石橋を叩いても渡らないかも?

2006年09月25日

自分の立つ位置

皆さんも経験があるかも知れないが、傍観する位置にいるときは他人(ひと)さまのやることが自分にとってイライラするほど不満だったり腹立たしかったりすることがある。
でも大抵の場合はそれを口に出してまで他人をいさめたりしない。

これをビジネスに例えれば杜撰な会社やお店を目の当たりにすると、オレだったらこうするのにと心の中でひそかに思ったりする。でも何かの機会あって自分自身が会社を興したり商売を始めたりすると不思議とそれまで感じていたことが教訓として生かされなかったリする。

それは立場が変われば、それまで見えていたことがなぜか見えなくなったり、反対に今まで見えなかった(知らなかった)ことが見えてきたりして、傍観者であったときほど無責任に批判したり物事に取り組めなくなるからだ。言うのとやるのとでは現実はずいぶん違うことに気がつく。

でも自分が最初に感じていたことを忘れないでいたなら、それは相手に対しての思いやりをいつまでも見失わないことでもあり、顧客は過去の自分であったように今の自分に満足を求め続けているいることに気がつく。俗に言うと「お客様の立場に立って」という言い尽くされたフレーズに戻る。

これが政治の世界に例えて言うなら有権者に満足を与えることとは、きのうまでの自分に応えていくことであり、立場が変わっても期待に応えることにつながる。本当のお客様の立場に立っていることなのだ。

だがビジネスでも顧客のこころをつかむのは常識で、いまやどちらを向いても「お客様の立場に立って」のフレーズが街を飛び交う。それが戦いに勝つことであり生き残ることでもある。たとえ口先だけでも。

純粋な庶民は言葉どおりの期待を持って商品を選ぶのだが、それが口先だけの呼び込みでもこころを掴んだほうが勝利するのは、いずこの世界も現実でありもの悲しくもある。でも手にとってもらわなければ前に進めない。たとえ偽りのない商品であっても。

言葉巧みな商戦は偽りの商品を売る側の方がなぜかこころを掴むのは上手い。それは彼らが本当に誇れるものは、その饒舌な口先だけしかないから。素朴な真実の売り手は彼らを乗り越えていくのは容易ではない。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 10:35 | Comment(1) | TrackBack(11) | 政治

2006年09月23日

きょうはあなたもプロ並みショット(運動会編)

きょうは晴天に恵まれ、市内各所で運動会。
少子化とはいえ、我が子や孫の晴れ舞台を見に朝から会場へ向かう家族連れが目立った。

unndoukai.gifそこで写真撮影チョットだけヒント!
本当は我が子だけ写ってれば満足なのが大半なのでアドバイスなんか無意味なのだがそこをあえて、より向上心のある方向けにお節介させて頂きます。

撮るのは我が子の出番だけだから、それ以外のプログラムはすべて無視OK!
ただ絶対に心しなければならないのは、すべての競技が一回ポッキリ(参加場面)だからベストショットを押さえようと思ったらカメラポジションが大切。

かけっこののように何組も出る競技なら我が子以外の組の時にカメリハ(練習撮影)するのがいいかも。デジカメなら実際にシャッター押してみてもいい(後で消せばいいのだから)・
フィルムカメラならファインダーを覗いてフレーミングを事前に確認するだけでも出来上がりが違う。しろうとで意外と多いのが出来上がりが豆粒のように小さく写って鑑賞に堪えれないケースがあるからだ。そのためのカメリハ。おのずとポジションが決まる。(学校や幼稚園によっては父兄はトラック内に入れないから注意)

それとスタート時とゴール間近では競技児童のバラけ具合違うから臨場感重視ならスタート時、我が子だけでいいのならゴール間近。幼稚園児はスタート時のほうが無難。

もし、観客席最前列が確保できたのなら腰を落として片膝立てて両脇引きつけてカメラ構える方がブレにくい。(三脚が理想的なのだが現実的でないので慣れた方以外にはお勧めできない。)
あとスピード感の無い競技は競技中にどんどんポジションを変えていくのも一つの方法。
(写真は京都新聞より)

まだ色々とカメラワークはあるのだが、長くなるので今日はここまで。
もし、その他詳しく知りたい方はご質問承ります。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:28 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2006年09月22日

