石橋を叩いても渡らないかも?

2006年06月30日

東京人VS大阪人

今日はウチのブログサイト(SeesaaBLOG)のクリーンアップトリオ、「がんばれ生協の白石さん!」を訪問しました。いつも変らぬスタンスはクリーンアップを持続されている風格があります。(わたしが勝手にそう思っているだけかも知れませんが)やっぱり、いちばんウケているのは短文ながらも、あのウィットの効いた回答でしょうね。oosaka.gif

今日(29日分)の掲載記事の後半に

>先日、コンビニでアルバイトをしている友人からお会計のあとお客さんから「ありがとう」と一言いわれると嬉しいという話を聞いたので、早速実践してみました。
すると店員さんからの反応は上々で、最近は心の中で“僕はなんていい人なんだろう”とほくそ笑んでいたりします。まだまだ自分はいい人になりきれていないなと感じる瞬間です。

いいなあ〜。またこの記事に対するコメントがいい。

>「まったき善い人」というのは、ありえませんので、念のため。
でも、ほんの少しでも善くしたい、そう思われてらっしゃることが伺え、少しばかし「誇らしく」思いました。
ですので「生協の白石さん」は、農工大の皆さんが「育んだ」ように思えます。
コンビニやドラッグストアのレジ打ちの人。宅配のおじいちゃん。
あの方々は、それはそれは過酷な「労働環境」の中で、作り笑顔を懸命にこさえているのです。
「人間はおよそ全く感情のないロボットであり、そのロボットを働かせる唯一の動力源、それは、「カネ」、「雇い主」サイドの発想は、本気でこうですから。そのことは、昨今の新聞を見ていても、何気にお分かり頂けるのではないでしょうか。
ですので、お客さんから「ありがとう」を言われたならば、本来持ち合わせている「人間らしい感情」を、そこでちょっとは取り戻すことができ、ほんとうにうれしく思うのでしょうね。ですから、カネを超えたところで、「ありがとう」が言えるなんて、ほんとうに素晴らしいことだとおもいます。

>関西では、レジで支払いのあと「ありがとう」「おおきに」はかなり普通だと思います。少なくとも私のまわりでは

>関西人さんに同意。少なくとも大阪では結構、普通です。
いくらお金があっても砂漠の真ん中でレストランに入って食事をできない。
お金は与えられたサービス又は商品との等価交換。だから私の欲しいそれらを売ってくれて、「ありがとう。」になる。その代わり等価交換だと感じられない店には買い物に行かないし、高いと思えば納得のできる値段まで値切る。安く手に入ったと思えば、大きな声で「ありがと〜。」
                                                                            
見栄の東京に対して、本音の大阪。
わたしも学生時代、そして社会人と、両方の街で暮らしていた経験がありますから、コメントされている方たちの言葉はよく分かります。見栄の東京で暮らしてらっしゃる「白石さん」にとって、ちょっとした冒険だったのでしょうね。本音の大阪なら当たり前のことなのに。
ちなみにわたしはコンビにで買い物しても言ってます。「ありがとう」

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:03 | Comment(1) | TrackBack(1) | 社会

2006年06月29日

国会の先生方も気になる視聴率(B層視聴者)か?

ここ数日、忙しくてPCの前から遠ざかっているうちに、世間ではショッキングなニュースが多発していたみたいだが、仕事中に断片的にしか情報が入ってこないため、じっくりテレビやネットでその後の経過を確認したのは昨日になってからだ。

普段からテレビを見ない、わたしにとってセレブな女医の長女誘拐事件で初めて、マスコミでは有名な女医さんだったと知ったわけで、親切なテレビのワイドショーはカリスマ女医の存在振りを庶民の好奇心に答えて、以前から何度も企画コーナーで取り上げていたみたい。お金持ち女性実業家紹介だからそのコンセプトからいけば、豪邸とか、所有物とかを見せびらかす番組になるのは当然だし、それを観てどう感じるかは各々の受けとめ方だ。

