既存のマスメディアの在り方が問われている現在、インターネットという新たな通信手段によって、その牙城の一角を崩すべくニューメディアが誕生しようとしている。
「オーマイニュース」。
筆頭株主は。すでに韓国で成功している同名のインターネットニュースサイトではあるが、これに日本のソフトバンクが共同出資し、8月28日の創刊を目指している。市民参加型のメディアを目指すという試みは、すでに「JANJAN]などが先行しているが、その存在にいまいち光るものが感じられず、後発の「オーマイニュース」としてはその轍を踏まない意味でも、実績のある韓国メディアの進出となったのかもしれない。(一介の市民に詳しい事情などわかるはずもない)
まだスタートしてもいない新たなメディアの展開を予想するのは新馬の初レースの予想するのに等しく、蓋を開けてみないとわからないというのが本音だ。世間では既存のメディアの限界というか、伝えたくとも伝えられない縛りの中の報道の姿勢が国民の不信を招き、マスメディア離れを生み出している原因ともいえる。
唯、この新しいニュースサイトがどこまで既存のメディアに対抗しようとしているのか、それともまったく別のトラックを走りだそうとしているのか、すべてはそれで未来が決まってしまうような気がする。活字を主とした媒体で既存のプレスに対抗するのであれば、それはペーパーがディスプレイに変わっただけのことであり、すでに産経新聞などが地域限定で試みていることである。
同じことをペーパーで伝えるのと、ネットで伝えるのなら読者はどちらを選ぶか。
それは読者にとって、それぞれのメリットがどちらを上回るかによって決まるのではなかろうか。そのことを考えると同じトラックを走るのはハンディが大き過ぎると思う。既存のメディアの取材特権に対して市民記者がどこまで太刀打ちできるのか、それにかかる時間や経済的負担はと考えていくと前途は決して楽でないはずだ。
即攻性のある既存に対して、もし別の道を選ぶのならそれは中身の濃い持続性のある道を選ぶべきであり、センセーショナルな意味での鮮度は落ちるかも知れないが、本当に真実を知りたい読者の期待に充分応えられるのではないだろうか。
期待倒れで終わらないことを切に望む。
今回の話と直接関係ないのだがインターネットが一般に普及し始めた当時わたしは個人的な意見として、そう遠くない将来、新聞のインターネット配信が来るとプレスの連中に広言していたのだが、そんな想像のつかない話は実感がわかないというのがみんなの反応だった
わたしの意見の根拠となるのはあくまでも経営者側からの視点であり、新聞に係わる彼らの末路を語ることでもあったので多くは語らなかった。
でもそれが実現すれば現場の設備投資を含む物的コストの削減はもとより、それに伴う人件費の削減というメリットは経営者にとって魅力だったはずだ。新聞に占めるコストの大半は宅配というコストと印刷に伴うコストである。もしネット配信が可能となればその二つの要因が一挙に片づく。購読者にとっても、全国一律の早さで最終版を目にすることが出来るというメリットがある。その影にはそれに携わっていた人たちの失職という犠牲も伴うのだが。
「オーマイニュース」。
筆頭株主は。すでに韓国で成功している同名のインターネットニュースサイトではあるが、これに日本のソフトバンクが共同出資し、8月28日の創刊を目指している。市民参加型のメディアを目指すという試みは、すでに「JANJAN]などが先行しているが、その存在にいまいち光るものが感じられず、後発の「オーマイニュース」としてはその轍を踏まない意味でも、実績のある韓国メディアの進出となったのかもしれない。(一介の市民に詳しい事情などわかるはずもない)
まだスタートしてもいない新たなメディアの展開を予想するのは新馬の初レースの予想するのに等しく、蓋を開けてみないとわからないというのが本音だ。世間では既存のメディアの限界というか、伝えたくとも伝えられない縛りの中の報道の姿勢が国民の不信を招き、マスメディア離れを生み出している原因ともいえる。唯、この新しいニュースサイトがどこまで既存のメディアに対抗しようとしているのか、それともまったく別のトラックを走りだそうとしているのか、すべてはそれで未来が決まってしまうような気がする。活字を主とした媒体で既存のプレスに対抗するのであれば、それはペーパーがディスプレイに変わっただけのことであり、すでに産経新聞などが地域限定で試みていることである。
同じことをペーパーで伝えるのと、ネットで伝えるのなら読者はどちらを選ぶか。
それは読者にとって、それぞれのメリットがどちらを上回るかによって決まるのではなかろうか。そのことを考えると同じトラックを走るのはハンディが大き過ぎると思う。既存のメディアの取材特権に対して市民記者がどこまで太刀打ちできるのか、それにかかる時間や経済的負担はと考えていくと前途は決して楽でないはずだ。
即攻性のある既存に対して、もし別の道を選ぶのならそれは中身の濃い持続性のある道を選ぶべきであり、センセーショナルな意味での鮮度は落ちるかも知れないが、本当に真実を知りたい読者の期待に充分応えられるのではないだろうか。
期待倒れで終わらないことを切に望む。
今回の話と直接関係ないのだがインターネットが一般に普及し始めた当時わたしは個人的な意見として、そう遠くない将来、新聞のインターネット配信が来るとプレスの連中に広言していたのだが、そんな想像のつかない話は実感がわかないというのがみんなの反応だった
わたしの意見の根拠となるのはあくまでも経営者側からの視点であり、新聞に係わる彼らの末路を語ることでもあったので多くは語らなかった。
でもそれが実現すれば現場の設備投資を含む物的コストの削減はもとより、それに伴う人件費の削減というメリットは経営者にとって魅力だったはずだ。新聞に占めるコストの大半は宅配というコストと印刷に伴うコストである。もしネット配信が可能となればその二つの要因が一挙に片づく。購読者にとっても、全国一律の早さで最終版を目にすることが出来るというメリットがある。その影にはそれに携わっていた人たちの失職という犠牲も伴うのだが。


「経済格差」の拡大を庶民に押し付け、それを確固とした権力によって押さえつける仕組み作りが、ヤシクニ参拝です。
現状をひっくり返す行動――アメリカの広島・長崎への原爆投下、北ベトナムへの北爆、北朝鮮のテポドン発射、周辺国が反対しているにも拘らず日本の海外侵略の正当化――は同じです。
私は「経済格差」が様々なところで、表現されていることを明確にしていこうと思っていますが、私はブログだけでは終わらず、行動もするつもりです。