著名人語録から

きょうは、大幅な手抜き。(時間がないのです)。
以前、自分の記事にも書いたけれど著名人語録から。
http://be.asahi.com/100/e/20031018_7003.html

steibeck-2.gif 米国第3代大統領トーマス・ジェファーソンは、「新聞がない政府と、政府がない新聞のどちらを選ぶかと問われたら、私はためらうことなく後者を選ぶ」と言う一方で、「新聞を読まない人のほうが、読んでいる人より正しく物事を認識できる。何も知らない人は、うそと偽りに心を奪われた人より真実に近い」とも述べた。オスカー・ワイルドも、「米国では大統領は4年間統治するが、ジャーナリズムは永久に支配する」と書く。

 ゲーテには「新聞を読まなくなってから、私は心がのびのびし、実に気持ちが良い。人々は他人のすることばかり気にかけて、自分の手近の義務を忘れがちだ」と言われ、スタインベックには「新聞は世界中で一番便利なものだ。読むにはたえないが、他のことになら何にでも使える」とまで言われたす。(写真はスタインベック)

いま、とかくメディアリテラシーが取り上げられる時代です。
飽食は食生活だけではなく、情報社会の肥満(情報過多)からみずからを守らなくてはならない時代です。

昔の人も同じ思いしていたのですね、マスコミに。

ちなみにわたしはいま、ゲーテの心境。
好きなのはスタインベックの言葉。(そう。新聞は読まなくても弁当箱を包めるしね!)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年09月21日

正義は勝つ(本当なの?)

プライベートな時間が少なくなってブログを閲覧する時間も貴重な状態なので、とうとうRSSリーダーを入れてしまった。100パーセント満足というわけには行かないが、とりあえず時間短縮にはなっている。

あいかわらずオーマイニュースはアクビの出るような記事ばかりなので、少々鼻についてきた。皮肉なことにコメント欄のほうがおもしろい(品のいい○チャンネル掲示板というところかな)が、前途は暗い。おまけにRSSリーダー非対応だから、このまま行くとほんとうに見なくなるかも。

マエ振りはこれくらいにして、実は自動魚捕り装置(RSSリーダー)を設置して、かかってきた獲物を品定めしていたら、ちょっと気をひかれる記事にあたった。ツカサネット新聞というサイトでカテゴリーが「生活>笑い・感動」の中の時の流れに身を任せさんのお笑い小説にブチ当たった。

これがすこぶるおもしろい。ただおもしろいだけでなくてネタの裏付けもしっかりしててエスプリの効いた社会批評になっているのだ。おもわず、さかのぼって投稿記事を全部読んでしまった。最近、政治ブログのワンパターンアジテーションに、いささかうんざりしていたわたしには、とても新鮮に感じられた。

いまの世の中になんとなく危機感を感じて来ている人たちは大勢いると思う。だけどそれを叫ぶ運動家たちや政治ブログは賛同者を除いた、その他大勢の人たちに自分がどう見られているのか、もう一度自分たちの姿を振り返ってみて欲しい。

先日お玉さんの記事にも書かれてあったが,受け手(聞き手)の視点に立つことも必要だと思う。意見を述べるときに自分中心の表現になりがちなのは誰でもだが、その意見を受け入れてもらえないと、やれB層市民は意識が低いだとか平気で相手を見下して言う人がいる。

そんな見下された人たち(B層市民)でも、それぞれがしあわせでありたい気持ちはみんなと同じように持っている。その人たちからみれば、何言っているのかわかんない人相の悪い(ネットだから見えないか?)オルガナイザーより、ソフトなイメージの安倍さんのほうがと、どうせ中身がわからない同士なら見た目のいいほうにいくのじゃないかな。
スーパーの食品売り場で曲がったキューリよりまっすぐなキューリがよく売れる。生産者からすれば中身は変わらないのにと思っても選ぶのは消費者だ。そういうイメージでしか現象を捉えない、どうしようもないオジサンやオバサンだってみんな一票もっている(しあわせになる権利はある)。

ビジネスの世界でいえば自分の立場をよりブランド化して顧客を惹きつけることで成功しているパターンもあるけれど、それは全体からみればごく一部のユーザーを相手にしている場合に限っての話である。自分の主張は正しいと信念持っていても、お店のかまえがレクサス売っている風なら、軽自動車でいいと心に思っている人は最初からお店に入らないでしょう。

