので、すでにご存じのかたや関心の無いかたはスルーしてください。

最近、よくテレビを見る。といっても、ここ一週間です。
みなさんの批判の元凶がすべてテレビが発端になっていると思われるので、現状を見ずして意見を述べるのは片手落ちだと思い、時間があれば見るようにしています。ただしニュース番組だけですが。でも、週明けにはまた見なくなると思います。

みなさんがテレビを重視しているのは、たぶん速報性があるからだと思うのですが、それはあまり意味がないと思います。ただ情報を得るだけならWEBのニュースサイトで十分です。更新の速いメジャーサイトならほとんど同時か、むしろネットのほうが速いくらいです。

限られた時間の枠の中で、しかも視聴率を気にしながらのテレビニュースはさまざまな思惑をかかえながら、視聴者にとって不必要なコメント(ナレーション)や映像で飾られます。本来視聴者自身が判断し、考えていかなければならないことまでテレビが語ってしまうのです。それをあたかも自分の考えと錯覚し、多くの人は見てしまうのです。知らず知らずのうちに不必要なコメントや映像まで、自分の中に受け入れてしまうのです。これはニュースだけに限りません。テレビの弊害は自分自身が「ものを考えなくなる」ことなのです。

わたしはテレビから得られる情報を否定しているのではありません。ただテレビが成り立っている仕組みを考えれば一般企業と同じように様々な条件に制約されているその中での一情報番組なのです。テレビという媒体はエンターティメントからニュースまで幅広い内容を抱えて成り立っています。だからどちらが主でどちらが従なのだというものではないのです。

例えが適切かどうかわかりませんが、街売りの週刊誌と同じなのです。売れなければ雑誌社として成り立っていかない。テレビも同じことがいえると思います。みなさんはご存じかどうか知りませんが、その売れ数(テレビは視聴率)が、掲載してもらう広告の契約率に繋がるのです。

わたしは、ある時期に月刊誌を発刊している出版社に努めていたことがありました。コンビニやマガジンショップに並ぶ様々な週刊誌や月刊誌はお店の買い取りではなく、売れ残ったら全て版元が引き取るのです。一部の人気雑誌以外はほとんど新刊更新時に引き取られます。わたしがいた当時の週刊誌でいえば完売に近い実績を出していたのは1誌か2誌でした。おそらく今もそれは変わらないと思います。では何故売れ残る程、過剰に供給するのか。

それは世間にその存在を認識してもらうため。それが公称何百万部発行の雑誌としてスポンサーがつき、広告収入を得られるのです。その裏には大量の廃棄される雑誌があるのです。極端なことをいえば本の売れた代金なんかお店へのリベート、流通にかかる経費、印刷にかかる経費を引けばほとんど残らないか、下手をすれば赤字です。それでも続けていけるのはその情報媒体の存在によって得られる広告収入があるからです。

これはテレビ、雑誌の世界の話しだけではなく新聞の世界にも言えることです。新聞は値上げのときによく使われる口上に「報道としての中立性を保つ為、この度○○円値上げさせて頂きます」と書かれている社告をご覧になったことはありませんか。本来新聞購読代金50パーセント広告収入50パーセントが理想なのですが、昨今の不況下に広告収入は激減しています。新聞の発行部数も「押し紙」といって供給過剰な新聞を販売店に押しつけています。

雑誌と違うところは売れ残ったらその代金は全てお店が被ることです。それでも販売店がやっていけるのは各社条件がまちまちなので今回は詳しい説明は割愛させて頂きますが、ようするに新聞社も雑誌と同様、広告収入が大事なウェイトを占めているのです。実質販売部数を水増(公称発行部数)し、広告収入を得ようとします。だから余分に押しつけられた新聞を販売店とっては捨てるぐらいなら、タダでも次回契約のために無料で配布したほうがよっぽどいいのです。

長々とまとまりのない駄文を書いてしまいましたが、資本主義経済の中でジャーナリズムを確立するのは容易ではありません。どの情報が真実に近いという基準は無いと思います。それは受け止める人の立場の違いで様々だと思われるからです。ではどうすればいいのか。それはわたしにもわかりません。もしひとつだけアドバイス出来るとしたら最初のほうで述べたように、「自分自身で考える」ことを身につけることです。そのためにちまたにあふれる情報から自分にとってよいものを見つけ出す「目」を養うことです。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 11:30 | Comment(1) | TrackBack(3) | マスメディア

2006年10月30日

無駄遣いの税金とは

pasport.gifきょうの読売新聞ホームページ(YOMIURI ON LINE)30日付けで、旅券申請(パスポート)のネットによる申請を今月末をもって停止すると言う記事が載っていた。

