石橋を叩いても渡らないかも?: しあわせって?

2006年05月27日

しあわせって?

昨日は何も頭に浮かばなくて外出する直前に無理やりヤッツケ記事を仕上げてしまったけれど、反応はモロ最悪。手抜きはいけないことだと日頃、人さまの批判記事書いているのに自分が手抜きしてたんじゃ、このブログも微弱な揺れにも耐えられないかもしれない。

朝は、会社の近くの喫茶店でモーニングコーヒーなんだけれど、来店する客は朝のラッシュを避けて早めにマイカーで出勤した人たちが会社が開くまでの束の間のモーニングタイムだ。

職業も色々だけれどみんな顔なじみだから、声かけなくてもこころの中で互いの確認をしている。混み合うときは相席になるのだが、そのとき初めて会話交わして何時も見かけたオジサンがじつはご近所(会社が)の自動車販売店の社長さんだったり、川向こうの女子高の校長先生だったりするから面白い。
でも普段は自分の指定席(みんな勝手にそう思っている)で、それぞれ朝刊読んだり、なにか仕事の書類のチェックしてたりしてるので話しかけることはしない。

みんなが勤め先に向かった後のガランと空席ばかりが目立つころに、暇なご隠居さんやオバちゃん連中がダベリに来る。この人たちはお話(会話)が目的なので、いつ帰るのか判らないのだけど、暇な店内も枯れ木の賑わいで、やっと手の空いたマスターも調理場から出てきて話の輪に加わる。

以前はマスターは働きづめで休憩をとるということをしない人だったから、三年前、とうとう仕事中にぶっ倒れてしまった。救急病院に運ばれ、即緊急手術となったのだが、長年の不摂生が祟って術後も予断を許さない状態だった。みんな心配して(毎朝の行き着けのお店がなくなるのではと、別の意味で心配してた人もいたが)面族謝絶が解けると、それぞれがお見舞いに行った。
ベットに横たわる童顔のマスターがまるで別人のように老け込んで、お互いの目線が合ったとき、わたしに気がついて彼が何か言おうとして口を開くのだが言葉にならない。手術の為に剃った頭のネットが日頃の彼の印象を変えてしまって痛々しい。彼は同郷のひとつ下の後輩なので自分のことのように悲しかった。あの明るい笑顔がもう見れなくなるのではと不安だった。

いつも忙しくてテレビを見なかった(つけなかった)マスターが、いまはご隠居さんやオバちゃん連中と一緒にテレビのワイドショーを見ながら盛り上がっている。その時間だけ退院後から来てもらっているパートさんに任せて遅い朝食とりながらみんなと話してる。
わたしはそばで見ているだけで話の輪に加わらない。

人のしあわせってなんだろう。

みんな毎日を一生懸命生きてきて、健康ならばこうやって老若男女にかかわらず、会話がはずむ。隣に出来たマンションのおかげでテレビの映りが悪くなったとご隠居さんは嘆く。オバちゃんはカラオケ仲間が新しい店見つけたからいまから行くのだとメール打つのに余念が無い。

雨があがったので、わたしは店を出て遅い帰宅の路についた。



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posted by ゲゲゲのイチロー at 11:52 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
こんにちは☆
そうですね、私も親族を多く癌で亡くしていて
病院独特の雰囲気や、身の置き場のない状態をよく知っています。
死んでいく人になんて声をかけていいか、こちらが励まされたときはなんとも言えない気持ちでした。
祖母の延命治療の同異も判断しなければならなかったときもあります。
そういったとき、本当に人間は”生きて幸せ”と言える人生をはたして送ることができたのだろうか?と自分の中で疑問の沸くものでした。
私もそういった意味でも、人生の意味を探しています。
言葉で、”幸福の形”を表せることができたらいいなと、ブログを立ち上げました。
よろしかったら遊びにきてください(^^)”
http://3good-diary.seesaa.net/
お邪魔なようなら削除ねがいます。
Posted by さつき at 2006年05月27日 15:39
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