石橋を叩いても渡らないかも?

2006年07月31日

キャノンの偽装請負一掃のニュースを見て

31日のAsahi.comのニュースでキャノンの偽装請負一掃のニュースが報じられた。
これは、何十年も前から大手生産メーカーが人件費削減のため用いた雇用対策で、いま社会問題化している正社員と派遣社員・パート社員の処遇格差が無視できない状況になって、その余波であぶりだされてきた日本の大企業の裏の顔である。わたしが知っている日本最大手のフィルムメーカー「F」も傘下におくグループ会社に長年、同様の雇用関係を従業員に強いてきた(現在はどうか知らない)。

まず偽装請負とはどういうものか、ご存じない方のために説明しておこう。

非正社員で採用した従業員に表向きは外部の取引業者として個々のの契約関係を結ぶ。給料は取引業者だから締めの日に自分の所属している部署にその都度、請求書を提出し会社はそれにたいしての支払いを行う。

gisouukeoi.gifここまでだと派遣社員と変わらないではないかと思われる方もいるかもしれないが、派遣社員はあくまでも派遣会社が親元であり派遣会社との雇用契約で社会保険等の身分の保障が守られている(労基法が順守されている)。ところが偽装請負の場合はメーカーと採用された個人の請負関係であり、おなじ仕事に携わっているにもかかわらず、外部の人として、就業規則は適用されず、社会保険、かかる経費はいっさいメーカーは責任を持たない。

偽装請負は製造メーカーばかりではないから、仮に営業部門の会社だと、営業に使う車両の購入費、維持費その他諸々にかかる経費はひとりひとりが負担しなければならない。それは月々の請求書で盛り込めるのだけれど、もともと経費節減のために行っている契約関係だから、請求金額の条件は一方的にメーカーが決めてしまう。搬送などの業務だと業者(偽装)に運ばせているわけだから当然グリーンの営業ナンバーでなければならないのに、社員であって社員でないという立場を悪用して白ナンバーで業務にあたらせる。表の顔はメーカーの社員として営業にあたらせ、問題が起きたときは請負業者として責任を回避する。

わたしが若いときに、知り合いから持ち込まれた偽装請負の問題を解決するために(正社員に準ずる待遇改善要求)あっちこっち奔走したのだが、まだ世間がそれを社会問題として受け入れる土壌がなく、若いわたしの力不足ということもあって、涙をのんだ記憶がある。そのとき交渉した社会党はそんな小さな票田にもならないモノ(わたしとしては結構な人数だと思ったのだが)など鼻にもかけられず、弱者の味方を唱える共産党も色々難癖をつけられて断わられた苦々しい思い出がある。しょせん彼らは大企業や官公庁の労働者の味方だと、つくづく思い知らされた。

(追加記事)今日、アップするにあたって他のブログ記事を参照すると、わたしのかかわったときより今のほうが事態は深刻化してるようだ。当時は契約を結ぶにあたって自分自身で確認し、ある程度の自覚もあったが、今は派遣とおぼしき会社から、本人も知らぬ間に請け負いとして送り込まれているという(搾取されている)。それはまさに人買い業ではないか。送り込む会社も受け入れるメーカーも非常に罪は深い。それを放置してた政府や政党は今頃になって何をいっているのだろうか。
腹立たしいのを通り越してしまった。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:32 | Comment(6) | TrackBack(11) | 社会

2006年07月30日

文化は与えられるのではなくて自分たちがつくるもの

4月30日のわたしのブログでも取り上げた広島郵便貯金ホールの廃止が来年3月というリミットを直前にし、広島県の藤田知事は郵政公社から県が買い取る方向で行くこと明らかにした。

a.nvah1.gif存続をのぞむ関係者や市民にとってたいへんうれしいニュースだが、県財政がひっ迫している中での英断ゆえ、市民が利用することの要望だけではなく、これから自分たちの手で守っていく自覚も必要だ。
複合施設ではなく純粋なホールということもあって、収入は利用者のホール使用料のみという環境で年間6千万円の赤字を出し続けたことは稼働率の悪さを物語っている。現在、平日の夕方から夜にかけてのもっとも利用されるであろう時間帯の3時間の料金は約30万円である(土日祝日は5万円アップ)。年間赤字金額をこの料金で割れば、単純に200回(日)公演があればペイ出来るのだが、土日祝日を除く200日使用は、現在、最も利用されている土日を加えれば、早い話が一年中なにかやっていないと赤字になるということだ。
文化(スポーツも)という栄養はお金がかかるものなのだ。でも必要不可欠なのだ。

コイズミ政権の郵政民営化の流れによって利益の出ない施設の切り捨てという、ただ単に帳尻あわせの論理が間接的には国民生活の文化の切り捨てにつながっている。利益の出ない施設の存在を認めないのなら、世の中の文化はゲーセンとパチンコ屋しか生き残れない(ちょっとオーバーだけど)。