唯今回の事件を知ったとき、一瞬だけど、いま国会で追求されている日銀総裁の福井氏と、イメージがダブって見えた。

fukuisousai.gifかたや日本経済の要を握っている日銀総裁と一成金女医を同次元で語るのは乱暴かも知れないが、マスコミが喰いついているポイントはいずれもお金(資産)のことだけ。いわゆる庶民感情をかき立てるには格好の材料だから、それが政治問題のネタになったり、セレブ紹介番組になったりしているわけで、お茶の間の視聴者はまんまと乗せられてしまう。
誤解をおそれずに言わせて貰えば、どちらもそれぞれの立場で得た資産なので、それをどうこう言われるのは大きなお世話だと本人達は思っている。もっと言わせて貰えば、野党がそれを鬼の首でも取ったみたいに攻撃材料にしているけれど、そんな個人叩きに励んでいる暇があったらもっと体を張って反対したり、取り組まないといけない政治課題が山ほど有ると思うのだけど、こんなことしか決め球がないのかなあ。

なにか袋叩きの様相がホリエモン偽メール疑惑のときと似てきたので、なんだか不安がよぎったのだけど、案の定、民主党内から、村上ファンド関連の議員秘書給与を肩代わりして貰っていた議員が出てきたりして、なあ〜んだやっぱり。こりゃ困ったね。

わたしが以前から何度も言っている(書いている)ように、野党根性丸出しで、首のすげ替え、とかげの尻尾斬りにしかならないことに、とらわれている党に政権は期待できない。こんな事やっていたら、小泉首相引退後も与党の独裁状態は持続してしまう。木を見て森を見ない手法は、そろそろ卒業して欲しい。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 12:37 | Comment(1) | TrackBack(0) | 政治

2006年06月26日

子供たち受難の時代に大人の役目は

kodomo.gif勤めを辞めてからフリーになったとき、しばらく食えなくて心配した友人が「ちいさな仕事だけど、ギャラも安いし。やってみる?」。当時は藁をもすがる思いだったので二つ返事で受けました。学校の卒業アルバム用の撮影です。

街の写真屋さんの仕事なのですが、それはそれで結構楽しくて、一時的なツナギのつもりだったのですが、十年余り続きました。あくまでも助っ人なので普段は拘束されないし、おおまかなコンセプトの擦り合わせはあっても、あとは自由に撮らせてもらえたので、今となっては楽しい思い出のひとつです。

表面的ではあっても学校の中(教育界)が覗けるという興味もありました。卒業アルバム用の撮影なので対象は最終学年(小学校なら6年生、中、高校生なら3年生)だけです。当時は自分の子供のような年頃の子相手の仕事は、時々本気になって叱ったり(仕事を忘れて)、色々ありましたけど、日ごろの大人相手の仕事(広告撮影や取材撮影など)とは違う意味で勉強になったと思います。

その中でわたしなりに感じたこと、見てきたことで、いまの社会問題(子供の)に通じるのではないかと思われる思い出をピックアップして書いていこうと思います。今日はもう時間が無いので、マエフリだけですが、次回から具体的な体験談を載せる予定です。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育

一期一会から始まって その2

rabender.gif7月は、北海道・中富良野のラベンダーの季節です。

30年前、道内で香料の原料としてラベンダーを農作物として作りつづけた数々の農家も合成香料の普及という思わぬ時代の波を受け、みんな採算の合わなくなったラベンダー作りに見切りをつけていきました。とうとう最後には中富良野のファーム富田一軒になってしまいました。今年限りでと、いつも心に言い聞かせながら栽培を続けていらした富田さん(当時44才)にとっても、その年は本当の正念場でした。

ある晴れた日、ラベンダー畑に大勢の人が訪れているのが目に止まりました。次の日も次の日も。もともと普段は地元の農家の人たちしか見かけない静かなところです。その不思議な集団との出会いが富田さんにとっても、中富良野にとっても未来につなぐ使者たちの出会いだったなんて、その時は知るよしもありませんでした。

