石橋を叩いても渡らないかも?

2007年01月31日

大巾修正、きのうの記事。

きのうは、出かけ間際になって記事を書いたものだから (いつものことですが)、けさ自宅に帰って読み直してみると、なんのことやら、まるっきりわからん (これも、いつものことですが)。

よって、より理解していただけるように、わかりやすく丁寧に時間をかけて書き直しました。

もし、読むのが苦痛(?)でなければ、再度、前日の記事に目を通していただければと思います。

もし、お読みになって、きのうと何も変わらんじゃないかと思われた方は、かなり読解力のある方だと尊敬申し上げます。

なにせ、自分で読んでも理解不能だったため、半分以上書き直しました。そんな拙文なのに理解いただけたとは。
でも、ほとんどの方はそうでないと思われますので、よろしくお願い申し上げます。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 06:54 | Comment(25) | TrackBack(25) | 政治

2007年01月30日

わたしもひと言。国民投票法案

きょうも時間がないので駆け込み記事になります。

前々回の記事の終わりに国民投票法案のことについて書きたいと記したまま終えてしまいました。その間に他のブロガーの皆さんがどんどん書かれているので、いまさらわたしの生半可な見識など述べてもしかたがないと思い、ちょっと視点を変えてわたしの意見を述べてみました。

なぜ、宮崎県知事選の(わたしの)記事の中で国民投票法案のことにふれたいと書いたのかといいますと、ご存じのように宮崎県知事選の結果が無党派層を先頭に、すべての党に有権者の政党離れ現象が起き、結果として東国原氏が勝利したわけですが、これは彼の政治的手腕に期待してというよりも、最も政治臭のしない、しかも知名度だけはしっかりあるっていうことが一番の決め手だったのではないでしょうか。

あの玄人っぽい臭いのするプロ政治家よりも、政治に関する知識や経験はほどほどでも、何も匂わない知名度(有名人)のある人に期待する気持ち。そしてそういう人に投票する気持ち。
これは、かっての石原さんや青島さん(お二人とも素人ではなかったが)、田中康夫さんなんかがそうであり、政治家ではない別の部分の知名度が、なによりも彼らを有権者に選ばせる大きなキーポイントだったのではと思われるのです。

選挙とひとくちにいっても、首長を選ぶ選挙は議員を選ぶ選挙とは違い、個人の魅力が本人の政治的スタンス(思想)以上に、有権者にとって決め手になるという要素でもあり、どちらかといえば人気投票に近いものがあると思います。

今回は、国民投票法案の是非についての具体的な記事は他のブロガー連にお任せして、わたしは、もし賛否を問う国民投票(選挙)が実施されると仮定したら、問題は有権者が直接、結果を選ぶということ、しかもYESかNOしか選択の余地がないということの二点だろうと思います。このような選挙(国民投票)をすることは上記にあげた首長選挙と同様、人気投票に近い有権者の判断が命運を左右するだけに、大きな危険をはらんでいると思うのです(憲法改正のための国民投票だった場合などを仮定して)。

近い将来実施されるであろう国民投票は、人を選ぶわけではないのですけれど、自公民、合意の修正案次第では、金や組織力を挙げての宣伝合戦になるのではと危惧するのです。いま現在、両党が提出した修正案が曖昧なのは、どちらも未来の覇権者は自分だと思っていますから、自分たち都合いいようになっています。

そんなことに明け暮れるスタイルが公然化したPR活動(選挙活動)になってしてしまうと(アメリカのように)、本当の政策の中身より、インパクトの残る(人の場合は知名度)ことだけが一人歩きしてしまい、結果的には何か内容のわからぬままに好印象のほうへ人々は投票してしまうという恐ろしいことになってしまうのではと思うのです。

国の一生を決める大事な国民投票(選挙)をカーニバルしてよいのでしょうか。

だから今回の国民投票法案に向けての与党の精力的な活動に一抹の不安を感じるのです。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:44 | Comment(1) | TrackBack(5) | 政治

2007年01月29日

小さな中国のお針子

33.gifYhoo動画でタイトルに惹かれて「小さな中国のお針子」を見ました。原作・監督・キャスティングも中国人、言葉も中国語なのですが、実は2002年のフランス映画です。ラストのクレジットがフランス語で何分も続くのが印象的でした。(Gyaoでもやっています)