終戦の無の状態から始まった日本の復興で、人々が一番先に求めたのはおなかの空腹を満たすこと。そして次に求めるものはこころの空腹を満たすこと。それは読書であり、音楽であり・・・・・。人間は水とパンのみで生きているのではない。こころが満たされない状況をうむことに何の疑問も持たない為政者がつかさどる政治の国の民は不幸だ。

ホールが県の施設になれば、とりあえずは存続の危機は乗り越えられる。だが、これからかかるであろう赤字を解消するには?
稼働率をあげること。極端なことを言えばタダで使用される公演があってもいい。市民や県民が使うのなら光熱費だけでもいい。だってこれからは市民や県民のモノだもの。これで収益があがらなくてもちゃ〜んと後払いでもっていかれます。税金で。赤字補填というかたちで。
だから目一杯利用しよう。無駄な空き日が出ないように元をとればいい。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 12:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ローカル(行政)

2006年07月29日

久しぶりの開放感

いつも訪問いただく方々はすでにお気づきのことと思いますが、人気ブログランキング辞めました。

ランニング登録されて順位が上がっていくのは励みになるけど、それが逆に手かせ足かせになっちゃって、順位を上げるためのネタ選びがなによりも優先して、わたしの初心とはぜんぜん関係なく、いわゆる人の目を気にするテレビワイドショーと同じ様なことをやっている(視聴率=テレビ、ランキング順位=ブログ)自分の姿に気がついてあわてて辞めてしまった次第です。

昔、「面白くなければテレビじゃない」なんてふざけたキャッチコピーで視聴率稼ぎしてた在京のキー局がありましたが、おかげで日本一のミーハー女子アナ満載のテレビ局の地位を不動のものにしましたし(まるで芸能プロみたい)、テレビの低俗化にいっそうの拍車をかけた功績は誰もが認めるところでしょう(これ皮肉)。

まあ人それぞれだから、どんな生き方しようとどうでもいいんだけれど、9ヵ月もやって、いろいろなサイトを訪問してみたけれど、ランキングなくても人気になっているブログたくさんあることもわかったし、広く浅くじゃなくて、本当に自分に近いサイト仲間を見つけようとおもったらランキングは別に必要ないと思った。

いまこれだけ言いたいことバンバンいってるが、以前だったら反発が怖くて(ランキングに響くから)発言も優柔不断だったし、イイコブリッコしてた。べつにこれでメシ食っているわけじゃないんだと思い切って辞めてみたら、歯にキヌきせぬ発言が自由にできるっていうのはこんなに気持ちがいいものとは思わなかった。

はなしは変わるけどあれだけ、コイズミだ、アベだ、テポドンだって騒いでいる政治ブロガー連が7月2日の滋賀県知事選挙で自公民相乗りの現職知事を破った社民支持の新人女性知事のことダ〜レも書いてない。
これこそ、どっちでもなびくマスコミの予想を裏切った快挙なのに誰も書かないなんて。

ちなみに「滋賀県知事選挙」で人気ブログの検索かけたら、26日経った今日現在まででわずか65件、そのうち投票結果がわかる2日以前のブログ記事と政党がらみのブログ記事はカウントせず,そして日付違いの同一サイトを1と数え直してトータルすれば実質40数件、人気ブログランキング登録数27万件のブログがですよ。政治ブロガーと銘打っててもサッカー観戦の方が忙しかったのか、それともローカルネタはカウントが上がらないからネタにならない?そして時間が経って旬を過ぎたら、もう食いつきが悪いから取り上げない。そのうちテポドン騒ぎになって、みんなそっちへ関心がいっちゃった。

それって、やってること、ひごろ、あなたたちがけなしているマスコミと一緒だよ。

1次ソースがどうたら2次ソースがどうたら、そんなこと言うの十年早いんだよ。
マスコミ向けのお役所の公式発表以外はみんな自力でソース探してんだよ。ブロガーのみんなと一緒だよ。
それでメシ食ってる連中は、限られた条件や圧力の中で精一杯やってるんだからそれをフォローしてやるのがマイナーなブログの立場だとおもう。あら探して足引っ張って正義感ヅラしてるんだったら、そのへんのネットナントカと一緒だよ。

マスコミって謝らないといけないところで、なかなか謝らない。各社ポリシー持っているから表にでてくる報道も反対側の立場にいる人にとっては許せない表現内容だろうし、そうかといって八方美人的表現だと、また叩かれる。そしてニュースの扱いが小さかったり、取り上げなかったりすると偏向報道だといって叩かれる。伝えない。・・・じゃなくて伝えたくても伝えられない。・・・ってこともあるんだよ。

だからブログ上で取り上げられて、しぶしぶマスコミが後から取り上げた。っていうふうにとらえるのではなくて、ブログで騒がれることが、いままで伝えにくかった立場の者にとって、動きやすくなる・・・?。いわば援護射撃に近いものになってるってこともあるんだよ。
自由主義社会といっても所詮、営利がなりたたなきゃ企業じゃないし、マスコミでもない。周りのあらゆる圧力や制限の中でどう伝えていくかはそれぞれの姿勢だけど、世論が後押しするってことは大きな支えにもなるし、圧力かける側だって世論を無視できないだろう。