電子政府の樹立というかけ声を聞いて久しいが、その中で2年8か月でこけてしまった外務省のオンライン事業。この間にオンライン申請した人は、わずか300余人。かかった費用は、システム開発費、運営費あわせて40億円である。利用した人数で割れば1人1300万円以上かかったことになる。なんとも高いパスポートについたのだが、その辺がいかにもお役所仕事という感を否めない。

話しは飛ぶが先日、見たテレビ朝日の朝のワイド番組で東京都知事公舎が都心の一等地にありながら、まるっきり利用されていないという。その不動産価値を考えるともったいないと。維持費も税金の無駄遣いだと伝えていたが、その叩き方が軽薄テレビらしいツッコミだったので笑ってしまった。

毎年の赤字が500万円も出ているとレポーターが、さも税金の無駄遣いだといわんばかりだったが、それを聞いてて、あの広い公舎を管理しているにしては500万円なんて、留守番の管理人おけば人件費で消えてしまう金額じゃないの。テレビ朝日のなんて言う番組だったか知らないが(日ごろテレビを見ないので)、馬鹿な企画番組だと思った。巨悪に迫らず、重箱の隅をほじくるような話題で社会正義をきどっている様は、視聴者をなめている。

そのくせ石原都知事に使われていない知事公舎についてインタビューして、「何か有効活用を考えて下さい」と逆に振られてしまった。及び腰でマイク向けている様子もバッチリカメラに写っていて、完全にあしらわれていた。陰では言いたい放題いっているわりには、面と向かうと情けないぐらいのその様子はおおいに笑えた。

金額がすべてではないけれど、取材にあたってしっかりとした下調べもないまま垂れ流すのは、その局の品位を疑う。何でもかんでも税金の無駄遣いだというフレーズを入れさえすれば、ニュースになると思っているマスコミの馬鹿さ加減の一端を見たような気がした。  

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:49 | Comment(0) | TrackBack(3) | マスメディア

2006年10月29日

日曜日のテレビ

うちの社の若い連中が、社内活動のための草案を持ってきて最終点検をしてくれというので、いま校正にかかっています。まだ、会社が発足して間がないため、いちからすべて立ち上げていかなければならないので、年寄りは体よく使われています。

超ミニ会社なので、いまのところ労使とも和気あいあいでやっていますが、若い人たちにとってはこれから末永く在職するであろう職場ですから、キチっと決めておきたいのでしょう。わたしは年齢的に後何年もいられる職場ではありませんが、若い人たちのために微力ながらお手伝いをしています。
tereasa.gif
これはきょうのネットサーフィンしていなかったことへの言い訳(マエフリ)なのですが、おかげで久しぶりに朝から早起きしてテレビを見ました。もっとも、自宅に持ち帰った草案の校正をしながらのテレビ視聴ですからまともには見ていませんが。

報道2001から始まって、サンデーモーニング、サンデープロジェクトとはしごをしたのですが、自分が知らない間に定番化したワイド番組が増えているのには驚きました。ちんけな企画は相変わらずでその辺が商業テレビの限界でしょうか。

でもテレビ局それぞれのカラーが出ていて、それなりにおもしろかったです。
竹村健一さんがまだ生きていたこととか、関口宏さんの頭のシラガが気になったり、浅井慎平さんはまだ写真撮っているのだろうかとおもったり、田原総一朗さんはあいかわらず人の話の腰を折って電波芸者振りを発揮しているし、年寄りはみんな健在というところでしょうか。番組の内容はまるっきり頭には残ってません。

それで思い出したのですが、夜のワイドニュース番組でメインキャスターの隣りにいる解説のひと、某局の。
あのパターンもやめてほしい。相づち打つだけの解説なら不用です。これではみんなテレビから遠ざかってしまうのもわかるような気がします。

久しぶりに見たわたしの感想でした。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(1) | マスメディア

2006年10月21日

あわただしい昨日と今日

やっと体調が回復して(歯痛が治まって)、出社前に記事を書いていたら、共謀罪関連のTBやメールが入って来た。不覚にもこの二、三日は落ち着いてネットサーフする気分ではなかったし、すでにブログ発信されていたかもしれないが、見落としてしまった。(これ、現役の時なら「特オチ」っていうんだけれど) なにも物言わぬマスコミに焦れて、ブロガー連は自分たちで発信しあっている。

昨日も書いたけれど、マスコミは予測記事は書かないのが原則なので「〜らしい」のニュースは、何かの確定記事に関連づけて書くしかないのが現状だ。例えていうならば事件として発生しなければ動かない警察と同じ。

皮肉にも今回の件は、事件となる前に検挙してしまおうというための共謀罪のことだったから、もうそうなると世の中、「〜らしい」ぐらいのことでどんどん先走っちゃって、怪しい奴は逮捕しまくる。マスコミもたいした確証や裏付けがなくても速報してどんどん垂れ流ししまくる。って理屈になる。 
これって、どちらもおかしいのじゃないの。

