石橋を叩いても渡らないかも?

2006年12月26日

(続)いま一番必要なもの

きのうは政治ブロガー批判に終始したのだけれど、これとて憎くて書いた訳ではない。

打倒安倍政権の集(ブログ記事)が、民主党さえ政権をとればと悲願にも近い気持ちで語られ盛り上がるムードに一抹の不安を感じるのだ。それは「あの岸まで泳ぎ着ければ」とか「あの山さえ超えれば」とかという先の見えない桃源郷を夢見ている姿にも見える。

そこまで極論ではないにしてもとりあえず、対立軸として政権をとれば今後どちらが政権をとっても、民意を無視した政策はとれないだろうと言う二大政党願望の現れかも知れない。それが、わたしにとってすごく安易に感じられ、あたかも見えぬ山の向こうに楽園が拡がっているかのような願望にも思える。

そもそも小泉さんが異常ともいえる多数の支持を取りつけて政権を維持し続けられたのも、長年の一党独裁の時代(厳密には連立ではあるが)終わりを告げるべく、「古い自民党をぶっこわす!」というアンチ自民の期待をみんなに抱かせたからだ。

小泉政権の残した結果は惨憺たるもので、これからの立て直しに引き継いだ政権にすべてが委ねられたわけだが、これとて現政権が具体的な成果を出していかない限り、国民に見捨てられる日がくるのはそう遠い日ではないと思われる。安倍政権がダメ振りを出し続けることがいちばん可能性のある政権交代の最短距離なのだ。

その日が来るのを手放しで喜べるか? いや手放しで喜ぶ前に受け皿となる野党共闘代表の民主党にその度量があるのか。最近、民主党の戦いに疑問を投げかけるブログ記事が目につき始めた。その迷いともとれる動向に疑問や不安を感じていると皆の意見は共通している。

だが現実は、その姿を見ているのは支持者ばかりではないのだ。これから政権奪還に必要な将来、支持者になるであろう人たちも見ているいるのだ。その辺の曖昧さをひこずったままで挑むこれからの戦いはどこまで支持を増やすことが出来るだろうか。小沢代表はこれからも野党共闘でいくことを唱えているが、それすらも共闘する他党から不信の声が上がり始めている。

野党共闘で戦いきって、たとえ敗れたとしても精一杯戦った結果であれば悔いは無い。だが主導をとる民主党が自らの不協和音や失態で自滅して負けるのは悔やんでも悔やみきれない。協力してくれる他党にも失礼だ。野党の立場とはいえ、そういう重要な位置におかれていることの自覚が民主党執行部にはあるのだろうか。

安倍さんが世襲が故にその甘さを批判されているが、その言葉をそっくり鳩山さんにお返ししたい。
いまは勝つことだけ考えて欲しい。モヤモヤと人の顔色ばかりうかがうような優柔不断なコメントや態度は旧来の自民党に愛想を尽かして小泉支持に回った人たちのいちばん嫌う政治姿勢だ。その潜在的に取り込めるであろう新たな票田となる人たちに、似たようなもの(旧来の自民と)だとか、わかりにくいだとか思われたときは、民主党の明日は無い。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 14:05 | Comment(11) | TrackBack(16) | 政治

2006年12月25日

いま一番必要なもの

ブログって自由に自分の思いを書けるところがいいのだけれど、だれも見ない自分の日記として書いているのだろうか。なかにはそういう人もいるが、ほとんどは誰かに見てもらうことを前提に書いているのではなかろうか。

それが政治ブログとなると、単なる自分の思いをつづるだけではなく、自分の意見がなにがしかのかたちで読むひとたちと共鳴できないだろうかとそういう思いを込めて書いているのではなかろうか。

もしそうであるならば、怒りをぶつけるだけのブログは卒業しよう。(うっぷんばらしの人はそれでもいいが)

だれかを批判の対象にして怒りをぶつけるだけで世の中変わるのならなんの苦労もない。

たしかに「わたしも同じ思いです」とコメント寄せらればうれしいし、書いてよかったと思うだろう。

多少でも訪問者は増えてくるだろう。

冷酷な言葉を返すようだけど、それでも世の中は変わらない。もっと具体的にいえば賛同者と支持者は違う。まして訪問者はもっと違う。ただ人の意見が気になっただけかも知れない。