だから選挙と同じ。健全なマスコミが育ち、自由に表現出来るためにも世論の力は大きい。マスコミと市民は対立するのではなく、お互いに出来ないことを補い合っていかなければ、やがて権力に負けてしまう。
マスコミは神ではないし、それに携わっているものも、ひとりひとりは唯のサラリーマンだ。

あ〜こんなことランキング気にしてた時はとても言えなかった。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 00:45 | Comment(1) | TrackBack(2) | ニューメディア

2006年07月26日

六十一年目の夏をまじかに

kobe3.gifブログ書き始めてからはや9ヵ月。たまたま書店で手にした本が、ブログを紹介する本だった。本当はPC関係の本を探しに行って、同じコーナーにあった本をパラパラと立ち読みしたのがきっかけだった。

なにか自分でも舌をかみそうな「ブログ」。
この聞き慣れないインターネットサービスがこれからは急成長すると書かれてあって、興味がわいてさっそく買って帰った。ちょうど世間も政治家からタレントまでマイブログで自分をアピールする広報がわりに使い始めたころだった。

地元マスコミのホームページ担当者と、これからのマス媒体としてのインターネットの活用性なんかの話をよくしていたけれど、そのときブログは話題にあがらなかった。おそらく知ってはいたのだろうけどマイナー的要素の強いブログはマスメディアになじまないと思っていたのかもしれない。でもその地元マスコミもいまではホームページのコーナーにブログを開設している。

さてマイブログを立ち上げるにあたって、タイトルとコンセプトを決めなければならなかった。
これが結構、時間がかかった。なんにも考えていなかった。ただ漠然とやりたいと思ったから、自分自身が何を、何故と問い返してみても何も出てこなかった。なにか新しく商売を始めるときにお店の名前を決めたり、どんな営業方針にしていくのかいろいろ考えるときの気持ちは、同じような気分だろうなとそのとき思った。

ようやく1か月余りかかって今のタイトルに決めた。
「石橋を叩いても渡らない」。これは、わたしの実姉がうちの家系というか、親戚というか、自分たちの親も含めてその異常なくらい慎重で用心深いさまを、いつも吐き捨てるように軽蔑を込めて彼女が言っていたことばを思い出した。
若いころは姉と同じように、この妙に小心者の家風が嫌でことごとく反発したが、この歳にになってみると、しっかりと血を引き継いでいる自分の姿に気がついて苦笑してしまう。
時代背景も違うし、一介の地方の庶民が地道に生きていくために必要な生活の知恵だったのだろう。

昨日夜遅く、地元でいまも地道に呉の戦災(昭和20年の大空襲)の記憶を継承されている方のホームページを見た。彼らがつくった呉空襲のビデオも見た。地元高校生が反戦活動をしている姿が写っていた。お年寄りが若者たちに自分の体験を現地で語っている姿も写っていた。見終わった後に制作年月日をみたら1986年だった。その後そのビデオは更新されていない。

あのときの高校生たちはいま30代半ばだ。いまは自分の子どもたちが当時の自分たちと同じ年ごろになっているだろう。親として戦争の話を語り継いでいるのだろうか。それとも20年という長い年月と世の中の繁栄と忙しさの中に遠い過去の1ページとして、もう忘れ去っているのだろうか。

親にせがんで話してもらった昔話の中に、思い出したくもない戦災の話を、ひとつひとつかみしめるように語ってくれた、やさしい母の顔がビデオの画面のなかに浮かんでみえた。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:39 | Comment(1) | TrackBack(1) | ニューメディア

2006年07月25日

学校写真(修学旅行・萩)

hagi.gif今回、学校シリーズで修学旅行を取り上げたのは別の理由があるのですが、それは読まれていくうちに追々わかることと思います。

十年余りかかわった学校写真のもっとも多く時間を費やし、記憶にも残っているのは修学旅行です。
小学校の場合は隣県の山口県萩市を中心に下関まで移動する行程なのですが、中学、高校になると九州もしくは関西、東京まで出かけました。のべ添乗回数は百数十回以上です。

シーズンになると夕方の新幹線で帰広し、翌朝は次の学校とともに即出発という超ハードスケジュールでした。しかも行く先は、昨日まで滞在していた町ですから、現地のホテルのおかみさんに「帰らないで次の学校が来るまで、ここ(ホテル)で待っていたら」とよくからかわれました。

小学校は生徒の体力などのこともあって一泊二日の小旅行なのですが90パーセント以上が山口県萩市です。
萩の町は幕末の尊皇攘夷の志、発祥の地であり、後の明治政府の要人を輩出したところでもありますから、町の人のプライドは高いのです。でも毎年ように訪れるわたしには、地元のガイドさんが胸を張って誇らしげに口上を述べる姿を見る度に、なぜかいつも違和感を感じていたのです。