もちろんマスコミは事実を伝えていく義務はある。そのための正確な裏付けがないと、後々何を書いても週刊誌レベルの報道に成り下がってしまう。(すでにテレビのワイドショーは成り下がっているが) 

以前、どなたかのブログのコメント欄に書いたのだけれど、”マスコミに過度な期待をよせるのはやめましょう。情報は、複数以上のところからとりましょう” これしか身を守る手だてはないのだ。
情けないけど。

ちょっと、はなしは変わるけど、マスコミつながりの話題。
おととい、「世の中の世襲」についての記事を書いたのだけれど、世襲そのものが悪いっていうのではなくて、その世襲によって起こる弊害を当事者たちはもっと自覚しなければならない。っと締めくくったのだけれど、はやくも今朝、目を通したブログでこんなのがあった。

マスコミ不信日記さんの新聞週間に恥を晒す中日「田島暁・田島真一」親子 事件こそ起こさないけれど、できの悪い二代目のはなしはマスコミ業界では意外と多い。それは採用にあたってコネ入社が多いからだ。

今回の件も父親は、いまでも立派な方だろうと想像するが、それゆえにダメ息子がすんなりと社内で生存できるこの社風が日本のマスコミの情けないところであり、現状である。こんなことやっているようじゃブロガー連に他の件で叩かれても反論できない。

イケメン代議士不倫スッパ抜きの山本モナだってそうだ。お母さんが立派なジャーナリストであっても、ミーハー気分の抜けないコネ採用の子では、自分がどんな立場にいるかまるで自覚がない。そんなハクとコネと見映えだけで採用するのがテレビ局のレベルだ。

まじめに社会正義に燃えて、あこがれのマスコミを目指して就職活動をされているみなさん。それでも自分の信念に揺るぎないのなら、はやくコネをみつけて内定しましょう。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 12:13 | Comment(0) | TrackBack(2) | マスメディア

2006年10月13日

いまラジオが面白い(ただし限定・広島の人だけ)

どこから仕事でどこまでプライベートなのかわからない日々に追われている毎日ですが、世相を知るにもテレビを見る暇もない (ではなくて見ないか?)ので、ネットか移動中のカーラジオが、もっぱらわたしにとって貴重な情報収集源です。

これまでは国営放送オンリーだったのですが、今日は朝から国会中継で、しかも与党側の公明党議員が続いたので、とうとうチャンネルを替えてしまいました(詳しくはネットの参院中継でも見てください)。とはいってもAM放送はあと地元民放1チャンネルしかないので、しかたがないなあという気分で切り替えました。

ありきたりのCMがカーラジオから流れ続けるのをぼんやりと聴いていました。

最近は「創価学会」提供がらみのCMがよく流れるので民放は嫌だったのですけれど・・・。案の定、今日も朝から流れています。でもワンクッション置いて、次のCMタイムの提供は日教組だったのでハンドルを握っているわたしはおもわず吹き出してしまいました。

なんという、我が地元ラジオ局の懐の広さ (ではなくて、右でも左でも構わないという地元民放ラジオ局の台所事情か?)。

kannsidokei.gifでも、番組内容は良かった。
この度の北朝鮮核実験への世相についてだったのだけれど、インタビューゲストは「広島平和研究所」(広島市立大学)所長の浅井基文さん。アナウンサーのいろいろな問いかけに厚く心を込めて語って頂いて、平和について真剣に取り組まれておられるのが窺えました

詳しい内容は、ここでは書ききれないのだけれど、北朝鮮を無謀な行動に至るまで追い込んだ、アメリカ政府のこれまでの対応を痛烈に批判されておられました。そしてアメリカの友好国として助言し、正すべく日本政府が、むしろ率先してアメリカに追従している姿勢を、嘆いていらっしゃいました(唯一の被爆体験国なのにと)。
(写真は地球平和監視時計)

ラジオはいいですね。これがテレビだと、いちばん盛り上がっているときに、「はい、ここでちょっとコマーシャル」なんて、わざとやっているのかなと思いたくなるようなCMが入りますから。

つぎは26年ぶりにリーグ優勝した日本ハムが北海道道民にとって、どれだけ心の支えになっているかと、そしてここに至るまでの地道な道民レベルのいきさつが、これまたインタビュー形式で現地から伝えられて胸が熱くなりました。
同じように地方球団を持っている広島市民のわたしは、すっごく、よくわかります。


参考サイト  広島平和研究所(広島市立大学) http://serv.peace.hiroshima-cu.ac.jp/index.htm

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:39 | Comment(2) | TrackBack(5) | マスメディア