民主主義ではそれぞれの思いが反映されるための手段は選挙。
軽自動車に乗る人も一票。ベンツ乗る人でも一票。歩くだけの人も一票。自分のショップ(主義)に買い物来る客だけ相手にしてたら、結果は所詮それだけのものなのだ。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:10 | Comment(0) | TrackBack(4) | ニューメディア

2006年09月18日

伝えることの難しさ(反省)

いや〜、初心に戻るための反省の日日を宣言したばかりだったのに、早くも二度目の失敗をしてしまいました(潜在的には、もっと失敗を重ねていると思いますが)。

いつも訪問いただく方に、お礼の意味を込めてコメント差し上げたのですが、その返礼(その方の)が、こちらの予期せぬコメントだったので一瞬うろたえてしまい、さてどうしようかと考え込んでしまいました。

あれが受け取られた方が寛容な方だったので素直に受け止められた旨、コメントを返して頂きましたが、立場がかわれば不愉快きまわりないわたしのコメントだったのではないかと思います(そう誤解されてもしかたのない文でした)。

自分のブログに書く分には制約なく長々と意見を述べることも出来ますが、やはり人様のコメント欄は簡潔に感想を述べるだけにとどめようと心がけていただけに、その想いがかえって文面を必要以上に簡略化させてしまい、結果として意味不明のメッセージとして伝わってしまいました。

ここまでは極めて私事なので、読まれている他の読者の方にとってはなんのことやらと思っておられるでしょう。うっとうしい内容だと思われたらスルーされても結構です。本当に私的なことなのですから。

ただ、モノを伝えると言うことは言葉であれ、文であれ、映像であれ、作る作者の心の中で十分に昇華されたモノであり、やがてそれを伝えたいという気持ちに発展していくのですが、わたしのように未熟者だとうまく正確に伝わらないないのです。

今回に限らず、わたしの日常の業務の中でも頻繁におこりうる、いやおこっています。半分、営業を兼ねた業務に携わっているわたしは、日ごろお得意先に説明したりご質問を受けたりしますが、話がすれ違っていまう大抵の場合は、双方とも心の中にある想いが客観的に説明出来ていないときにおこります。

短気なお客様(お得意先)はなぜ理解できないのだと怒ります。そういうケースは過去に何千回(大げさですが)と経験していますから、けっして反論はしません(自分の心の中でお得意先の言葉足らずなところを軌道修正してやれば済むことですから)。でも、同じことを自分がしでかすことはとても恥ずかしいと思っています。
だってわたしはプロ(職業)ですから。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 09:39 | Comment(2) | TrackBack(2) | 日記

2006年09月16日

第一印象

きょうは何の根拠もない、子ども感覚(わたし)の第一印象のおはなしです。

norika.gifジョージ・ウォーカー・ブッシュ・・・あの風格の無い、頭の悪そうな顔がきらい!!
ロナルド・ラムズフェルド・・・・・・・水戸黄門ドラマ風にいえば、悪代官役にピッタリの顔。
コンドリーザ・ライス・・・・・・・・・・・ご存じのアメリカ版、市毛良枝(どこがやねん!)
安倍晋三・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マスコミのいうところの好感度一のルクス(どこがあ〜?)
小泉純一郎・・・・・・・・・・・・・・・・・第一印象はよかった・・・が
小沢一郎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・怖そう!
石原慎太郎・・・・・・・・・・・・・・・・・小心者・強がり!(目元のケイレンを見て思った)
(番外編)
亀井静香・・・・・・・・・・・・・ドラえもんファンには落差が大き過ぎるよ。しずかちゃんなんて。
藤原紀香(いま、話題の人)・・・・・・・個人的には好きでないタイプ。でも世間の評価は??