その集団はカメラを持っていて、思い思いにラベンダー畑を撮り続けているのです。その中の一人が教えてくれました。「今年(75年)の国鉄のカレンダーに、この美しいラベンダー畑が載っていたんだよ。知らなかったの?」今のようにインターネットのようなものの無い時代です。この一枚のカレンダーによって富良野のラベンダー畑の存在は全国のアマチュアカメラマンに伝わり、愛好家たちは富良野を目指したのでした。

いつも訪れてくれる写真愛好家たちに、素朴な農家の富田さんのお母さんはどう、もてなしたらよいのか分からず、手持ちのハギレで作った小袋にラベンダーを詰めて、訪れてくれる人たちに差し上げることにしました。その手作りの匂い袋を持ったカメラマンたちが口伝えに、また富良野の人の優しさとラベンダー畑の美しさを全国に拡めていきました。

もともと上富良野で上田さんという方が栽培されていたラベンダーに魅せられた冨田青年(当時21才)が両親を説得し、中富良野の地に根付くよう努力され、農作物として開花されたのだそうです。その愛情や思い入れが最後の一軒になっても続けられた原動力だったともいえます。当時を振り返って語られる富田さんは「もし、あのときカレンダーにラベンダー畑が載らなかったら、またそれを見て訪れてくれた人たちとの出会いがなかったら、次の年はもう、ラベンダー畑は無くなっていたと思います。彼らが訪れ、励ましてくれた事が、もう一年、もう一年と続ける励みになったと思います」

夏の北海道にとって、いまや富良野のラベンダー畑は本土では見ることの出来ない南フランスの景観です。観光客も中富良野だけで100万人以上です。

中富良野町役場ホームページ http://www.furano.ne.jp/nakafurano/

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posted by ゲゲゲのイチロー at 08:00 | Comment(1) | TrackBack(1) | 日記

2006年06月25日

米国産輸入牛肉解禁日を間近かにして

guniku-1.gif健康上の理由から、数ヶ月前からベジタリアンに徹している今日この頃なのですが、いよいよ7月から米国産輸入肉解禁になりますね。わたしは関係ないからといいたい所ですが、世の中そんな甘いものじゃないって。

この輸入牛肉問題がニュースで話題になったときに、食用牛肉そのもののことより、取り除かれた危険部位が砕紛化され、他の飼料と混ぜられて再び家畜の餌となって与えられているというのを初めて知り、草食動物が肉を食べるなんて思いもしなかった(飼料に加工されているとはいえ)。

昔、勤めていた会社の仲良しグループと山間の温泉地に小旅行したことがあります。昼間は近くの渓谷に、すがすがしい空気と景観を求めて車を走らせたのですが、虹鱒釣りの看板につられてそこへ立ち寄ることになりました。そこは虹鱒の養殖場で、プールのような養殖池がひな壇上になっており、一番下の段が大きな溜池になっていて上流の養殖池から逃げてきた魚達はそこに留まるのです。その溜池が釣堀になっているのです(ムダがない)。

釣堀も飽きて上流の養殖池を見学させてもらうことになりました、ちょうど餌をやる時間だったので係りの人が大きなバケツで撒餌していましたが、バケツの中を覗くと、肉の塊がびっしり入っているのです。それをプールの中央に向かって放るのですが、それは以前何かの映像で観たことのあるピラニアが獲物にむしゃぶりつくみたいに、池の虹鱒たちは水飛沫をあげて、その肉塊を奪い合うのです。見ていて気分が悪くなりました。

今回、食用肉の規制や監視が取りざたされていますが、もともと規制の甘いアメリカは、危険部位や発病した牛の、その後の処置は」どうなっているのでしょう。加工された物は対象外となって様々の動物の飼料や愛玩ペットの餌になっているのではないのでしょうか。人は時間が経つと、いい事も悪い事もどんどん忘れていきます。おそらくこの輸入牛肉問題だって、あと数ヶ月たてば、何事も無かったかのように牛丼屋や焼肉屋の前は食事を楽しむ人たちで一杯になるでしょう。