2006年10月10日

北朝鮮核実験の報道について

kakujikkenn.gif北朝鮮核実験一報で連休がブッ飛んでしまった感がありますが、ミサイル発射騒ぎのとき同様、大騒ぎしているのはお調子モノのマスコミだけで、脅威だと煽り立てることによって日ごろ国民世論をどちらかに誘導したい人たちにとっては、まさに棚ボタです。

アジア周辺諸国にすれば、これを契機に日本が専守防衛の拡大解釈に走るほうがもっと脅威です。すぐとは言いませんが潜在的核保有国の日本なら原発用の核を軍備に転用することなんか簡単です。○菱重工あたりは密かにそうなることを期待しているかも知れません。

ほんとうに北朝鮮が核実験を行ったとすれば(わたしは、まだ半信半疑なのですが放射能調査結果の公式発表を待つばかりです。地震は別のやりかたでも起こせますから)それは決して喜ばしいことではありません。でも国際社会の側からみれば、一部大国とそれに追従する同盟国だけが騒いでいるのではないのでしょうか。

国連で北朝鮮非難決議が採択されましたが、これとて人道的な見地ですべての国々の賛成を得られるでしょうが、内心は事が大国どうしの論理によって進められていく現状を、こころ良く思っていない国連加盟国は多いはずです。

号外が出た広島市内でも、被爆体験者の方々に街頭インタビューがありました。その中のお一人(男性)が、実験の報道を悲しく受け止めていらっしゃいましたが、その言葉の終わりに北朝鮮の核実験を非難する声明が核保有大国側から出ている不自然さを見事に突いていらっしゃいました。

ローカルニュースでは流れましたが、全国ニュースではこの方のインタビュー部分はカットされていました。客観的被爆者の言葉より、いまは北朝鮮非難一本にまとめ上げようとする意図が感じられます。

常日ごろ、さまざまな報道がなされていますが、一つ事ですべてを論ずることは危険です。報道する側からすれば、現象をピックアップし、その中から最もエキサイティングな部分をつなぎ合わせて所定時間に納めます。彼らはそれを使命と思っていますjから。

だが切り捨てられた未使用の部分もすべてなのです。みなさんもニュースというものを受け止められるときに見える映像からその背後の見えない部分まで想像を拡げて関心を持ってください。
それは容易ではないことも事実ですが。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:10 | Comment(0) | TrackBack(21) | マスメディア

2006年10月01日

物事の本筋を外さない人

ちょっとマイブログから遠ざかって、気がついたらもう一週間。
何か書かなくてはとチョット焦っている気分のきょうこのごろです。

以前は、熱心にテレビ見ていたときもあったのですが(職業的義務で)。ちょっと話題の方のインタビューやなんか真剣に見ていました。会見が終わったときにわたしのまわりにいた女子事務員さん(いまはOLと言うのも差別用語なのです)に感想を求めると、「うん。きょうはネクタイの色がスーツに合っていてステキだったあ〜!」。おいおい!そんなこと聞いてないよ。
ニュースを見てもドラマを見ても、いつもこんな感想しか戻ってこない。本当に女の人って、男とは別の視点を持っているのだなと思うのです。(肝心の内容はまるっきり覚えてなかったりして)

hosonogousi-2.gif最近、某政党イケメン代議士と某テレビ局美人キャスターの密会現場がパパラッチされていましたが、これなんか視覚刺激的要素の最たるものでしょう。スクープとして伝えたい側(写真週刊誌)にとって本人たちの日ごろの人間性や個人的感情なんか、むしろ邪魔でしょう。それまで積み重ねられた「まじめな良いひと」のイメージとの落差がねらいなのです。

話は最初に戻ります。
全然テレビを見なくなった今のわたしは、もっぱらラジオかネットで情報を得ています。
だから話題に取り上げられるゲストやキャスターがイケメンだとか、どんな色のネクタイを締めているのかもわかりません。もし、わたしのそばに女子事務員さんがいて、ラジオで聞いたことの感想をたずねたら何て応えるでしょう。(ひょっとしたら、しゃべりかたが早口だとか、声のキーが高いとかこちらの想像を超える答えが返って来るのかも知れませんが)

本当に最近は社会ニュースと銘打っていても芸能ニュースもどきのテレビにはあきれてしまいます。客観的に伝えるべき内容以前に彼らの結論ありきで、それから逆に本題の内容説明に戻る手法は視聴者の自由な想像を遮断して、視聴者を無意識のうちにひとつの方向の結論へと導きます。

だからわたしは女の人のネクタイの色にしか興味を示さなかった視点をちょっと羨ましくも思ったりもするのです。(彼女たちはメディアの意図的誘導なんかおかまいなしだもんなあ〜、すげえ)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 15:53 | Comment(2) | TrackBack(1) | マスメディア