時間があれば、もっと書けるのですがとりあえず、思いついた人だけ。
これは初めて映像で見たときの第一印象なのでその時点では予備知識なし、実際の人間性とは何の関係もありません。
でも時間が経ってみると、結構、当たっているでしょ!小泉さん以外は。
(番外編)の方は未知数なので、これから次第(好きになれるかも)。

世間の大勢の人たち(国民)も、この程度の判断基準ではないのでしょうか(選挙のときに)。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 07:01 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2006年09月14日

百舌鳥(もず)

mozu.gif子どものときから整理下手で、興味のあることにはどんどん食いついていくのだが、それが多方面にわたるので困ります(世間では気が多いともいいます)。

いまだに大人になり切れていないというか、とりあえずはブックマークしといて後から見ようといつも思っていても、その瞬間にすでに興味は他へ飛んでいってしまっているのです。

WEBの中だけの話にとどまらず、日常生活でも気になるモノはすぐ買ってしまう(高価なモノは買えませんが)ので、部屋中に置きっぱなしで、あとから気がついてもナゼ買ったのかわからない。とりあえずは思い出すまで捨てないで置いておこうとするから、ドンドンたまって収拾がつかない。

区の図書館が近いから、ネットでよく貸し出し予約するのだけれど、時間が経ってしまうと、取り寄せ確保の連絡が入っても何を予約したのかわからない(連絡メールは予約コードしか打ってこないので本のタイトルがわからない)。

まるで百舌鳥(もず)だなと、ひとり笑いだしてしまうのです。

きょうは思い切ってたまりにたまったブックマークを整理してみました。(後日)つづく。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:44 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2006年09月10日

原点を探して

きょうは政治にやや興味を失いかけている、というよりこの壮絶な狐と狸の化かし合いの世界にほとほと嫌気がさしているわたしは、ブログスタート時の世捨て人の心境にだんだん戻りつつあります。
ブログに参加しているとたくさんの情報に囲まれ、ついつい真剣になって年甲斐もなく自分の意見を述べたりして、それに酔っている自分が嫌です。

以前にも書きましたが本来の自分のスタンスは見たまま、感じたままの子どもの目でありたかったのに、わたし自身が机上の論者になりかけているのを感じたとき、それはもう(自分の)口から出てくる平和や幸せと言う言葉が空しく、何か世の中に貢献できるのではというあさはかな思い上がりにも思えて、人を戒める前に自分自身を見つめ直す時間をとっていかなければならないと思います。

これからもなにも発言しないということではなく、もっともっと純粋に自然に湧き出た清水のように、感じたままの言葉を飾らず人の目を意識せず、書き連ねていけるよう努力したいと思っています。

inukgirl-1.gifもし、世の中にはっきりと正義と悪という役割があるのなら、たとえ天からの命で正義の役を仰せつかっても、そこにおごりや、言葉や力で他を制する気持ちが少しでもわいたなら、それはもう正義ではないのではないでしょうか。
これは以前から感じていたことです。

常に勝ち馬に乗り続けたい気持ちの人たちもいますが(潜在的にはそれが普通だと思いますが)、むしろ勝ち馬に乗る乗らないではなく、乗ってからの己自身のあり方ではないでしょうか。

先日、ラジオでイヌイット(カナダ北部に住む先住民族)の暮らしを研究されている国立民族学博物館の岸上伸啓教授のお話を聞きました。彼らの生計は自然界で捕れる魚や海獣が主で、優れた猟師と、そうでない猟師がいたとしても、獲物は帰りを待っている家族たちに富める猟師が平等に分け与えるのだそうです。与える猟師になんら優越感のようなものはなく、与えてもらう側の猟師たちもそのことを気にせず、自然に共同生活が成り立っているのだそうです。

本当の幸せって何なのか、わたしにとってひとつの課題になるお話でした。(左の写真はイヌイットの少女です・下記参照ページより)
(追加記事)
記事を書き終えた後で(いつものことですが)イヌイットのことが書いてあるホームページを見つけました。北極圏・やや・サバイバル劇場「カナダ北極圏との出会い」ほか・・・ 読んでいて楽しく暖かい気持ちになるページです。ご参考までに。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:38 | Comment(0) | TrackBack(4) | ニューメディア

2006年09月08日

一見は百聞(コメント)に勝る

最近、疲れがひどくて、仕事にも支障が出てはいけないので、しばらくブログ更新から遠ざかっています。もう年なのかなあとボヤくと、周りは夏バテですよと慰めてくれるが、いくら若作りしてもやはり体力は年相応なのです。
きのうは久しぶりに休みをとって、なにもしないでゴロゴロしていました。

興味のあるネタのいくつかを独自取材しているのですが、一介の市民の立場で現場に切り込むには限度を感じます。虎の威を借りても現役のときのほうが何かと有利だったなとあらためて思います。
だが攻め口はいくらでもあります。一番大切なのはこまめに足を使っての現場(体験)第一主義です。