わたしが政治ブログを、いまひとつ好きになれないのは、彼らの主張は外に呼びかけているにもかかわらず、その姿勢はこちら(世間)に背をむけていることだ。

そんなブログの群れを見ているとどうぞご勝手にお仲間でじゃれあっていればといいたくなる。

もういちど言う。
うっぷんばらしなら、もうよけいなおせっかいは焼かない。ご自由に。

でも、世の中、変えたいのだろう!
いま必要なのはお仲間の「褒め言葉」でなく、人々がなにを求めているかということだ。それを知ることだ。

相容れないモノは敵 ?? 。お気楽な結論づけだと思う。
エンターティメントのテレビ番組を見て苦情の電話入れる視聴者レベルだと思う(それをあなたたちは愚民といっているが)。

賢いあなたたちがなぜ愚民に支持されないのだろう。

一愚民のわたしはいつも不思議に思っている。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:23 | Comment(1) | TrackBack(3) | 政治

2006年12月20日

人生へのスローライド

きょうは忙しいさなかのちょっとした中休み。
貧乏ヒマなしというけれど、ヒマがあっても先立つモノが無いからヒマを持て余してしまう。でもって原稿書こうと思ったら、マイブログのサーバーが24時間のメンテナンスで書き込み出来ない。

jitensha.gif区の図書館に貸し出し予約していた本が入庫しましたとメールが来ていた。思いついたらドンドン予約するから忘れたころに連絡があると何の本を予約してたのか思い出せない。

定期健康診断で、運動不足からくる成人病の兆候が現れているから毎日30分の歩行をしなさいと医者に言われた。ちょうど借りてきた本の中に「自転車スローライド」(新田穂高著)というのがあった。読後、すこし感化されてお休みの日は運動不足解消も兼ねてチャリンコで町内を走り回っている。

この本の著者は、子どものころに乗り始めた自転車とのかかわりが、やがて成人するとともにその世界に深くのめり込み、自転車雑誌の編集者として携わるようになるが、後に彼自身のライフスタイルにまで影響を与え、いまは郊外のかやぶき屋根の下で田舎暮らししているという。

若いとき、風をきって走ることだけに快感を感じていた自転車が、やがて四季折々の風景を楽しむためのサイクリングとなり、そしていま、著者が言うには
「ぼくは、ただ風景に出会うだけのサイクリングでは飽き足りなくなっていた。旅の途中で人に会い、話を聞きたいと思った・・・・風景にかかわる人を訪ねてまわった・・・・

自転車を停めて話しはじめると、予想以上に会話がはずむ。「自転車をこいで来た」と言うだけで・・・・・寄り道の時間は多くなり、一日の走行距離は格段に減った。・・・・ぼくは「スローライド」という新しい走り方を発見した。」

現代人は何を生き急いでいるのだろう。お金のため?会社のため?家族のため?日本のため??? もっと地に足を据えてユックリと生きようよ。そうしたら生き急いでいることで見失っている何かが見えてくるはず。

「自転車スローライド」は「スローライフ」の薦めでもある。わたしにとってもみなさんにとっても。
(12月19日記)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:42 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2006年12月18日

広島県知事辞職勧告決議案可決の陰に

師走の忙しさでブログやメールのお返しが遅れていることをお詫び申し上げます。

fujitachiji.gif全国各地での県知事の不祥事が明らかになって、最悪の場合は逮捕という事態までに至っておりますが、我が広島県もご多分にもれず、藤田現県知事の過去の県知事選での後援会の不正政治資金疑惑が取りざたされて、ようやく18日、議会で知事辞職勧告決議案が可決されました。

法的拘束力はないとはいえ県政史上初めてのことであり、これも全国の厳しい世論に地方議会も怠惰をむさぼってきたいままでのツケが回ってきたということでしょう。うがった見方をすれば、機を見るのが早い支持会派議員たちが自分たちに世論の批判が向けられることを恐れて、いち早く変身し、正義感ぶっているように見えます。(だって昨日まで、うすうす知っていて見て見ぬふりをしていたのが大半でしたから)。

今回は珍しく地元中国放送(RCC)がこの件にしぶとく食い下がっていった報道姿勢を高く評価します。他のメディアはそれに追従した形でした。とかく政治というと、一般市民にはわかりにくく、たとえ理解出来たとしても、その長年のなれ合いと既得権益がらみのつながりが不正を許してきました。