本当の問題は狂牛病にあるのではなくて、日ごろ飽食の日本の現状を嘆きながら、おのれはその足で焼肉を食べに向かう、この他人事感覚のほうがよっぽど問題だと思うけど、どうでしょうか。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 10:21 | Comment(0) | TrackBack(2) | 社会

2006年06月22日

一期一会から始まって

最近パソコンの調子が悪くて、この間もやっと書き上げた原稿をアップしようとしたら、一瞬の内に消えてしまって、もう書く気力もわかなかった。しばらくその原稿のことも忘れていたのだけれど、今日いつも訪問させて頂いているお気に入りブログを開いてみたら「一期一会・・・・」という記事タイトルが目に止まって、よしこれでいこうと一念発起して、先日消えてしまった原稿を思い出しながら今書いている。

6月20日朝、いつもの遅い帰宅の車の中でぼんやりとカーラジオを聞いていた。生番組のインタビューコーナーで、その日のゲストは「新宿救護センター」代表、歌舞伎町駆け込み寺のゲンさんこと、玄秀盛氏だった。インタビュアーの簡潔な質問にぶっきらぼうともとれkakekomidera.gifるドスの聞いた関西弁が淡々と答えているのを、聞くとは無しに聞いていたのだが、気がついたらその対談の不思議な魅力に引き込まれていた。すでに自宅に到着していたのだが、そのまま車から降りず、しばらくそのコーナーが終わるまで耳を傾けた。

ここ数年、新聞等のマスコミで取り上げられたこともあるからご存知の方もいらっしゃるとは思うが、わたしは初めてであった。

大阪西成。在日。義父、義母。せっかん。貧乏。空腹。中卒。数え切れない転職。・・・・・・。キーワードを並べていくうちに彼の人生の輪郭が見えるような気がした。自立してからの生きていく上で彼に信じられるものは「カネ!」。がむしゃらに働いて、ときには極道まがいの世渡りもし、二十代のうちに年商十数億の実業家になった。信じられる「カネ」は手に入れた。その生き方になんら疑問も持たなかった。

6年前のある日、献血したときに後日送られてきたデーターに「HTLV−1陽性」と書かれているのをHIVと見間違え、人生の終着駅がもう目の前に迫っていると思った。葛藤した。それまでの40数年間の自分の歩んできた人生は何だったのだろうかと。その事がきっかけで4年前にすべての資産を手放し、新宿で一から人々の悩みごと相談所を開設する。大勢の共鳴してくれたボランティアの人たちに助けられて、赤字ながらも今日も「駆け込み寺」の使命に燃え、続けている。

これらをインタビューの中で本人が語るのだが、なんのおごりも無く、毎日が充実していると語っていた。お金儲けが目的の人生と決別して、無からスタートしたのに、今は何も無いのに大勢の人々が集まってくれる。支えてくれる。この歳(現在50歳)になって人の心のあたたかさが周りにいっぱいあることを感じる。自分が人生で信じられるものは「人びとの心」だったのだと今は感じていると語っていた。

わたしがラジオから聞こえる彼の自然な語り口に感動して、それをまだ知らないみなさんに紹介したくて書き綴っても、稚拙な文章力では万分の一も伝えることが出来ないのですが、新宿救護センター(NPO法人 日本ソーシャルマイノリティ協会)のホームページの「わが街わが友」の欄に東京新聞の過去記事をアップしたところがあって、そこが一番、わたしがラジオで聞いた内容に近い記事だと思います。

新宿救護センター http://jsma.jp/東京新聞掲載記事 http://www.jsma.jp/media/Tokyo.html

ManmoTVインタビューPART1 http://www.mammo.tv/interview/192_GenH/index.html 

ひらがなタイムス(日本をもっと知る) http://www.hiraganatimes.com/hp/scenes/kiji/kiji226-3j.html#top

追記 フジテレビ系で6月30日ドラマ化されて放映だそうです。
 

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:58 | Comment(0) | TrackBack(1) | 社会

