石橋を叩いても渡らないかも?

2007年01月30日

わたしもひと言。国民投票法案

きょうも時間がないので駆け込み記事になります。

前々回の記事の終わりに国民投票法案のことについて書きたいと記したまま終えてしまいました。その間に他のブロガーの皆さんがどんどん書かれているので、いまさらわたしの生半可な見識など述べてもしかたがないと思い、ちょっと視点を変えてわたしの意見を述べてみました。

なぜ、宮崎県知事選の(わたしの)記事の中で国民投票法案のことにふれたいと書いたのかといいますと、ご存じのように宮崎県知事選の結果が無党派層を先頭に、すべての党に有権者の政党離れ現象が起き、結果として東国原氏が勝利したわけですが、これは彼の政治的手腕に期待してというよりも、最も政治臭のしない、しかも知名度だけはしっかりあるっていうことが一番の決め手だったのではないでしょうか。

あの玄人っぽい臭いのするプロ政治家よりも、政治に関する知識や経験はほどほどでも、何も匂わない知名度(有名人)のある人に期待する気持ち。そしてそういう人に投票する気持ち。
これは、かっての石原さんや青島さん(お二人とも素人ではなかったが)、田中康夫さんなんかがそうであり、政治家ではない別の部分の知名度が、なによりも彼らを有権者に選ばせる大きなキーポイントだったのではと思われるのです。

選挙とひとくちにいっても、首長を選ぶ選挙は議員を選ぶ選挙とは違い、個人の魅力が本人の政治的スタンス(思想)以上に、有権者にとって決め手になるという要素でもあり、どちらかといえば人気投票に近いものがあると思います。

今回は、国民投票法案の是非についての具体的な記事は他のブロガー連にお任せして、わたしは、もし賛否を問う国民投票(選挙)が実施されると仮定したら、問題は有権者が直接、結果を選ぶということ、しかもYESかNOしか選択の余地がないということの二点だろうと思います。このような選挙(国民投票)をすることは上記にあげた首長選挙と同様、人気投票に近い有権者の判断が命運を左右するだけに、大きな危険をはらんでいると思うのです(憲法改正のための国民投票だった場合などを仮定して)。

近い将来実施されるであろう国民投票は、人を選ぶわけではないのですけれど、自公民、合意の修正案次第では、金や組織力を挙げての宣伝合戦になるのではと危惧するのです。いま現在、両党が提出した修正案が曖昧なのは、どちらも未来の覇権者は自分だと思っていますから、自分たち都合いいようになっています。

そんなことに明け暮れるスタイルが公然化したPR活動(選挙活動)になってしてしまうと(アメリカのように)、本当の政策の中身より、インパクトの残る(人の場合は知名度)ことだけが一人歩きしてしまい、結果的には何か内容のわからぬままに好印象のほうへ人々は投票してしまうという恐ろしいことになってしまうのではと思うのです。

国の一生を決める大事な国民投票(選挙)をカーニバルしてよいのでしょうか。

だから今回の国民投票法案に向けての与党の精力的な活動に一抹の不安を感じるのです。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:44 | Comment(1) | TrackBack(5) | 政治

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