最近、ネットサーフしていてあるサイトにたどり着きました。残念ながらそのサイトの主宰者は先月、ブログ閉鎖を宣言されたばかりでした。でもまだ記事はアップされていて、それを読んだとき自分が持ち続けていた、あのときの違和感はこれではなかったのだろうかと思いました。カテゴリーは歴史ー近現代2 歴史ー近現代1
書かれている記事は、すでに数ヶ月前のものですが、偶然にも最近の靖国参拝や天皇にまつわる事など、靖国の由来も書かれていて興味深いです。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」
おなじ同胞でも、祭られていない日本人たちがいるなんて知らなかった(官軍に刃向かえば賊軍で靖国に入れないんだよ。A級戦犯でも入れるのに)。歴史は為政者にとって都合のよいように美化され、そして大河ドラマになります。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 01:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育

2006年07月24日

独断と偏見のわたしの日曜日

taigadorama.gifわたしは大河ドラマは見ません。
その理由は、すべてとはいいませんが、取り上げられた時代々々の権力者を美化した闘争ドラマだからです。歴史をつくった先人の行跡を否定はしませんが、それを有難がってなにか教訓ドラマでも見るかのように、茶の間のテレビの前に座っている人たちをみると自分とは違う異質なものを感じます。

おそらく見てらっしゃるみなさんも、史実よりも脚本家の描く人間ドラマの部分に感銘して毎週見続けているのでしょう。

映像の怖さはここにあります。
歴史ドラマという過去のベールで覆われたリアリティーのない時代が舞台ですから、それを娯楽ドラマとして鑑賞することに誰も抵抗はないのは当たり前ですが、だからといってすべてフィクションでしょうか。大河ドラマと銘うっているのは、過去に実在した歴史上の人物をあつかうドラマだから付けられるネーミングでもあり、いわば視聴者にノンフィクションに近い印象を与えるためのものではないでしょうか。

なにもそこまで難しくいうことではないかと反論が来そうですが、もし、これが最近まで映画で放映されていた「男たちのヤマト」だったらどうでしょう。60年前の昔のこととはいえNHKも大河ドラマにする勇気はないでしょう。

ドラマだから、脚本家が書いたフィクションだから、娯楽だからで押し切れますか。無理でしょう。それは戦争体験者がまだ大勢生きているからです。
映画は見る人に選択権があります。嫌なら足を運ばなければよいのです。
テレビは一見、選択権があるように見えますが映画と違って、本人の意志と関係なく垂れ流される効果(裏返して言えば危険性)もあります。

わたしが大河ドラマが嫌いなのは、そこに人(庶民)の温もりが感じられないからです。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | エンターティメント

2006年07月22日

TB返しのこころ

aikokusha.gif九日のわたしの記事にTBしていただいた喜八ログさんの紹介で「愛国者は信用できるか」(鈴木邦男著)がとりあげられていましたが、さっそく地元書店に予約注文して(図書館になかった)到着を待つことにした。
本の到着を待っている間、彼のホームページをみれば近況がわかるのではと飛んでみた(わたしはテレビはほとんど見ない。彼がテレビにゲストで出てるなんてホームページを見るまで知らなかった)。

「鈴木邦男をぶっとばせ!」この月並みなタイトルのページにたどり着いた第一印象。
いや〜。鈴木邦男も年をとったなあって言うのが彼の写真を見て一番さきに感じたこと。
一応、2カット目にモノクロでガンツキのきつい顔写真も載せてあったけれど、紅顔の美青年時代しか知らないわたしには、やや頭髪の薄くなったたるみ顔のカラー写真のほうがショックだった。

でも、もっと驚いたのは「邦男らしからぬ発言」の羅列には右翼でなくてもビックリ。
それに釣り込まれてどんどん読んでいくと、「わかる。わかる。」本の到着待たずして彼の言いたいこと、このホームページであらかた共鳴してしまった。

それは右とか左とかにかかわらず、いまの日本の現状を憂いている、われわれ同世代に共通する気持ちかもしれない。

あるひとにいわせば若いときのハシカともいえる学生運動が日本中を席巻してた時代は、真剣に国の将来を憂いて若者同士がぶつかりあったことは事実だし、それはいつの世も欺瞞社会への若者の抵抗のあかしでもあったのに、いまの現状はどうだ。
訳知り顔の、自称ネットウヨとかネットサヨとか言う連中が匿名性をいいことに言いたい放題アジって、やばくなったらバックレちゃう。小賢しい。
老獪なプロ(為政者)に唯一立ち向かえるのは若者ならではの感性のはずだったのに、いまの日本はみんな老齢化してしまっている。右も左も若者も意識も行動も・・・。
邦男氏は右に対しても手厳しい。それは誰よりも自分が右である姿勢と信条を貫きたい気持ちであり、後進に対して親心のあらわれともいえる。反対に位置するわたしとしてはその真摯な姿勢とそのこころを爪のアカを煎じて左の連中に飲ませたい思いだ。

後日、本は到着し読んで見たのだけれど、ホームページで感激し過ぎてしまったから、そのおさらいにしかならなかった。でもホームページで知り得ない彼の日本への、また日本人への思い入れのすごさは、本当の邦男氏を知らない人にとって、この本は必見かも。

邦男サイト鈴木邦男をぶっ飛ばせ!