2006年06月21日

久し振りに観た「きっこのブログ」は面白い

きょうも何か書かなければならないという脅迫観念に捕らわれて、あっちこっちニュースみたり、ブログみたりしているけれど、何かピンとこない。それぞれ得意分野があるから、当事者にとっては重大な問題でも関心の無い者にとっては、人の尻馬に乗ってまでエキサイトしようという気にはなれない。

詳しい事情がわかりもしないのに、はやし立てるのは、それは書き手というより単なる読み手の立場からの感情表現だ。表現の自由もあるし、何を書こうと個人の勝手だけど、でも客観的に自分をみつめ直す機会が少しでもあるのなら、本当に自分の考えなのか振り返ってみて欲しい。

そうでないと日ごろ忌み嫌う愚衆の姿がそっくりそもまま自分達の姿になってしまう。自分達だけで世の中が形成されているのならそれでよいが、異なる立場や考えの人たちと共存しているのが現実なのだから、それが嫌だと排他的な言動を吐くのなら、その姿はまさに世界の各地で問題を引き起こしている国々となんら変りはない。強いチーム(自分の)を望むのなら評論家ギャラリーはいらないのだ。

わたしの悪い癖で言葉がいつも抽象的になってしまうのだけれど、それは各々の分野にすべて当てはまる事なので、読まれる方が、それぞれに思い当たるところがあるならば、ちょっとだけ自分の気持ちを引いてみて、外から自分を眺めてみて欲しい。

そんな事を考えながらネットサーフしていて、「きっこのブログ」を覗いたら、今日の記事は楽しかった。彼女一流の、面白可笑しく、身近な話題で書き連ねているのだが、さっき、わたしの書いたこととある意味ではコンセプトが通じる。彼女はそれをうまく皮肉をこめて調理しているところなんかスゴイと思う。書かれて有る事をよ〜く判読すれば笑われているのは、そのまま自分達の姿かもしれないと感じた読者はどれぐらいいるのだろうか。

 

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニューメディア

2006年06月19日

真面目に日本を愁いている人達

今日はネットサーフの流れでちょっとだけ、右っぽい人の人気ブログにたどり着いた。                                       
わたしは70年安保世代なので(もっとも、唯のノンポリだったけど)、自分もそうだったけれど若者はいつの時代も反権力の気持ちをだれもが心に秘めていたと思う(運動している、していないにかかわらず)。言葉を置き換えていえば、大人社会に対しての若者特有の反抗期の時期なのかもしれない。たまたまその時期が日本が日米安保条約再継続という節目でもあり、自分たちの青春でもあったから、その大人社会への若者達の反発のかたちは、あるものは学生運動や労働運動に流れていったものもいたし、傍観者の自分たちにも少なからず、気持ちの上でその影響はあったかもしれない。

今日、読ませて頂いたブログはそういった意味で、日ごろ自分が避けてきた種類のブログだったのだが、読んでいくうちに引き込まれてしまった。説得力がある。ともかく殆んどの文面が納得できるのだ。ただ唯一、わたしの思いと違うのは、彼の文面は、今の時代の諸悪の根源は左の人たちのせいだと言い切っている。ここだけ違う。
おもわず笑ってしまった。だって、その最後の部分を「右のひとたち」に置き換えて言えば、そっくりそのまま左の人たちが日ごろ言っている事と同じだからだ。真面目に書いている。本当に真剣に現代社会(日本)を愁いている。目的が一緒なのに何故歩み寄れないのかと思うぐらい似ている。

わたしなりに考えてみた。日本を良くしようという共通目標を掲げていても、手段が違うからだと思う。山の頂上を目指す気持ちは一緒でも登っていく路が違う。その自分が選んだ路を主張するために、相手の諸々の行状を批判する。これは右も左も一緒だ。正すべきところは例え反対側の人たちに言われても素直に正すべきだし、それが自分達の側だったら、かばったり黙認するなんてもっての他である。それが出来ない今の政治は目指す目標への本筋の是非で議論なされるのではなくて安っぽい枝葉で叩き合っているように見える。お互い叩かれる材料は別のかたちで処理しないと路を誤り頂上を見失う。