今回は知事の責任追及に一点が集中し、それを正すことでトカゲのシッポ切りならぬ、頭切りの様相ですが、じつは事はそんな単純なことではなく、ここまで堕落させた責任は「おぼっちゃま県知事」を担ぎ上げ、自分たちにとって都合のよいように利用した一部の県議たちに、おおいに責任があると思います。

彼らは疑惑を追及されても全員否定しております。知事が決して清廉潔白だとはいいませんが、今日の議会可決後の知事インタビューでの彼の口惜しそうな表情を見ていると、ちょっと同情してしまいます。老練狡猾なベテラン県議を相手に県政を進めるのは容易ではありません。やがて去っていくであろう知事に責任をおっかぶせて、口をぬぐっている老県議たちに憤りをおぼえます。

無風状態の知事改選なのに、それなりの挨拶料(中途半端な額ではない)を要求し、それを飲まないとこれからの議会運営に支障が起こるかも知れないと脅し取った手口はまさに「平和のヒロシマ」ならぬ「ヤクザのヒロシマ」です。知事一人の首のすげかえより、この腐った老県議連中が居座って居る限り、明日の県政の未来はないと思います。これからどう展開していくのか目の離せない日が続きます。地元マスコミの正義の取材報道が持続することを期待しています。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(2) | ローカル(行政)

2006年12月12日

12月11日、深夜。

きのう、遅い時間に外出しかけて、少し時間があるからとその場繋ぎのつもりでブログ見てたら、どなたかの記事でTBSで「オーマイニュース」を取り上げた番組をオンエアするという文字が目に飛び込んできた。

実名登録制に踏み切った「オーマイニュース」だが、実施後投稿欄が荒れることもなく、淡々と市民記者の記事を更新し続けているが、その平穏な静けさは何故か寂しさの漂う紙面でもあり、世間で言われるように、もはや人々の関心から遠ざかっているのかなと思っていたところへの番組予告記事だった。

わたしは、日ごろテレビを見ないものだから、前から見たいと思っていた番組が気がついたら放映済みということがよくある。今回も、きょうが何日かも知らずに日々を過ごしているわたしにとって、また見落としてしまったかなと思ったが、念のため調べてみると期日はきょうだ。しかもオンエア数分前。

ニューメディアが、あたらしい報道の世界を切り開いてくれるのではという期待もあって、その後の経過が気になって、急きょ外出を取りやめテレビの前に座った。

内容は「オーマイニュース」の発足から今日までの経過を病気治療中の鳥越編集長を絡めての簡素な番組だった。ちょっとガッカリしたが、報道とは本来こういうものである。それを伝えることによって受け止める視聴者がどう感じるかはそれぞれ自由だ。

いつも主義主張のハッキリしているブログばかり見ているからもの足りなさは感じたが、かといってどちらかに誘導するような意図が見え隠れしても困る。中立性を保つという報道は左右双方からマスコミ批判のやり玉に挙がりがちなのだけれど判断するのは視聴者自身だ。

でも番組の最後にコメンテーターとして筑紫哲也氏が言ったひと言が印象的だった。
「新しいメディアの可能性を秘めて現在進行中なのですが、もしこれが成功して大きな力となったら、そのとき一番先に脅かされるのは、既存のメディアの立場にいるわたしたちかも知れません」

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:07 | Comment(0) | TrackBack(6) | ニューメディア

2006年12月08日

非力だとあきらめるな。

師走真っただ中で、自宅PCの前に座る時間もなかなかとれません。

家に帰ってすぐ就寝。目が覚めたら簡単にRSSリーダーでピックアップされた記事のみ、ざっと目を通してすぐ出社という状態が続いています。

とかく、悪い面だけ伝わって、多くのブロガーの皆さんに不信を買っているマスメディアですが、その問題は言い訳してもしきれないぐらいあるので今回はパス。

心、もとらないながらも、ニューメディアの道を歩み始めた「オーマイニュース」にこんな記事がありました。

「みんなで権力と戦いたい」。これは警察権力に対して、一部の地方紙記者たちの奮戦を語ったものです。社会のさまざまな悪に立ち向かうブロガーの皆さんからみれば、些細な動きとしか受け止めてもらえないかも知れませんが、報道のプロの人間でさえ、真剣にひとつの問題に取り組むと、さまざまな障害に行く手を阻まれるのが現状なのです。