2006年08月30日

自分の考えを持つことの大切さ

supigura.gif最近、急激に政治ブログに興味が無くなってしまった。
きのうまでは自分だって声を上げて、何だかんだと叫んでいたのだから、こんなことを言うのは無責任きまわりないのだが、かかわればかかわるほど迷路に迷い込んでいくようで、いったい何のために記事をアップしているのか自問自答することも多くなり、いっそ原点に省ることも必要なのではとおもっている。

もともと用心深い(タイトルどおり)性格だから人の尻馬に乗るほど単純ではないが、自分が職業としてカメラマンを志した動機は、すでにまわりにマスメディアという生活環境があったからで、同世代の人たちよりも社会に関心を持つきっかけは十分であったと思う。でもその時点では年相応の若者であり、先輩たちの話の輪に入っていくのは容易ではなかった。いつもつまらない質問をしては笑われていた。
心の中で、いつか対等に話ができる自分に成長してやるのだという思いがあって暇を惜しんでは読書もし、先輩たちのいう話題の映画やテレビ映像、世界の名だたる写真家の作品展から写真集まで機会あれば見て回った。それは、ただ単に早く一人前に扱ってもらいたいがためだった。

当時は一人前になるまでの過程において、先輩たちが手取り足取り教えてくれるような時代ではなかった。わたしは仕事中も仕事を終えた後も、腰巾着のようにつき歩いて、先輩たちの言動を一言一句、一挙一動を見落とさない様、常に注意を払った。これが自分にとってのマニュアルでありテキストだと思った。わからない話題でも常にメモし、書店や図書館にいって資料をあさったけれど、ようやく手に入れることが出来た資料の内容が難解で理解できないまま部屋の片隅に積み上げてしまうことも珍しくなかった。

そういう日々が何年か経過したある日、わたしが師匠とあがめていた先輩が「○○君は、映像で何をやろうとしているの?」といきなり質問をぶつけられ、ドギマギしながらも「わたしは社会にたいして、自分が今学んでいることによって(映像が)何か出来るのではないかと・・・・・」「ふ〜ん。カメラは手段だよ。この金属の箱が何を生み出すっていうんだい。君自身が何もないカラッポのままなら、写る映像もそのままなのさ・・・・。」
数年間、アシスタントを始めて、向こうから指導らしい声をかけてもらったのはカメラ露出の設定(当時はすべて手動設定だった)と、この時の問いかけの答えの二つだけ。それから程なく先輩(師匠)の元を離れ自力で職を探し、自分の出来る能力を面接にいっては売り込んで、長らく業界に住み続けることになってしまった。

でも、あのときの餞別ともいえる先輩(師匠)のひと言は、自分自身の考えを培うことが表現者として一番大切なことなのだとわたしに送ってくれた貴重なひと言だったとおもう。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 15:50 | Comment(1) | TrackBack(3) | マスメディア

2006年08月23日

無題

もう、若い人たちの新聞離れが進んでいるといわれて久しい。
テレビ・ラジオ欄を見るためだけに新聞を取っているという人にとって、ネットで番組欄が簡単に見れることはその時点ですでに新聞の利用価値がない。わたしなんか、一杯のモーニングコーヒーで、時間かけて三紙も四紙も朝刊読む客だから、行きつけの喫茶店にとってはどうでもいい客なんだろうけど。

shinnbunn.gif地元紙もあるのだけど、なぜか内容が散漫で、おまけにニュース配信が遅い。全国紙が一斉に取り上げている記事がどうかすると翌日の朝刊に載ったりする。一昔前ならいざ知らず、このオンラインの時代にいくら共同からの配給だからといってそれはないだろうとツッコミたくなる。要は編集のセンスの問題だろう。しかももっとも得意としなければならない地元ネタでさえ全国紙のローカル版に内容で負けたりするのだ。でも地元での宅配シェアーは圧倒的に強い。それは記事でなくて折込みチラシの量が多いから?。変なことで優位性を保っている。悪くいえば新聞ではなく、日刊タウン情報紙だ(そういえば記事紙面より広告紙面のページ数が多い)。

ローカルがローカルとして存在価値を確率するためには、対等に中央紙と渡り合おうなんて思わないことだ。それは新聞に限らずテレビの場合もそうである。地元各ネット局の主力番組はすべてキー局のヒット番組。それをただ配給しているに過ぎない。かなり以前から地元局自主番組の充実が叫ばれているが、粗末な予算とセットではたいした番組も創れない。まあ、無理して視聴率上がらない自主番組創らなくても、親方(キー局)日の丸で食えるのだから、新聞よりは楽。