1970年当時、中国文化大革命の粛清の嵐に巻き込まれていく、二人の青年のつらくもほろ苦い青春の思い出を、山深い寒村に住むひとりの美少女を中心に描かれた映画です。

メインキャストの若者たちが、当時のわたしとダブるストーリーだったので、さまざまなことが思いだされる感慨深い映画でした。そういう意味ではわたしにとってリアリティのある筋書きの展開は当時の中国の一端を冷静に描写しており、あとでフランス制作だと知って納得出来ました。(現社会主義の中国では作れないでしょう)

視聴レビューを見てみると、世代によって受け止め方が違うのも、当時のことを事後の歴史としてしか知らない世代の人たちには無理もないと思いました。

いま中国が空前の経済成長を成し遂げていますが、そこまでの過程は、まさに日本が何十年か前に歩んできた道をたどっているに過ぎません。耐えられない貧しさから脱出したい国家は、紆余曲折ながらも経済成長を目指しますが、それが果たしてよかったのかどうかは、後に生きる人のみ知ることです。

舞台が社会主義中国の寒村という設定や、登場してくる人々の素朴さのレベルの差こそあれ、彼らの心理や、ささやかな価値観は高度成長とともに人の心も生活も、急激に変わってしまった過去の日本にも通じるところです。

でも、山道を徒歩で何時間もかようような昔の生活に戻りたいとは、いまさら誰も思わないでしょう。

文明の進歩によって得られる新しい文化と生活。

それと引き替えに失って行くものは、
美しい山河。
原始的ながらも生きていくためだった人々の知恵。
素朴な自然への崇拝。

前に進むしかない時の流れは、わたしたちに何を与えてくれるのでしょうか。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(3) | エンターティメント

2007年01月22日

そのまんま東氏、宮崎県知事選勝利を見て

言葉ではうまく言えないけれど、わたしは運命のようなもの。なんと表現したらよいのか、なにか人の力の及ばぬ天の力のようなものがあるのではと思っています。お断りしておきますが、わたしは特定の宗教や神道とは、一切かかわりはありません。

出だしからオカルトめいたあいさつになってしまいましたが、本題に入ります。

きょうは朝から自宅にいたので、ノンビリしていました。あいかわらずテレビは見ないので、きのうの宮崎県知事選の結果がそのまんま東氏に決まったことはネットの記事で知りました (それもJANJANのアップ記事で)。
それから、マスメディアの記事をひととおり閲覧したのですが、おおむね好意的な掲載が多かったように思います。うがった見方をすれば常に勝者になびくマスコミ体質とも言えますが。

それから午後になってそのまんま東氏勝利をテーマにしたブログ記事がぽつぽつとアップされて来ました。みなさん素直に勝利を喜んでいる様子がうかがえました。

わたし自身はたいした感動も無く、さりとて彼がお笑いタレントだったという偏見もありませんでしたから、当選した事実は別に不思議にも思いませんでしたが、ただ宮崎県民が何を基準にして彼を選んだのか、そのことが非常に興味ありました。

詳しいことはらんきーブログさんの記事を参照してください。(大幅な手抜き!)
まだ当選結果が発表された翌日では分析結果を早計に結論づけるにはいまひとつ不安が残りますが、四月に広島市長選挙を控えているわたしたち市民にとって、あのタレント顔負の元フリーアナウンサー、参議院議員、自民党タカ派の柏村武昭氏の出馬が控えています。

だから、そのまんま東氏の当選は分析結果次第によっては、わたしにとって新たな不安材料となるのです。

まず、彼(東氏)に投票した県民が彼のタレントとしての知名度にひかれたのか?(特に無党派層)、それとも彼の真摯な立候補決意が県民の心を揺り動かせたのか?非常に気になるところです。数少ない彼の立候補にあたっての情報では演説のうまさや、インターネット上に具体的なマニフェストの公開。宮崎県の課題についての勉強ぶり。

しがらみのない清廉さを強調し、旧知の芸能人仲間の応援もすべて断った事実。愚直なまでの草の根遊説。これらのどこを評価して一票を投じたのでしょうか。

これは本人の人間性を冷静に評価して投じられた結果なら、単なるわたしの取り越し苦労なのですが、淡い期待と目新しさだけで選ばれたのならば、それは浮動票が立候補者の真の姿を見抜けぬままに選んでしまう怖さも秘めていると思います。

