石橋を叩いても渡らないかも?

2006年07月26日

六十一年目の夏をまじかに

kobe3.gifブログ書き始めてからはや9ヵ月。たまたま書店で手にした本が、ブログを紹介する本だった。本当はPC関係の本を探しに行って、同じコーナーにあった本をパラパラと立ち読みしたのがきっかけだった。

なにか自分でも舌をかみそうな「ブログ」。
この聞き慣れないインターネットサービスがこれからは急成長すると書かれてあって、興味がわいてさっそく買って帰った。ちょうど世間も政治家からタレントまでマイブログで自分をアピールする広報がわりに使い始めたころだった。

地元マスコミのホームページ担当者と、これからのマス媒体としてのインターネットの活用性なんかの話をよくしていたけれど、そのときブログは話題にあがらなかった。おそらく知ってはいたのだろうけどマイナー的要素の強いブログはマスメディアになじまないと思っていたのかもしれない。でもその地元マスコミもいまではホームページのコーナーにブログを開設している。

さてマイブログを立ち上げるにあたって、タイトルとコンセプトを決めなければならなかった。
これが結構、時間がかかった。なんにも考えていなかった。ただ漠然とやりたいと思ったから、自分自身が何を、何故と問い返してみても何も出てこなかった。なにか新しく商売を始めるときにお店の名前を決めたり、どんな営業方針にしていくのかいろいろ考えるときの気持ちは、同じような気分だろうなとそのとき思った。

ようやく1か月余りかかって今のタイトルに決めた。
「石橋を叩いても渡らない」。これは、わたしの実姉がうちの家系というか、親戚というか、自分たちの親も含めてその異常なくらい慎重で用心深いさまを、いつも吐き捨てるように軽蔑を込めて彼女が言っていたことばを思い出した。
若いころは姉と同じように、この妙に小心者の家風が嫌でことごとく反発したが、この歳にになってみると、しっかりと血を引き継いでいる自分の姿に気がついて苦笑してしまう。
時代背景も違うし、一介の地方の庶民が地道に生きていくために必要な生活の知恵だったのだろう。

昨日夜遅く、地元でいまも地道に呉の戦災(昭和20年の大空襲)の記憶を継承されている方のホームページを見た。彼らがつくった呉空襲のビデオも見た。地元高校生が反戦活動をしている姿が写っていた。お年寄りが若者たちに自分の体験を現地で語っている姿も写っていた。見終わった後に制作年月日をみたら1986年だった。その後そのビデオは更新されていない。

あのときの高校生たちはいま30代半ばだ。いまは自分の子どもたちが当時の自分たちと同じ年ごろになっているだろう。親として戦争の話を語り継いでいるのだろうか。それとも20年という長い年月と世の中の繁栄と忙しさの中に遠い過去の1ページとして、もう忘れ去っているのだろうか。

親にせがんで話してもらった昔話の中に、思い出したくもない戦災の話を、ひとつひとつかみしめるように語ってくれた、やさしい母の顔がビデオの画面のなかに浮かんでみえた。


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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:39 | Comment(1) | TrackBack(1) | ニューメディア

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