全国ニュースでトップに取り上げられるような事件が勃発しても、そのときは中央本社(新聞)やキー局(テレビ)から取材クルーが続々と乗り込んでくる。地元スタッフはパシリを仰せつかって道先案内をするだけ。官も民も中央集権の上意下達システム。情報操作なんて思うがまま。

だが維新は来る。既得権益に安眠を貪れるのもいまのうちだけ。庶民を侮るな。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:01 | Comment(0) | TrackBack(4) | マスメディア

2006年07月09日

伝えるものの役割

b&h.gif本当は、書きたいこともあるのだが個人に関する事件はあえて避ける。当事者しか知り得ないことにくちばしを挟むのは、それがたとえ同情の意見だったとしても関係者の人たちの心中(しんちゅう)を考えると筆が進まない。

若い頃に自分がやってきた、他人の居間に土足で踏み込むような日々は、いくら職業とはいえ何の抵抗もなくなっていく自分が嫌で、よくすぐ上の上司と衝突し議論した。「コロシ三年、カジ八年」(注:殺人現場取材は三年で慣れるが火事現場の場合は八年かかる)。冷静に取材ができるようになることを例えた言葉だが、他人の不幸がメシのタネなんて因果な商売だ。いつも暗い話題ばかりじゃなかったからよかったのだけれど、いずれにしても周りの目なんか気にしていて出来る仕事じゃないことも事実。気にならないのではなく、あえて気にしないように意識した。初めのうちは。

いまでも覚えているが、夕方のラッシュ時に大通りの中央分離帯のようなところで、「街の様子を撮れ」と初めて一人で任されたときは、バス停や電停の大勢の群衆がみんな自分を見ているような気がしてカチカチにあがってしまった。心のどこかに、自分がやっていることは社会正義につながるんだと言い聞かせ、それが行動のささえになった。だが、やがて自分の信念と違う路を進んでいることに気がついたとき、その世界から足を洗った。

いまはインターネットを通じて自由に情報が交換出来る時代だ。既存のメディアも自分たちの存在意義を見つめ直さないといけないところまできている。ネットのみんなが言うようにマスメディアのすべてを批判する気にはなれない。だが、彼らがいまのままで居続けるのはもっと愚かだと思う。

通りの中央に立たされて、足がガタガタ震えたあの純な気持ちを持ち続けられるならば本当の社会正義に近づけるかもしれない。ペンが剣に勝るのはもはや過去の幻想なのだろうか。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 07:23 | Comment(0) | TrackBack(1) | マスメディア

2006年06月02日

わたしの反省(最近のニュースの事)

cyushaihan.gif6月1日、改正道交法施行よる放置駐車の取締りが始まった。この二日間、街中走ってみるののだけど、ぜんぜん見かけない。(違反車両も取り締まりの駐車監視員も。マスメディアを通じてあれだけ予告した効果か?)

我が、広島県は2業者26人と出ていたが2人1組で廻るとでていたから、実質13箇所の地点での取締りとなる。そのうち呉市と福山市は広島市から30キロと100キロも離れているからそれぞれに駐車監視員を置かないとカバー出来ないから、その2箇所4人を引くと広島市内は22人11箇所の取締りとなる。初めての試みなのでどれぐらい効果があるか、実施されることによって新たな問題点も発生が予想されるので、そのときは速やかな手直しがされることを望む。

今回の改正には自転車の事故につながる危険な運転に対する具体的な指導と罰則が盛り込まれている。わたしのブログでも(4月14日付け)、交通事故の中での自転車を含む(関わる)事故が大きなウェイトを占めて来ている現在、早急な対策が望まれると書いたが、結論実施は今秋と見られていたのに予想外の早い実施に驚いている。これも周知徹底されることによる効果を期待したい。

今の時代はいろんなことが複雑に絡み合い様々なかたちで問題を発生させており、ひとつひとつを検証し解決に持っていくまでには困難や疑問も予想されるが、国民生活の向上という最終目標のために手を拱(こまね)いていても何も解決しないし、枝葉末節な議論は本筋の目標を見誤らせる。

きのうラジオでニュースを聞いていたら社会保険庁の今回の問題に関して解説していたが、民間の知恵を導入して新たな道を見出そうとする行動(方針)が、現場の認識とのギャップがあまりにも大き過ぎて、そのひとつに公務員特有の事勿れ体質が足を引っ張るかたちとなったことが原因として取り上げられていた。わたしは日頃見ないテレビを見てて、長官の居直りとも言える発言と彼の不幸にも生まれ持った人相の悪さが相乗効果を生み、誤って長官を責めてしまったが(他ブログで)、後になって冷静に考えてみると、公務員がどれほど新しいことや改革に消極的な集合体であるかということの、読みの甘さの点については長官は責められても致し方ないと思う。しかし続行を命じられた以上、汚名挽回の為に本当の成果を出して貰わないと今度は本当の悪党になってしまう。