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posted by ゲゲゲのイチロー at 15:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2006年07月18日

善意が使命?

一か月ほど前から、玄関横の格子に赤い簡易ポストが取り付けられて「あれ?」と気がつきはしたものの、出勤前の慌ただしい時間だから、そのままにしておいた。

本来ドアについているポストにも、毎日のように大量のダイレクトメールが入り続けていたから、そのときはすぐに忘れてしまっていたのだけれど、定期便で来る郵便物が期日を過ぎても来ない。「もしや?」と思って、例の新設簡易ポストをのぞいてみたら、たまりにたまった新聞の陰に、待ち望んでいた封書が挟まっているのを発見した。

誰か勝手にポストなんか取り付けるからこんなことになるんだと腹立たしい思いで、たまった新聞を捨てようと手にしてハタと気がついた。その新聞は「聖教新聞」。ポストが取り付けられる一週間前、勤務明けの朝帰りの日に、小柄でいつもニコニコ笑って会釈を交わすオバチャンと立ち話したっけ。あのオバチャンがポストを取り付けたんだ。

わたしは、時間が許せばどんなセールスの人でも話は聞く。それはその人の話に納得しているからではなくて、彼らが使命を持って訪問しているのだから何も聞かずに断るのは忍びなくて、とりあえずは数十分ぐらいはおつきあいするのだが、勧誘に乗ったことはない。

でも、生き生きと語り続けるカワイイオバチャンの顔を見ていて「ああ、この人はこれが生きがいなんだなあ」と思うと、むげに追い払う気にはなれない。こんな純心なオバチャンをだましている(?)上の連中が憎い。

でもオバチャン。勝手にポストつけないでね。郵便屋さんが迷ってしまうから。
今、毎日二つのポストを覗くのが日課です。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年07月17日

「武装解除」を読んで

busoukaijo.gifきのう図書館で貸し出してもらったのは、11日の「お玉さん」のところの記事タイトルにひかれて、市立図書館にすぐ予約した「武装解除」(著者・伊勢崎賢治)がようやく貸出しから戻ってきて「入庫しました」と連絡があったので、受け取りにいった。

区の図書館は自宅から歩いても数分のところなのだが、平日は地下駐車場がガラガラなので通りがかりに寄らせてもらうことが多い。連休期間中は併設ホールで講習会やイベントがあるので、館の外まで駐車場空き待ちの自家用車であふれている。いったん自宅へ車を置いてチャリンコに乗って行ってきた。

ブログという新たなコミュニケーションツールが普及して、誰もが自分の意見をきたんなくアップできるのはすばらしいことなんだけれど、ややもすると発言することばが、知識の受け売りになっているのではないかと思うコメントや記事が目について老爺心(ろうばしん)ながら危ぐしている。

もちろん知識を得ることは大切だのだけど、これほど情報がちまたにあふれていると、受け売りのそのまた受け売り的議論だけで沸騰してしまうのは、現実から遊離した実のないことば遊びのゲームに成り下がってしまう。

だからと言う訳じゃないけれど、今回読ませてもらった「武装解除」は書かれていることばに重みを感じる。興味のない人にとって、この地味な本は退屈かもしれないが、著者の目を通して現実を再確認することを身につけることは、これは知識が単なる知識で終わらないための自分たちの課題でもあると思う。

「お玉さん」は謙虚だから、ご自身のブログ記事に書かれなかったけれど、この本のあとがきの最後の部分に「日本の平和貢献の将来は、女性が担う予感がする。」と書かれてあった。
同感である。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 15:42 | Comment(1) | TrackBack(3) | 社会

2006年07月16日

続メディアリテラシー

gidan.gif久しぶりにブログにむかうきょうなのだけど社内的にもいろいろなことが山積していて、とりあえずきのうで一段落した。やっと取れた休みなので自宅近所の図書館で貸出予約していた本を受け取りに行ったり、本屋さんに注文していた新刊が到着しているかどうか寄ってみたけれどまだだった。

その間にひとさまのブログはずいぶん更新していて、ワールドカップでイタリアが勝利を手にしたあたりまでは知っているのだけれど、その決勝戦で有名選手のレッドカードざたがあって、ブロガー紙面がにぎわっていたなんて全然知らなかった。

たまたま見た「きっこのブログ」でジダン選手の行為を批判したきっこの記事にたいして反響があったことを再度取り上げ、そのとき寄せられた賛否のコメントを掲載、それにたいしてのきっこの意見が述べられているのを見たのだけれど、後出しのわたしの意見で悪いのだけれどきっこのいうとおりだと思う。

日ごろ、政治ブログ書いている連中が、なぜか感情論だけでジダン選手を擁護する記事が目立ったけれど、それってあなたたちが、日ごろ忌み嫌っているメディアの偏向報道にまんまとのせられてエキサイトしてるだけのことじゃないの。視聴率しか頭にないマスメディアは「なにわ節的人情ばなし報道」が受けることぐらい計算済み。
それに乗っかるなんて・・層視聴者のこと悪く言えないなあ。
とかくプロがアマに批判される時代だけれど、プロの立場からいうと「十年早いよ。人のことを言うのは。」と思う今日この頃です。