もうひとつ、彼のブログで笑ったのは、諸悪の根源が「○よりの人たち」のせいと書いてあった事に加え、世の偏向したテレビを代表するマスメディアのせいだと書いてあったので 吹き出してしまった。どちらの側もマスメディアは自分達にとって敵だと思っており、相手の都合の良いように偏向操作されていると主張しているところなんか、OBのオジサンからみたらどっちもどっちだと思うけれど?。
                                      
 

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2006年06月18日

しぶとい年寄り

二、三日前からブログ画面を修正したくて、日々悪戦苦闘。

以前、「ページトップに戻る」と画面下に入れていたのに、HTMLを初期化してしまったから、また最初から打ち込まないといけないのだが、入れたのは随分前だったから、HTMLのどの位置に入れていたのか覚えていない。

マニュアルを引っ張り出してきて、色々それらしいところに打ち込んでみるのだけれど、疲れているのと眠たいのとで打ち間違いばかり続いて、なかなかはかどらない。もう終わり頃には迷路のパズルをやっているみたいで、とうとうギブアップ。限られた時間に作業することもあって、一日たつと昨日やった事をみんな忘れているから、また初めから。

なんてこっちゃ。歳を取ると記憶力が衰えてくるのがよくわかる。もうこうなると、何が何でもやってやると週末の時間返上して、ようやくプレビューで文字が画面に出てきたときにはホットした。いつも「人気ブログランキング、クリックお願いします」と、バナーを記事下に入れていたのは、じつは原稿を書き上げる度に、わざわざ貼り付けていたのだ。その手間を解消しようと、今回はHTMLの中に打ち込んだ。

ところが「お願いするバナー」の説明の文字の大きさが調整できていない。記事本文の文字よりかなり大きくなって画面に出てくる。「お願い文」だけデカイなんてとても恥ずかしい。取り敢えず、なんとか使える状態だけにはなったので、細かい調整はまた追々やるとして、ようやく今日から記事がアップ出来ることになりました。

追信です。今日中には無理だと思っていた文字の大きさ調整出来ました。年寄りのネバリ勝ちです。ヤレヤレたらーっ(汗)。(19:57)

 

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:45 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2006年06月15日

光り輝くモノを求めて

最近、ブログ書いていても楽しくない。スタート時と比べたら、書く要領にも慣れてきたし、掲載回数も以前よりはずっと増えた。好意的に訪問してくださる方たちもいらっしゃるのに、何故か楽しくない。友人に言わせると、またわたしのワガママが始まったと笑う。居心地の良さはわたしにとって苦痛だ。

いつの日からか、読まれることを意識して書き始めた(ウケを気にしている、居心地の良さを求めている)、そういう自分が嫌だ。でも自分のブログのコメントに、反論じみたことを書かれたらショックだろうな。

自分が気づかない別の視点も知りたい。

関心があることと、好きなこととは違う。好きなブログもあるけれど、それは単に自分にとって居心地が良いだけ。自分の求めているものとは、たぶん違う。だからあえて自分と立場(意見)を異にするブログも覗いてみる。ああ、オレとは違うなあと思いながらときどき気になって、また覗いてみる。でもときたま、何十遍に一遍、いい文に遭遇する。ああ、いい視点してるなあ、ナットク!。でも、次の日からまた、意見を異にする記事が延々と続く。

もしかしたら、ブログを書いてるみんなも、その何十遍に一遍の光る(自分にとって)モノを見つける為に、書き続けているのかも知れない。

でも世の中に口の上手な人います。人の気持ちを掴むのが上手い人。そういう人が為政者だったり、宗教家だったら人々は不幸せです。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:14 | Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