たまたま見たテレビニュースが、誘導ともとれる記者団の質問が長官の本音を引き出した点は評価するが(うっかり喋った長官の態度は別の見方をすれば正直であり、もしこれが老練な官僚上がりの長官ならそんな本音はおくびにも出さず、遺憾の意を述べて在り来たりの答弁に終始していただろう。それは耳障りは良くても後に不満が残る。)

わたしもいつもは偉そうなことをマイブログで述べているが、今回は度々取り上げているメディアリテラシーの難しさを改めて感じた(体験した)。マスコミは責任を一点に集中し、視聴者の不満のはけ口のの為のスケープゴード狩りをし、わたしもまんまと乗せられてしまった。国民が本当に求めているのは、多少の不満は伴っても納得のいく行政の在り方であり、ドジ踏むたびに首のすげ替えや、トカゲの尻尾切りでお茶を濁されていたのでは何も変らない。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:21 | Comment(1) | TrackBack(1) | マスメディア

2006年05月30日

続・両刃の剣(マスメディア考)

takesi.gifきのうは「ビートたけしのTVタックル」を見た。予告のバンセン(番組宣伝)で公明党を取り上げていたからだ。どこまで切り込むか興味があったが、やはりこちらの期待を裏切らず、和やかな玉虫色番組(皮肉!)に終始した。

マスコミの書けない七つのタブーのうちのひとつ「宗教」をバックボーンに持つ政党だけに視聴者の関心は、その辺にあるのだろうが、それにはほとんど触れず、それがかえって見終わったあとに、この党の曖昧さをより感じさせた。
たけしはあいかわらずボケに徹して、それが彼一流の「しょせん娯楽番組」という位置付けの精一杯のアプローチなのだろう。こういう番組作りの構成が三流誌ぽくって、真面目な視聴者にとってはいつも不満が残るのだろう(マジメに観るなって!しょせん娯楽番組なんだから)。
このあいだからメディアリテラシーということを念頭に入れて様々なメディアに接してきているのだけど、わたしにとって構えてまで警戒心を持つメディアは見当たらない。もしかしたら、すでに自分に取り入れるときに無意識に取捨選択しているのかもしれない。
 この間国民投票法案の審議入りにあたって提出された与党、民主両党の案に一抹の不安を感じたその日の夜、同世代の同業者と意見交換したのだが、メディア規制をしないということはそれに向かって行く為政者の立場でいうと、金に糸目を接げないでその道のプロ(広告製作サービス業者)にイメージ作りを委託して、マス媒体をフルに活用すれば疑いを持たない国民はマインドコントロール出来るのではないかと、そうなると国民投票に委ねられた案の中身より、宣伝上手な方に票が流れてしまうのではないかと、ま、こんな事を話しながら夜を明かしたのだが、考えてみればもう既に、それは始まっているのかもしれない。
 
国民にとって一番大切なことは誰の為の政治なのかということなのだが、それを見守り判断する側(国民)の受けとめ方にも時代の流れや、価値観の変化がある。
一部のイデオロギーに固執した政党が凋落していったのも、持論が正しいと言う信念だけでは、人はついて来ないことを早く悟るべきだった。(それを人々が無能だから自分たちの主張が理解を得られないのだという見地から、いまも行動しているのならもう救いようがない時代錯誤だ)
マスメディアは両刃の剣だ。嫌悪感を持つ以前にその効力がいかに絶大か、敵に回すよりも味方につけて自分たちをアピールすることも必要だ。

もともとひとびとのしあわせのためにあるのですから「ますめでぃあ」は!。
 

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(2) | マスメディア

2006年05月29日

両刃の剣

takajin.gifもう半年近くテレビを見ていないのだけれど(半年前に数回見ただけ)、自分でもメディアリテラシーのことを取り上げるようになって、いろいろ人のブログも読んだりして、まじめに取り組んでいくうちに、どうも槍玉に挙がっているのはメディアの中でもテレビのことらしいと気がついた。

日ごろテレビを見ないわたしが、現状を知らないで記事を書くのもおかしいので、みんながよく話題にしている番組から見てみようと番組欄を見てたらよみうりテレビの「たかじんのそこまで言って委員会」っていうのがちょうど30分後にあるので、チャンネルを替えて初めて見たのだけれど、以前見てた(今は見ていない)「たけしのテレビタックル」の関西版みたいで期待ハズレだった。