今回のそのまんま東氏当選の結果は、別の機会に書こうと思っていた国民投票法案成立に向かっている与党の流れに危惧しているわたしにとって、早急に記事を書かなければと決意させました。早い時期に、そのことは掲載したいと思っております。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:52 | Comment(2) | TrackBack(8) | 政治

2007年01月20日

なぜ書き続けるのか

個人的な日記ブログでスタートしたのに、いつのまにか政治ブログもどきになってしまいました。

政治ブログもどきと書いたのは、わたしのコンセプトは決して大仰な主義主張を訴えるのが目的では無く、マイブログのサブタイトルに掲げているとおり、「裸の王様」が家臣や民衆に見えもしない (まといもしない)晴れ着を褒めそやされ、それを眺めていた子どもたちが「王様は裸だ!」と叫ぶ。そのまっすぐな視線を貴方自身、失いかけていませんかという問いかけのブログとして書き始めたのです。

見えていることを「見える」。感じていることを「感じる」。
このあたりまえといえばあたりまえのことが、なぜか人は大人になっていくと口に出せない。いや、口に出せないのではなく、ほんとうに見えなくなっていたり、感じなくなっていたりするのです。

おかしいと思えば相手が与党だろうと野党だろうとに関係なく書きたいのです。疑問をぶつけたいのです。だから確固とした主義主張のあるブロガーのみなさんからみれば、立ち位置の定まらない野郎だと思いでしょうが、わたしからみれば身内だから、支持しているからとかということで口をつぐんでしまうことは決してあってはならないと思うのです。

そうでないと人を批判する記事を書く資格はないと思います。そうでないと結果的には、自分自身へのお返しとなって批判される側となんら変わらないことになってしまいます。たまたま書いた記事がどちらかに寄っているように見えてもわたしの場合、それは寄っているというよりは素直に感じたままを優先させたに過ぎません。

だから人にレッテル張りをすることも、されることも嫌です。良いと思う意見はどなたの意見でも受け入れ、間違っていると思えば批判もします。

以前から思っていたことなのですが、日本人の成熟度がいまでも低いと思われることの一つに自分の視点に基づいた自己主張がないことです。わがままとは違います。例え、自己主張だと本人が思っていても単なる他人の意見の借り物だったり、同じ色合いもの同士の横並びの姿勢をみていると、つくづく日本人だなと思うのです。

でも、この記事を読まれる方を想像し、言葉を選びながら書いているいまの自分に、わたし自身脱しきれないものを感じていることも事実です。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 23:07 | Comment(1) | TrackBack(4) | 日記

2007年01月19日

タダのありがたさを振り返ってみよう。

きょうも外出前の駆け込み記事なのですみません。

以前記事に書いた広島郵便貯金ホールの存続問題なのですが、結局、県が買い取ると言うことで決着。県民にとって大切な文化の灯火が消えることを食い止めることが出来ましたが、では毎年続く赤字はどうするのかということで、初の県民債を発行することになりました。

一口一万円なのですが、大変良いアイデアだと思います。利殖としてはこの低金利の時代、何の魅力もありませんが、文化を愛する人たちにとって、自分たちの施設は自分たちで守るという自覚ができる効果があります。

また、いつもの例え話に飛びますが、カルチャー教室や、スポーツジムで高い受講料を払ってまで何故、人々は通うのでしょうか。もちろん、自宅では得られない高い知識や、ハイレベルのマシーンを使えるというメリットはありますが、それ以上に月謝を払っているから利用しないと勿体ないという気持ちが、より通う気持ちに拍車をかけるのでしょう。

とかく、タダならなんでもいいという風潮がありますが、タダほど高いものはないことも現実ですし、またなにかに取り組むことや学ぶときにタダだと有り難みが薄れてしまい、やめるのも簡単という弊害があります。

長い前振りになりましたが、わたしが言いたかったのは、ちまたにあふれる情報や文化はタダでも得られる恵まれた環境にいまの日本はありますが、それが人々の気持ちに、本来得られることのありがたさを忘れさせてしまっているのではないかと言うことです。