2006年06月14日

あなたは惰性になってませんか。

よく駅員さんが出発前の電車のいるホームを、前方から後方まで指差して安全確認をしているのを見たことはありませんか。これは単純なことですが非常に大切な事です。

わたしの仕事も確認から始まります。毎日の繰り返しなので、つい手を抜きたくなるのですが、もしそれによってアクシデントが起こると、乗り物の仕事に従事されてる方たちのように、人命に関わるようなことは無いまでも、まず、間違いなく信用を失います。企業の社員なら何らかのかたちで、フォローして貰えますが、フリーの立場の人間にとってそれは致命傷です。最悪の場合は、仕事がきれるだけでなく、損害賠償を求められます。過去に2度だけありました。

撮影条件の安定している場所での場合はさほど問題はないのですが、屋外で状況が変り易いときや、被写体がカメラを意識しない動物や幼い子供たちの場合は大変です。それも時間と予算をタップリ頂いている場合ばかりではないですから、アクシデントは、そういう余裕の無い条件のときに起こります。だから確認が必要なのです。指差したり、声に出したりしているわけではありませんから、まわりの人たちは気づきませんがすばやく一から確認を始めるのです。確認に時間がかかる作業ほどその心構えは必要です。

またいつもの例え話になりますが、NASAなどがスペースシャトルや宇宙ロケットを打ち上げるときに、カウントをとりますね。大きい数NASA.gif字からいって、残り後わずかのカウントになったとき、何らかの事情で中断する場合があります。それから再び作業が再開されたとき、残り36まで数えたから次は35からだとカウントしますか。いいえ36までの段階で確認したことは確認済みだからそのまま続行ということにはなりません。また最初から数え始めるのです。これは極端な例だったのですが、状況が時間とともに変化する仕事に従事するものにとってこれは至極当然のことです。

若い同業の人たちの会話を聞いてると時々びっくりするような話をしています。今はフィルムの時代でなく、VTRや磁気ディスクの時代なのでリプレイしてすぐ確認できることが失敗しても撮り直しできるという甘えにつながっていると思います。フィルムの場合は現像から上がって来るまでの時間がかかります。翌日仕上がりを確認してダメだったらもう同じ状況は再現できません。何十年やっても緊張の仕事でした。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年06月13日

モノクローム世代

今はすべての映像がカラーだが、昭和30年代までは、白黒全盛で(映画もテレビも)カラーは、既にあったのだけれど、まだ希少価値だった(コストが高い)。だから、わたしが習った当時は、白黒を基準(スタンダード)として教えられた。操作はすべて手動。露出計も無かったから、自分の記憶とカンに頼るいい加減なものだった。当時の専門家のコラムなどにそれが出来ないとプロじゃないみたいな事が大真面目に書かれてあったのを覚えてる。

capa.gifでも白黒映像のいいところは最初から色の事を気にせずに、写したいコト、伝えたいコトのみに集中できた(伝えられた)。それが段々と原稿依頼がカラーでという注文が増えてきて、今までどおりの感覚で撮影し、提出したら「もっと色のコンビネーションや効果を考えて撮るように」とお叱りの言葉が返ってきて、また新しいコト(テクニック)を覚えなければと苦労した。いまの人はハードがすべてオートマティックだから操作の苦労が無い分、絵作りに専念できる。

どんどん進歩して実際に見たモノに、より近く表現できることは、一見良い事のように思われるが、実はそうではない。以前にも書いたが「伝えたい事」というテーマがあってカメラを回しても、要不要にかかわらずすべてのことが写ってしまうのだ。人間の肉眼で見るばあいは、一瞬のうちに脳の中で取捨選択し、興味のあるモノしか脳が受け付けないから、あたかもそれしか見えていないように思うだけなのである。だから現場のカメラマンは見えるコトではなく、見る人(視聴者)が関心を持つであろう(もちろん撮影者自身も関心があるのだが)状景をフレーミング(トリミング)していく。そうして「伝えたかったコト」を皆の前に披露するのだ。

これがややもすると、作為的に本来伝えるべき事はフレームアウトされてしまうこともある。(ほとんどは編集段階でだが)これにSE(効果音や音楽)がつき、ナレーションがつく。商業目的の映像はこのテクニックは当然のことではあるが、これが報道とかドキュメントの場合はある意味でコワイ!。

(カラー画面をモノクロにして音量もゼロにしてニュースを見るのもいいかも。編集してあるから保証はできませんが)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:18 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2006年06月12日

今朝、地震!