きょうはNHK標準用語でワープロしたのだけれど、音声での表現を前提にしているので、非常に使いづらい。慣れればなんともなくなるのかもしれないけれど。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニューメディア

2006年07月11日

学校写真(野外活動)その2

前回のつづきです。
日もとっぷりと暮れ、暗闇の山道をヘッドライトの明かりをたよりに登り詰めていくと、突然人工照明に照らされた緑の広場が目の前に開け、静かな山中にもかかわらず、この空間に人のざわめきが聞こえて、キャンプ場にたどり着いたことを知らせます。

hangousuihan.gif子どもたちにとって最初の夜のメインディッシュは自分たちが作る飯ごう炊飯。
グループにわかれ、野菜やお肉をきざみ(大抵はカレーライスですが)鍋を用意します。他の子たちはといだお米を飯ごうに入れ、カマドにかけるのですが、これが中々、簡単にはいきません。電気、ガスで育った世代は、火をつけることさえ初体験なのです。しおり(ガイドブック)を見ながら、新聞紙を種火として火をつけるのですが、勢いよく新聞紙は燃えても薪には火がつきません。気の利いた子のいるグループは落ち葉や小枝を集めて来て、うまく着火するのですが、どうしても2グループぐらいカマドに火がおきないのです。

ここでわたしの出番です。撮影は一時中断して薪の重ね方、種火にする新聞紙の入れ方等々、上手に団扇を使ってあっという間に火をおこしてしまいます。見ていた子どもたちは手を叩いて大喜び。

じつはこれがとっても大切なことなのです。
彼らが6年生になって卒業式を終えるまでの2年間、わたしに対する尊敬と親愛の関係が生まれるための、まず第一歩なのです。(はやい話が、子どもたちの撮影が、し易くなるということです)

(内緒の話)
薪で火をおこせないのは子どもたちだけではありません。最近の若い先生はやはり電気、ガス世代ですから、食卓の準備に他のクラスと、どんどん時間差がついてオロオロしています。そういうときの助っ人カメラマンの活躍は生徒たちだけでなく、担任の先生の信頼も得ること間違いなしです。

そうそう、もうひとつ。
さっき助けてあげたグループから、必ず!夕げのカレーライスに招待されます。断ってはいけません。
たとえ、生煮えのジャガイモやニンジンが喉につかえることがわかっていても。
子どもたちのうれしそうな顔を見ていたら断れるもんですかもうやだ〜(悲しい顔) トホホ。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育

2006年07月10日

学校写真(野外活動)その1

以前、学校写真撮っていた時期がありました。
フリーになって食い詰めていたときに心配した友人が紹介してくれたのです。
元請けがあって、そこの契約カメラマンということで依頼があるときのみ、とぶのです。
当時はわたしも若くて、子どもたちと一緒に遊ばせてもらっていたという様な仕事でした。

小学校では5年生、中学校では2年生のときに野外活動といって、課外授業の一貫で何日間かキャンプにいくのです。いわば翌年の修学旅行に備えて、団体行動を子どもたちに体験させるためのリハーサルと言ってもよいでしょう。当然、先生方も修学旅行時のメンバーで構成されていますが、現実は修学旅行以上に大変です。

それは修学旅行はツーリスト(旅行会社)がすべての行程を進行させます。先生方もお客さんですから何もすることはありません。ほとんど大名旅行状態なのです。
ところが野外活動の場合はまるっきり違います。すべて先生方が準備し進行させます。生徒たちも管理しなくてはいけません。全日程が終了すると全員グッタリというのが本音でしょう。

小学5年生の子どもたちにとって、人生で初めて親元を離れての外泊ですから、学校で出発のバスを見送る父兄の顔も何かしら寂しさが漂って、親としても子離れのリハーサルなのかもしれません。(キャンプ場まで自家用車で追っかけてくる親もいましたが)そんな親たちの気持ちなんかどこ吹く風、子どもたちは大喜びでバスの中ではしゃぎ回っています。

わたしの街では公営のキャンプ場が市内近郊に何カ所かあって、冬場を除く一年の大半は学校関係の利用でスケジュールは埋まっています。わたしは普段、自宅の仕事がありますから、あらかじめ学校から貰った日程表をチェックし、押さえるべき行事のみ撮影に街から車を飛ばして現地に直行します。

もう、山頂へ向かう道から望める眼下は、しだいに訪れる夕闇にポツリポツリと人家の明かりが目に映るころです。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育

2006年07月09日

伝えるものの役割

b&h.gif本当は、書きたいこともあるのだが個人に関する事件はあえて避ける。当事者しか知り得ないことにくちばしを挟むのは、それがたとえ同情の意見だったとしても関係者の人たちの心中(しんちゅう)を考えると筆が進まない。