やしきたかじんのキャラはよく知っているから、もっと鋭いツッコミがあるのかと思っていたし、OFF関東エリアの利点を活かしているかなと思ったけれど、しっかりハサミ(編集)が入って当り障りのない番組になっており、これがマスメディアの限界かなと思ったりもした。
サンケイ新聞に脱税ヨバワリされた橋下弁護士も出ていて、何か言ってたけれど、あの人の場合はそれも有名税だし、そのことについて反論の場も与えてもらえるからいいけれど、これが一般人だと世間の制裁にあったりして、単なる誤報で済まされなくなるので悲惨である。


わたしが駆け出しの頃、局の留守番をやってたら、ある一市民の方が前日の誤報記事の訂正を求めて来られたことがあった。お伺いしたら、掲載された各紙すべてを抗議に回られたとの事だったが、いづれも門前払い同様だったという。わたしはどうしてよいのか解らず、上司に伝えて後日返答するという事でお帰り願ったのだが、結果的にはそのままだった(上司に放っておけと言われた)。ご商売されている方だったので、取引先からの問い合わせや抗議の電話で大変な状態だといわれており、気の毒に思ったがどうしようもなかった。(いまなら市民意識が高いから状況は違うと思うが)

マスコミはペンを剣にして権力と闘うものだが、矛先があらぬ方向に向かってもそれを認めようとしないのは、今も昔も変らない。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:36 | Comment(1) | TrackBack(1) | マスメディア

2006年05月16日

わたしのブログに訪れて頂いてる皆さんへ

わたしのいつもお邪魔させて頂いてるブログで「メディアリテラシー」なる奇怪なタイトルの記事が掲載されておりまして、自分の五感だけで生きてきた原始生活人の一番苦手とする横文字にはいつも苦労しております。
情報化社会での自己防衛意識みたいなもんだと、交通ルール守っていても赤信号無視して飛びこんでくる人や車もいるから己の身は自分で守りなさいっていう意味とおんなじと解釈していいのかな。


昼下がりの下町のバス道(みち)は車の往来が少ない。そのバス道を車で走っていると、前方をお年寄りがユッタリと横切っていく。それも斜めに。何人も何人も。
とおる車のほうがそのペースに巻き込まれて、なかば諦め顔で、みんなお年寄りの後をスローペースで続く。こういう情景の中に、わたしは束の間の幸せを感じる。


正直いってゲームに参加するのは嫌だ。
犯人探しするみたいに、諸悪の根源はどこにあるのだと、井戸端会議や床屋談義やってるうちは楽しかったけど、それを超えちゃうともうそこに残されるのは妥協なき責任感だけ。

アマチュアとプロの違いはそれで食っているかどうかだけで、制約がない分アマチュアのほうが無限な可能性を秘めているからプロ以上のことが出来るというのが本来の姿。
だけど現実にはプロを乗り越えられない。
何故か。

わたしは長年続けた仕事のご縁で、趣味の世界で実力を発揮されている方々に大勢お会いしてきました。彼らの果てしない向上心に少しでもお答えできればとアドバイスを添えることもありましたが、その度に返ってくる彼らの言葉は「いや、所詮趣味ですから・・・」何度、その言葉を聞いたでしょう。
プロに逃げ道はありません。(きょうび、プロらしからぬプロも一杯いますから判断を誤るかも)

匿名ブロガーの気楽さをこえるには、もう齢を取り過ぎました。


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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:42 | Comment(2) | TrackBack(1) | マスメディア

2006年01月27日

天邪鬼(あまのじゃく)

ライブドア事件が気になってひさびさにテレビのニュース番組をみました。

(情報としてはインターネットによって様々な角度からの情報や意見はすでに覗けていたのですが、静かな画面(パソコン)から得られる情報は、街の喧騒が伝わってきません。あえて長い間、みなかったテレビのスイッチを入れました。)

マスメディア(テレビ)の圧倒されるあの勢い。どの局に切り替えてもキャスターやレポーターの自信をもったあの独特の口調、みるものすべて『ドキュメンタリーニュース』というドラマに、視聴者は引きずり込まれます。

このドラマのキャスティングは豪華です。業界の知識人、評論家、政治家、同業者、みんな異口同音に言います。そう思ってたと(まるで百年も前からわかってたかのように)。

もしこういう場で反対意見やホリエモンに同情する声なんか出してもかき消されるでしょう。

こういうときのマスコミの論調は「少年時代から協調性の無い子だった」とか「友達の少ない子だった」とかアラ探しに懸命です。

昨日までは美辞麗句でさんざん持ち上げといて、そのおかげでずいぶん視聴率稼がせてもらってたくせに。今日はよってたかって袋叩き。

わたしに言わせばこれがホントのマスコミによる風説のナントカだよ。


出る杭は打たれる。これがわたしたち日本社会。


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posted by ゲゲゲのイチロー at 01:06 | Comment(0) | TrackBack(2) | マスメディア

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