ここで、おもいっきり話は飛びます。
民放マスメディア情報もタダです。例年、行われる地方選挙や国政選挙もタダです。
でも、それらを受け止める市民の側の慎重な選択と運用は、タダであるが故に有効に生かされていないと思います。
最初に書いたように自分たちの施設なんだと言う気持ちで文化に一口参加する意識と同様、もっと色々なこと(政治)に関心を持って取り組むことを望みます。

だって、それらはすべてわたしたちの生活に跳ね返ってくることなのですから。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 22:33 | Comment(0) | TrackBack(3) | 社会

2007年01月16日

つかのまの帰宅

いや〜。仕事が忙しくてブログから遠ざかっています。
たまに家に帰って(?)ひとさまの記事をチェックするんだけれど、それもほとんど斜め読み。

いま、社内もちょっとした内紛(小嵐)でゴタついているので、けさは社長と個人的に話し合い。
わたしはほかの社員と出勤時間も違うし、利害も絡んでいないので双方から意見を求められるのだけれど、ハッキリいって困っている。

逃げになってしまうけれど社長にアドバイスしたのは、明確な指針を打ち出したほうが良いと言うこと。それから、トコトン話し合う必要があるということを伝えた。

世の中、政治の世界も、経済社会も対立するモノ同士の疑心暗鬼が、よけいに解決の手だてなるはずの道をを迷路化してしまう。

とにかく、話し合いしかない。
わたしはみんな好きだし、きのうまで仲良くやってきたのだからなんとか元に戻らないかと思うのだが。

きょうはまったくの日記になってしまいました。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:43 | Comment(0) | TrackBack(2) | 日記

2007年01月12日

不眠不休?のわたし

マイカーが壊れたままだから出勤できない(いつもの言い訳?)。
でも、買い換えるお金もない。そこで自分で直すことにした。
言っておきますけど、こう見えても車つつかせたら整備士並み(自画自賛)。

でも好きでやるわけではない。ただ貧乏なだけ。
やる気満々なのだけど悲しいかな、そこは素人。
バラしてみれば次から次へと修理箇所が増えて終わりそうにない。
いつまでも休んでいる訳にもいかず、きのうはタクシーで出勤(金も無いのに)。

たまりにたまった仕事かたづけるためにきょうの昼過ぎまでかかった。
午後二時過ぎにようやく自宅に帰ったが、隣のニイチャンがめずらしく玄関先で声をかけてきたので立ち話。きのう奥さんと離婚したのだという。
なんか誰かに聞いて貰いたい、そうでなければ辛くてたまらない、っと言う雰囲気なので、ついつい話し相手になっていたら、ドンドン時間が経っていく。
おいおい!、おれはきのうから一睡もしていないのだ勘弁してくれよ。
小一時間つきあって、ようやく話が途切れたから、ほうほうのていで自宅に入った。
帰ってからも何やかや、やらなきゃいけないこと部屋で片付けていたら、疲れからいつのまにかそのままうたた寝。

おかげできょうも、また遅刻(いつもの言い訳?)。
でも、きょうは会社から借りてきた車で出勤なのでラクチンなので〜すう。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:43 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2007年01月11日

A quiet diary

けさ、ちょっとした調べモノのため、検索サイトでキーワードを入れて検索をした。

調べたい業種のホームページにたどり着きたかった、と いうよりは、ちゃんとたどり着けたのだけれど目的の項目が見つからなくて、しかたがなく同じキーワードのほかのサイトをパラパラと (実際はネットだからパラパラじゃなくて、クリックなのだけど) めくっていたら、偶然あるブログにたどり着いた。

それは日々の出来事や気にとめたことなどを書きつづっているだけなのだけれど、いつもそこで終わっている。プロフィールも見てみたけれど、中年の人でごく普通のかたみたいだ。でも、過去ログまでさかのぼって全部に目を通してみても、一行としてご本人の感想 (意見)が書かれていない。

何だかキツネにつままれたみたいな気がしたが、よく見ると、そんな記事でもコメントが来ている。それもどこかのブログへ訪れたお礼のコメントだ。彼のブログは決して自分の意見を書かないのに、どこかへ出かけていっては、ちゃんと何か言っているらしい。

こんな、もの静かなブログもあるんだ。そのかたが関心をもたれて、書かれた記事のながれをみれば彼が何を言いたかったのか想像できる。日ごろ、あたりまえだと思っているわたしたちのほうが騒々し過ぎるのかも知れない。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