若い頃に自分がやってきた、他人の居間に土足で踏み込むような日々は、いくら職業とはいえ何の抵抗もなくなっていく自分が嫌で、よくすぐ上の上司と衝突し議論した。「コロシ三年、カジ八年」(注:殺人現場取材は三年で慣れるが火事現場の場合は八年かかる)。冷静に取材ができるようになることを例えた言葉だが、他人の不幸がメシのタネなんて因果な商売だ。いつも暗い話題ばかりじゃなかったからよかったのだけれど、いずれにしても周りの目なんか気にしていて出来る仕事じゃないことも事実。気にならないのではなく、あえて気にしないように意識した。初めのうちは。

いまでも覚えているが、夕方のラッシュ時に大通りの中央分離帯のようなところで、「街の様子を撮れ」と初めて一人で任されたときは、バス停や電停の大勢の群衆がみんな自分を見ているような気がしてカチカチにあがってしまった。心のどこかに、自分がやっていることは社会正義につながるんだと言い聞かせ、それが行動のささえになった。だが、やがて自分の信念と違う路を進んでいることに気がついたとき、その世界から足を洗った。

いまはインターネットを通じて自由に情報が交換出来る時代だ。既存のメディアも自分たちの存在意義を見つめ直さないといけないところまできている。ネットのみんなが言うようにマスメディアのすべてを批判する気にはなれない。だが、彼らがいまのままで居続けるのはもっと愚かだと思う。

通りの中央に立たされて、足がガタガタ震えたあの純な気持ちを持ち続けられるならば本当の社会正義に近づけるかもしれない。ペンが剣に勝るのはもはや過去の幻想なのだろうか。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 07:23 | Comment(0) | TrackBack(1) | マスメディア

2006年07月06日

北鮮ミサイル発射、日本はテンヤワンヤ

この度の北朝鮮ミサイル発射のニュースの一報を聞き、数時間後にテレビで確認し、自分なりに感じたことを書き綴ってみた。この時n-koria-misail.gif点ではブログ上に、まだこの話題は取り上げられていなかった。早朝ということもあって、政治ブロガー連は就寝中だったのかも知れないし、仮に起きていても事態を把握し、自分なりに意見をまとめるには、出勤前の慌ただしい朝には無理だろうと思った。(5日AM7:00)

招集のかかった閣僚を代表して、阿部官房長官が記者団の質問に答えていたが、詳細な部分に質問が行くと、調査中とか、まだ報告が上がって来ていないとか、政府の(長官の)慌て振りばかりが目立つ、へんな記者会見だった。

これに比べ、同盟国のアメリカの態度がやけに冷静で、独立記念日のスケジュールになんら変更は無く、事前に北朝鮮の動きを把握していたとはいえ、不自然な印象はぬぐえなかった。しょせん自国にかかわる問題と受けとめているわけではなく、同盟関係(日本を守ってくれると為政者は言いつづけていたが)と言うのはアメリカにとって、しょせんこの程度のことだったのかと思った。本当に役に立つのかどうかわからないところは、最近、槍玉に挙がっている日本の保険業界と一緒だ。高い保険料(防衛負担金)を肩代わりさせている割には、ここ一番っていうときに頼りにならない。

北朝鮮のミサイルが発射され、米軍から日本政府に伝えられたのが20分後といわれる。それでも前回のミサイル発射のときと比べて、格段に早く対応出来たと日本政府のコメントが出ていた。
何を言っているんだい。比較する前回の例は、事態を把握するまでに11時間もかかったのに、それと比べたらどんな行動だってスピーディーに見えるよ。
大体、本当に演習ミサイルだったから良かったようなものの、これが相手国に向けての実射だったら、20分後に連絡を受けて、関係閣僚を招集して、緊急閣議を開いて・・・・・。マヌケ。
すでに着弾して、街は被害を被って燃え盛っている最中だよ。
ヘンリー・オーツさんの怖〜い話じゃないが素直な(?)わたしでも勘ぐっちゃうよ。なにか裏があるのではないかと。
この件を斜めに眺めてみたら、ここぞとばかりに迎撃ミサイルの必要性をタカ派は強調してくるだろうし、もっとひねって解釈すれば、いつものブッシュの言いぐさじゃないが、専守防衛(先制的自衛権)が現実味を帯びて来て、いよいよ日本も・・・という嫌な雰囲気(時代)に誘導されていくのかも知れない。
会社でテレビ見ていたオバチャンが言いました。(画面に映っている着弾地点を見て)
「なんや、皆、北の方に飛んで落ちているじゃない?これ日本が騒ぐより、ロシアの方が迷惑うけてるのとちゃうやろか?」
すばらしい!庶民を代表する声でした。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:05 | Comment(1) | TrackBack(14) | 政治

2006年07月02日

今日の反省です

わたしはいつも、思いつくままに書きますからあまり下調べとか下書きなどしません。アドリブで書き始めるのですが、書いてる途中で分からない内容や熟語が有ると、書くのを中断してそのとき初めて下調べするのですが、こんな非効率的なことをやっていますから、記事一本書き上げるのに、ずいぶん時間がかかります。

