石橋を叩いても渡らないかも?: 文化は与えられるのではなくて自分たちがつくるもの

2006年07月30日

文化は与えられるのではなくて自分たちがつくるもの

4月30日のわたしのブログでも取り上げた広島郵便貯金ホールの廃止が来年3月というリミットを直前にし、広島県の藤田知事は郵政公社から県が買い取る方向で行くこと明らかにした。

a.nvah1.gif存続をのぞむ関係者や市民にとってたいへんうれしいニュースだが、県財政がひっ迫している中での英断ゆえ、市民が利用することの要望だけではなく、これから自分たちの手で守っていく自覚も必要だ。
複合施設ではなく純粋なホールということもあって、収入は利用者のホール使用料のみという環境で年間6千万円の赤字を出し続けたことは稼働率の悪さを物語っている。現在、平日の夕方から夜にかけてのもっとも利用されるであろう時間帯の3時間の料金は約30万円である(土日祝日は5万円アップ)。年間赤字金額をこの料金で割れば、単純に200回(日)公演があればペイ出来るのだが、土日祝日を除く200日使用は、現在、最も利用されている土日を加えれば、早い話が一年中なにかやっていないと赤字になるということだ。
文化(スポーツも)という栄養はお金がかかるものなのだ。でも必要不可欠なのだ。

コイズミ政権の郵政民営化の流れによって利益の出ない施設の切り捨てという、ただ単に帳尻あわせの論理が間接的には国民生活の文化の切り捨てにつながっている。利益の出ない施設の存在を認めないのなら、世の中の文化はゲーセンとパチンコ屋しか生き残れない(ちょっとオーバーだけど)。

終戦の無の状態から始まった日本の復興で、人々が一番先に求めたのはおなかの空腹を満たすこと。そして次に求めるものはこころの空腹を満たすこと。それは読書であり、音楽であり・・・・・。人間は水とパンのみで生きているのではない。こころが満たされない状況をうむことに何の疑問も持たない為政者がつかさどる政治の国の民は不幸だ。

ホールが県の施設になれば、とりあえずは存続の危機は乗り越えられる。だが、これからかかるであろう赤字を解消するには?
稼働率をあげること。極端なことを言えばタダで使用される公演があってもいい。市民や県民が使うのなら光熱費だけでもいい。だってこれからは市民や県民のモノだもの。これで収益があがらなくてもちゃ〜んと後払いでもっていかれます。税金で。赤字補填というかたちで。
だから目一杯利用しよう。無駄な空き日が出ないように元をとればいい。



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posted by ゲゲゲのイチロー at 12:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ローカル(行政)
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