2007年01月08日

オーマイニュース(店・仮想)を訪れて

年末から正月にかけてずっと出勤状態のわたしにとって、新たな年を迎えたことで気分一新のスタートをはかりたいところですが、このダラダラと続く毎日は精神的疲労もピークに近く、記事を書く意欲もわかない状態でした。

連休初日、空の雲行きが怪しくなった頃、いつものようにマイカーで出社しようとしたらエンスト。
わたしの足となって走り続けてくれた愛車も、いままで走っているのが不思儀なくらい酷使していただけに、わたし同様老朽化し、それを だましだまし乗り続けてきたから、とうとう来るときがきたかという思いです。

でも、そのおかげで思わぬ休む為の口実が出来て、精いっぱい悲しそうな声をつくって社に電話し、やっと人並みに連休がとれました (代替えの交通機関のない不便なところに住んでいます)。

前フリが長くなりましたが、さっそく いつも伺う方たちのブログをチェック、相も変わらず正月から元気な様子を確認し、それから、いま一番関心のあるお店、オーマイニュース(仮想)を訪れました。

開店(創刊)からはや半年が来ようとしています。小奇麗な店先の陳列(誌面)は変わりありませんが、なぜか人気(ひとけ)のないガランとした雰囲気に訝しさを感じながらも店内に入って見ました。

品ぞろえは日ごろから口うるさい常連客を意識してか、陳列棚にならぶ商品は健康食品(記事)ばかりです。
開店早々、冷やかしのお客で一時騒然となった経緯がありますから、ウィンドショッピングに訪れる一元のお客様の扱いは以前のままですが、会員客(コメント投稿者)を装った不良来店者の締め出しは強化されているみたいです。

もっと、驚いたのはお店で一番の売れ筋(人気記事)が、いまだにお店自慢のクレームグッツ(社内批判記事)だったことです。なにせ注文件数(アクセス&コメント数)は他の商品を抜いてダントツに多いのです。それに比べて他の商品の予約注文(アクセス&コメント)の少ないこと。予約ゼロ(コメント数)の商品(記事)が棚にあふれています(当然アクセス数も少ないのですが)。

でも、新鮮を主に売りとしているこのお店は、売れなくてもドンドン棚ざらえして新商品(新記事)が並ぶのです。
そして店内を闊歩している常連客たちと言えば、自称開店当初からの常連だといって、あらたに訪れる店の客を品定めし、その客が何か言おうものなら、口の利き方が悪いだとか、うちの店(?)に相応しくないだとか、およそ一般世間では考えられない応対で来店者をビビらせて悦にいっているのです(元々、セルフのお店なのですが、なぜ店員でもないのに指図するのだろう?フ・シ・ギ?)。

お店の店長も困っているみたいですが、実質この常連客で売り上げ(アクセス&コメント数)を維持しているという現状を考えると何も言えないみたいです。わたしも何か言おうと思いましたが、そのとばっちりが店長や静かに来店している他のお客様にご迷惑がかかってはいけないのでただ、傍観しているだけです。

お店の経営責任は店長やその仕事に従事している者にあります。
ローカル球団にありがちな熱烈であるがゆえに監督の采配に口出しする野球ファンに似ています。でも勝たなければいけないと一番感じているのは当事者(編集部)でしょう。どんなに熱心でもファンは責任の無い発言者です。ともに心中はしてくれません。でも、注文は人一倍多いのです。

みなさんも日常生活でこんなお店見かけたことはありませんか。ヤンキーがたむろしているコンビニとか、反対に高級ブティックで鼻もちならない成金マダムがインテリかぜ吹かせて、さも自分でこの店は持っているんだといわんばかりの態度で、それをお店の人が上目使いに応対している様子だとか。

わたしもオーマイニュース(仮想)が開店したときはおおいに期待し、既存の大規模店(マスメディア)の退廃ムードに新風を吹き込んでくれるのではと思いましたが、現状ではインテリ(?)ヤクザのたまり場と化しているみたいです。

一日も早く創刊時の志に戻ることを望みます。

注:(実在の企業名に類似した部分がありますが、これはあくまでもフィクションであり、正月向けのエンターティメントとしてご鑑賞ください)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:13 | Comment(2) | TrackBack(5) | ニューメディア

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