先日、わたしのブログを見てくださった方からコメントが届いてました。
コメント頂いた方は26日の富良野のラベンダー畑について書いた記事の感想を送って下さったのですが、じつは現地にいったのはわたしの友人で、彼の話とラジオのインタビューの内容とを合成し、わたしなりに光景を想像しながら書いたつもりだったのですが、コメント返ししたときにそのネタばらしをしたら、かなり驚かれていらっしゃいました。

なにか、騙したみたいで申し訳なく思ったのですが、本当に今まで仕事で全国を移動することはあっても、じっくり現地を見物することはなく、いつも印象に残っているのは泊まったホテルまでの移動中の景色ぐらいしかありません。今度いつか来たら、ゆっくり見物しようと思いつつも、まだどこも仕事を離れてゆっくり散策したことはないのです。

でも、忙しい仕事の方はみんな同じだと思います。「講釈師、観て来たような嘘をつき」

書いた内容に詐称も偽装も無いのでご容赦願います。

撮って来た原稿にキャプションや簡単なコメントを求められる場合もよくあったのですが、それも殆んどは社に帰ってからのデスクワークの範ちゅうなので、こういうのが世間のみなさんに誤解をまねく要因のひとつになっているのかも知れません。
大抵の場合はわたしの仕事ではなく編集スタッフが本文を書き上げるのですが、その扱いがどういう使われ方をされてもいいように、ひとつ被写体を何方向からも、条件を換えて撮影します。
忙しい時は、刷り上ったときにどのカットを使ったのか確認すらしないまま、次の仕事に入ることもしばしばです。

どなたかが言われてました。「何か、好きな道(趣味)があって、それを楽しんでいるうちはいいのだけど、もしそれを職業にしたら、それは最愛の恋人を働かせて食っているヒモのようなものだ」と。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 22:53 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2006年07月01日

体験することは必要なのか

ずっと前、何かの番組で黒柳徹子さんご自身の好奇心について語られたことがあって、電気製品を買って来た時に、その取り扱い説明書の最初の部分に「やってはいけない事」項目があって、彼女にとってそれが何故やってはいけないのかすごく気になって、一通りやってみてるのだという。(最近は何故やってはいけないのか、具体的に理由を説明してある説明書も増えてきた)

彼女のユニークさの一端を表わす話だったのだが、これはある意味では「なぜ?」と疑問を懐いたら、それを解明する為に行動に移して見る。この単純なことが意外と出来ない。いや疑問さえ浮かばない。というのが普通ではなかろうか。
そんなこと気にしなくても取りあえず、生きていけるから?
生きていくことが大変な時代には運命に翻弄される前に、人々は自分自身でそれを克服する為に様々な事を試み、挑戦してきた。それが教訓になり、歴史となって継承されてきた。

でもその平穏な時代が長く続くと継承が継承のための学習となり、その学習も活字や画像で伝える臨場感のないものになってしまう。だからといって実体験が必要なのか、地震や水害は体験したほうがよいのか。戦争は。

333.gifアメリカの海外派兵は世代が交代していく事によって実体験の継承が薄れていくのを防ぐ為だと言う説もある。
わたしも自分の地元で、戦争経験(旧海軍・厳密には出兵直前で終戦)最後の海上自衛隊地方総監の退役式に立ち会ったことがある。総監は経験者のいない、これからの自衛隊を愁うオフレコの言葉を残して退役された。

何年か前、広島市近郊で戦後初めての大規模な水害に見舞われた事がある。
そのとき最新の情報収集の手段を駆使できる能力と壮備のある行政がその機能を発揮出来ず、罹災地域を拡大させてしまったことがあった。ある筋に言わせば社民党推薦の現市長がイデオロギーにこだわって地元陸上自衛隊の災害救援の要請を最後までこだわったからだという。隣市の呉市では過去の災害の教訓に基づいて、早々と地元海上自衛隊に災害救援を要請し、市消防局との連携で被害を最小に抑えた。(平和宣言都市と旧海軍・現海自の街との違いか?)

わたしは今風の政治ブロガーにいわせるとサヨクである。この言葉は嫌いだ。わたしの世代の大半はこの言葉には皆、違和感を感じていると思う。もし言ってもらえるならば、リベラルとか革新とか言って欲しい。若いブロガー連から革新なんて言葉を聞かなくなったのは、現在の左に位置している政党や運動家たちが旧態然と、硬直した思考回路で行動している様を見て、革新でなくて(保守)だと思っているのかも知れない。

わたしは、自主防衛の拡大解釈の大きな流れに一抹の危惧を感じている。この平和ボケの中にある自衛隊の身の置き場の無い現状に、関係者たちの焦りがあることも遠巻きながら感じる。だが、わたし自身は存在(自衛隊の)を否定するほどの理想主義者でも無い。現実は現実として受けとめたい。存在の是非は別として。

この世から争いが無くなる事が一番理想であることは事実だが。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

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