石橋を叩いても渡らないかも?: 体験することは必要なのか

2006年07月01日

体験することは必要なのか

ずっと前、何かの番組で黒柳徹子さんご自身の好奇心について語られたことがあって、電気製品を買って来た時に、その取り扱い説明書の最初の部分に「やってはいけない事」項目があって、彼女にとってそれが何故やってはいけないのかすごく気になって、一通りやってみてるのだという。(最近は何故やってはいけないのか、具体的に理由を説明してある説明書も増えてきた)

彼女のユニークさの一端を表わす話だったのだが、これはある意味では「なぜ?」と疑問を懐いたら、それを解明する為に行動に移して見る。この単純なことが意外と出来ない。いや疑問さえ浮かばない。というのが普通ではなかろうか。
そんなこと気にしなくても取りあえず、生きていけるから?
生きていくことが大変な時代には運命に翻弄される前に、人々は自分自身でそれを克服する為に様々な事を試み、挑戦してきた。それが教訓になり、歴史となって継承されてきた。

でもその平穏な時代が長く続くと継承が継承のための学習となり、その学習も活字や画像で伝える臨場感のないものになってしまう。だからといって実体験が必要なのか、地震や水害は体験したほうがよいのか。戦争は。

333.gifアメリカの海外派兵は世代が交代していく事によって実体験の継承が薄れていくのを防ぐ為だと言う説もある。
わたしも自分の地元で、戦争経験(旧海軍・厳密には出兵直前で終戦)最後の海上自衛隊地方総監の退役式に立ち会ったことがある。総監は経験者のいない、これからの自衛隊を愁うオフレコの言葉を残して退役された。

何年か前、広島市近郊で戦後初めての大規模な水害に見舞われた事がある。
そのとき最新の情報収集の手段を駆使できる能力と壮備のある行政がその機能を発揮出来ず、罹災地域を拡大させてしまったことがあった。ある筋に言わせば社民党推薦の現市長がイデオロギーにこだわって地元陸上自衛隊の災害救援の要請を最後までこだわったからだという。隣市の呉市では過去の災害の教訓に基づいて、早々と地元海上自衛隊に災害救援を要請し、市消防局との連携で被害を最小に抑えた。(平和宣言都市と旧海軍・現海自の街との違いか?)

わたしは今風の政治ブロガーにいわせるとサヨクである。この言葉は嫌いだ。わたしの世代の大半はこの言葉には皆、違和感を感じていると思う。もし言ってもらえるならば、リベラルとか革新とか言って欲しい。若いブロガー連から革新なんて言葉を聞かなくなったのは、現在の左に位置している政党や運動家たちが旧態然と、硬直した思考回路で行動している様を見て、革新でなくて(保守)だと思っているのかも知れない。

わたしは、自主防衛の拡大解釈の大きな流れに一抹の危惧を感じている。この平和ボケの中にある自衛隊の身の置き場の無い現状に、関係者たちの焦りがあることも遠巻きながら感じる。だが、わたし自身は存在(自衛隊の)を否定するほどの理想主義者でも無い。現実は現実として受けとめたい。存在の是非は別として。

この世から争いが無くなる事が一番理想であることは事実だが。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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