石橋を叩いても渡らないかも?: 大衆のこころは

2006年08月18日

大衆のこころは

わたしのオヤジが生きているころによく言っていた言葉に「戦争は必要だ。破壊がなければ大きな需要は生まれない」。明治生まれの貧農の小せがれだったオヤジにたいした学もなく、そんなことを口走っていたのは何故なんだろう。どうせ何かの受け売りかもしれないが、亡くなった今となっては、その考えがどこから出てきたのか知るすべもない。

parade-1.gifだが、戦後60年も経った今現在、世界で起こっている破壊(戦争)は常に正義という大義名分のもとで勃発し、それらがみな戦いの終わった後、罹災国の復興支援という美しい言葉で飾られたその裏で、ハイエナ共の絶好の餌場になっている現実をみれば、あながち無学のオヤジのあの言葉も嘘だったとは言えない。

オヤジの言葉を借りれば「大東亜戦争(太平洋戦争)はもっと早い時期にアメリカ本土を叩くべきだった。そうすればアメリカは戦意喪失して、早い時期に停戦に持ち込めたのに。ソ連は不可侵条約を結んでいたからあの時点では交戦してくる可能性はなかったのに」
当時の日本の戦闘能力や輸送能力を考えれば、どだい無茶な床屋談義なのだが、過去に自国が戦場になった経験のない両国双方の素朴な国民感情だったかもしれない。

でも、いまでも戦争をやりたがっている国の国民感情が過去の戦争を教訓とせず、その国の(戦争好きの)為政者に絶大なる支持の声をあげるのは、やはり自分の頭の上に爆弾が落ちてこないからかもしれない(戦争を知らない世代が大多数になっている日本も同様)。

大衆はおろかだ。いつの時代も愛と名誉のために進んで自分の身を投げ出すのに、それによって得られるのは、小さな墓の下に入る道をたどるか、生き延びても、お上発行の名誉だけ。でも多くの庶民はそれが生きていく上のささやかな誇りなのかもしれない。

八月十五日の靖国神社は例年になく大勢の人出だった。それに関してどうこう言う意見は、わたし自身は持たない。ただ終戦のこの日を過去を振り返る記念日とするならば、これから生き続けるわたしたちは、何が幸せの道なのか、ひとりひとりが考える日でもあるのだ。

このページの一番上の記事へ戻ります

posted by ゲゲゲのイチロー at 12:58 | Comment(0) | TrackBack(2) | 社会
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

冤罪を覆す
Excerpt:  無実の罪で10ヶ月も拘留された藤佐悦寛(とうさよしひろ)さん(28)がニュースになった。朝日新聞(7月2日付け朝刊)で、「なぜ逮捕 なぜ疑う」という記事が載った。  事件の概要は次である。  「東..
Weblog: 関係性
Tracked: 2006-08-19 11:10

東京招魂社(靖国神社)
Excerpt: 栗本慎一郎さんの「パンツをはいた純一郎」(『週刊現代』2005号12月24日号掲載)からの引用です。  靖国神社参拝問題で、小泉は中国、韓国の怒りを買っていますが、靖国神社に対して、彼は何も..
Weblog: 喜八ログ
Tracked: 2006-08-21 20:47

最新のTOPページへ

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。