石橋を叩いても渡らないかも?: 伝えるものの役割

2006年07月09日

伝えるものの役割

b&h.gif本当は、書きたいこともあるのだが個人に関する事件はあえて避ける。当事者しか知り得ないことにくちばしを挟むのは、それがたとえ同情の意見だったとしても関係者の人たちの心中(しんちゅう)を考えると筆が進まない。

若い頃に自分がやってきた、他人の居間に土足で踏み込むような日々は、いくら職業とはいえ何の抵抗もなくなっていく自分が嫌で、よくすぐ上の上司と衝突し議論した。「コロシ三年、カジ八年」(注:殺人現場取材は三年で慣れるが火事現場の場合は八年かかる)。冷静に取材ができるようになることを例えた言葉だが、他人の不幸がメシのタネなんて因果な商売だ。いつも暗い話題ばかりじゃなかったからよかったのだけれど、いずれにしても周りの目なんか気にしていて出来る仕事じゃないことも事実。気にならないのではなく、あえて気にしないように意識した。初めのうちは。

いまでも覚えているが、夕方のラッシュ時に大通りの中央分離帯のようなところで、「街の様子を撮れ」と初めて一人で任されたときは、バス停や電停の大勢の群衆がみんな自分を見ているような気がしてカチカチにあがってしまった。心のどこかに、自分がやっていることは社会正義につながるんだと言い聞かせ、それが行動のささえになった。だが、やがて自分の信念と違う路を進んでいることに気がついたとき、その世界から足を洗った。

いまはインターネットを通じて自由に情報が交換出来る時代だ。既存のメディアも自分たちの存在意義を見つめ直さないといけないところまできている。ネットのみんなが言うようにマスメディアのすべてを批判する気にはなれない。だが、彼らがいまのままで居続けるのはもっと愚かだと思う。

通りの中央に立たされて、足がガタガタ震えたあの純な気持ちを持ち続けられるならば本当の社会正義に近づけるかもしれない。ペンが剣に勝るのはもはや過去の幻想なのだろうか。


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posted by ゲゲゲのイチロー at 07:23 | Comment(0) | TrackBack(1) | マスメディア
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