大手マスメディアの鈍い姿勢は批判されても致し方がないとわたしも思いますが、目立たないながらもジャーナリストの志を捨てないで頑張っているひとたちがいることもわかって欲しかったのです。なかなか内部的な苦労話は披露される機会はないので、もし参考になればと思いリンクしました。

仕事として携わっている姿は外目には有利に見えますが、それ故に動けないこと、出来ないこともたくさんあるのです。だからひそかにプライベートな立場でブログや他のサイトでうっぷんをはらしている御仁も多くみかけます。以前にも書きましたが健全なマスコミを育てるのも世論です。

十把一絡げにマスコミ批判するのもいいですが、足りないところを支え合っていかなければ本当のメディアが育たないのです。決して他力本願でなく、ひとりひとりが積み重ねていくことが民主主義の原点だと思うのです。ブログも小さな発言の場ですがその特性を生かせば、だれも無視できない日がくると思っています。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:26 | Comment(4) | TrackBack(3) | マスメディア

2006年12月04日

わたしが1日の記事(わたしの)を削除したわけ

12月に入ってめっきり寒くなってしまいました。めったに風邪を引かないわたしもとうとう引いてしまい、ダウンしています。

先日、12月1日に記事をアップしたのですが、あとになって読み返してみるに、記事として至らぬ点が多すぎるので、思い切って削除しました。そのとき取り上げた話題は「広島ドッグパーク」のことについてだったのですが、同じ日にアップされた「きっこのブログ」の記事に触発されて、深く考えぬまま自分の見解を書いてしまいました。

マイブログといえ、いつも訪問してくださる方たちに、しっかりと確証を持たぬまま書いた記事を読んで頂くことは、本来のわたしの趣旨に反します。基本的には体験に基づいた記事を書くことを目標とし目指していますから、それが例えメジャーなブログに触発されたことだったとはいえ、短時間に結論めいた記事を書いたことを反省しております。

「きっこのブログ」も当初から確信的なコメントは控えていました。、第二弾、三弾と記事を重ねることによって読者に事の重大さを提示しておりました。風邪のおかげ?でじっくりとこの件を検証するための時間を得たわたしは、改めて「広島ドッグパーク」に関わる記事やコメントに、出来る限り目を通しました。

そこに見えてきたことは、思ったより複雑で難解な事件だったということです。現地に行けないことや当事者に会えない代わりに、多くの方のブログやニュースを拝見することで少し事実が見えてきたことです。それはだれが悪者と決めつける以前にボランティア活動の難しさや、その受け止め方が多様だという事実です。

ずっと前に「武装解除」(伊勢崎賢治著)の本の紹介をしたことがありました。国際紛争の地に乗り込んで平和的解決と復興を目的としたNPO活動で活躍、体験された方の著書だったのですが、規模こそ違え今回の「広島ドッグパーク」に通じるものがあります。

今回は事件として取り上げられ、世論を巻き起こし、大勢の人たちの声を後ろ盾に事を解決するのですが、その世論さえも、その多くは、軽く考えている人、反対に深刻に考えすぎる人、他に責任を求めて声を上げる人、その他さまざまなのです。

そして実際に行動を起こすとなると、ボランティア経験の不足からくる現実とのギャップ、その中での意思統一、そして個々の理解度の違いや予定通り進まぬ救援作業とそれに伴う疲労。いらだち。

ニュースの受け売りから発生した単純な正義感は、純粋が故にさまざまな軋轢を生み出します。

今回の件に関してわたしの結論はこうです。400頭以上のワンちゃんが救われたことは事実です。大勢の国民が同情と関心を持ったことも事実です。そのきっかけをつくったのがアークエンジェルだったのも事実です。

上に述べた事実と、今起きている疑惑とを混同して議論する世論に危惧します。
仮に不純な動機を持って始まった救犬活動だったとしたら、それはそれで責任追及するなり、別の問題として解決すれば良いと思います。もしそうでなかったときの傷の深さや反動の怖さも感じます。

今回の件はわたし自身に、たくさんの教訓を与えてくれました。内容こそ違え、政治ブロガーたちが目指している目標への道のりは、同じような問題と困難を抱えていると思います。それらを深く洞察して進まないと、形ある成果を生み出さないと思います。

「広島ドッグパーク」で救い出されたワンちゃんたちは事実であり、そうでなければならない国民の姿でもあるわけですから。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:44 | Comment(0) | TrackBack(4) | 社会

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