これは最近のニューメディアにかかわる人たちに求められる基本でもあります(ブロガーも)。
足を使わない、机の上だけで書き上げられたニュースや話題だったりするからツッコミどころ満載で、手厳しい読者に攻撃されている姿を、あちこちのウェブ上でみかけます。

なにも背伸びなんかしなくても、自分の目で見たままを書けばよいのだし、この目で見た(体験した)事実は、間接的に得られるいかなる情報よりも勝ります。
ただ、そのときに色気を出して余計な作文したりすると、たちまち袋だたきにあってしまうのです。きょう見たオーマイニュースにもそんな目にあっている記事がありました。

通常のプレスではUPされる以前に、デスクのチェックにかかって人畜無害な記事に手直しされてしまうのですが、どうやらOMNはノーチェックみたいだし、まして投稿している市民記者はほぼ素人です。その怖いモノ知らずというか天衣無縫なところが既存のメディアと違うところだから、それはそれでいいのかもしれません。

学びながら前に進む。
その未完の姿こそが素敵なのです。
むしろ本当に、受け手(わたし)が興味を失ってしまうときが来るとしたら、彼らがベテランライターになったときかもしれません。いつまでも、未完のオーマイニュースの姿であり続けることを望みます。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:46 | Comment(0) | TrackBack(3) | ニューメディア

2006年09月01日

日本版オーマイニュース6日目

おととい書いた泣き言はもう忘れて、もう、いけしゃあしゃあとブログ書いてます。
以前取り上げたオーマイニュースがスタートして早一週間がこようとしています。毎日チェックしていて、気がついたことがありました。

スタート時のモタモタ振りは「想定内」ですが、登録制というハードルがあるにもかかわらず、辛辣なコメントがたくさん寄せられて、それはそれでわたしにとってはうれしいことでした(わたしは関係者でも、市民記者でもありません)。
なぜかというと、その厳しい批判のコメントのひとつひとつが裏を返していえば、待ち望んでいたニューメディアへの期待の表れでもあり、またそれを見事に裏切るスタートはご愛きょうだったのですが、オーマイニュース応援者のわたしでさえその批判コメントを読むたびに納得する点も多く、ひとり頷いてしまいました。

コメントをよせられた方々(登録者)の後ろに、大勢の無言の読者(賛同者かな?)がいます。叱咤激励の言葉は、これが既存のマスメディアだったらただ単に流されてしまうか、体よく拾われてもうまく自紙の賛辞の声として利用されてしまうだけでしょう。相互通信のニューメディアの良さを生かすためにも、編集に携わっている方たちは今後の紙面づくりで、読者みんなの期待に応えていかなくてはなりません。

具体的な紙面ならびにコメントを見たわたしの感想は、一部コメントでもあったように一般社会ニュースの配信は(配給が故に)、メジャーなメディアの後追いの感がいなめず、読者の立場でいえばそれらの情報は「Asahi.com」などニュースサイトを読めば済むことで、その辺のニュースの掘り下げかたとしてはオーマイニュース独自の見解やコメントが欲しいところです。。

もうひとつ気がついたことは、批判のコメントで以外と多かったのが掲載記事の傍観者的視点からの執筆姿勢に手厳しい批判が寄せられたことです。ネットとはいえ新聞という形式をとっていることが、ややもすると報道は中立であるという大儀名分の姿勢が既存のプレスとなんら変わりがなく、ひごろ欺瞞と沈黙のマスメディアに不信感を抱いている読者の厳しい反論の言葉となって返ってきたようです。

署名入り記事を掲載するリスクを考えれば、及び腰になる気持ちもわからなくもないのですが、あなたたちが創始者となって作り上げていくニューメディアです。寄せられた厳しい批判のコメントの中に、期待と不安と応援したい気持ちが複雑に入り交じっていることを感じとれましたか。たとえ心底から批判しているひとたちでもオーマイニュースが、何かを変えてくれるとわかったときには熱烈な支持者に変わるでしょう。いまは、ちょっとひねくれているだけなのです。

読んでいるわたしたちもしばらくは寛容になりましょう。まだハイハイの赤ちゃんなのですから。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 12:28 | Comment(1) | TrackBack(7) | ニューメディア

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