今朝、5時ごろ地震があった。うちは木造二階家なのでかなり揺れた。すぐNHKの速報を見たが、震源地は大分県で震度5弱が広島、大分、愛媛だった。すでに起きていたのだが時計を見て、一瞬11年前の阪神淡路大震災(1995年1月17日午前5時46分)を思い出した。季節は違うが、やはり早朝である。

今は初夏に近いので5時といっても明るく、すでに外気は暑い。十一年前の神戸の地震ときは、まだ真冬の朝五時過ぎだったからほとんどの人が寝入っていたと思う。規模も違うとはいえ、もしこれが同じ真冬の早朝だったらと思うとゾッとする。さいわい、ほとんど被害も出ていないようなのでまずは、一安心だ 。                                                                           
11年前の阪神淡路大震災のときも家にいた。あのときは揺れで目が覚めてテレビ速報をみたら阪神地方だというので親戚の安否が気になり、すぐ電話したのだがつながらない。その状態が終日続いた。テレビ中継で上空からリアルタイムに破壊された神戸の街が延焼していく様子が伝えられた。日本中の人が燃え盛る火がくい止められない状況をジダンダ踏んで見ていた。死者は6千余人、ほとんどが建物崩壊による圧死だった。

あの時の教訓で印象に残るのは、新建築基準で建てられた建物がほとんど大丈夫だったことで、みんなの意識の中で耐震強度の見直しが再認識された。つながらない有線電話から携帯電話へと普及に加速がついた(普及し過ぎて今度は携帯のほうがつながらない)。全国の若い人たちが被災地でのボランティア活動に大勢参加した(そのボランティアの中に現長野県知事、作家田中康夫氏の姿があった。のちの知事選に大きく影響したと思う)。

あれから11年再認識されたはずの防災意識は時間の経過とともに、人々のこころから薄らいで来ている。今朝の地震でも、NHKが揺れの大きかった町の役場に電話をしたら、当直の寝惚けたオジサンが「詳しいことは消防署に聞いてくれ」とはからずも、役所として何も把握しておらず、またそのための初動体制すら取っていないことを全国に電波で流してしまった。

実被害がなかったからよかったものの、もし大きな被害になっていたらと思うと、お上の掛け声もいつものことながら地方の末端までは届いてない。よく防災訓練で町役場の放送設備が緊急用バッテリーがアガッテいるのに気がつかないで使えなかったとかいうのと一緒だとおもった。こういう能天気なお役人は耐震偽装で作られたマンションにでも住まわして、震度5以上の地震でおもいっきり揺さぶらないと職務を自覚しないのかもしれない。                               

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posted by ゲゲゲのイチロー at 14:29 | Comment(0) | TrackBack(2) | 日記

2006年06月09日

幻想から脱出

今、思い出してみれば日本が高度成長期の時代、いまよりずっと劣悪な生活環境や労働条件だったにもかかわらず、当時の国全体の流れとしては、日々得られていく物質的豊かさにすべての国民が酔いしれて、冷静な視点で負の部分を指摘し警鐘を鳴らそうという姿勢が、はたして日本に本当に在ったのだろうかと考えることがあります(一部の負の当事者や運動家にはありましたが)。

戦後、GHQから与えられたとはいえ主権在民の本当の民主主義がスタートし、敗戦の痛手から復興を目指していた日本にとって「豊かな国とその生活を」という目標はイデオロギーや手段の違いはあっても、資本家および労働者双方の共通の目標でもありました。その間にアメリカ追従の保守勢力と社会主義を前提とした革新勢力の永遠ともいえるバトルが繰り広げられるのですが、国民生活が充実してくる事によって、いつしかそれは国民の日常の生活意識から離れていき、プロ運動家たちだけの闘争となって現実感の伴なわないものになっていったのだと思います。

実際には60年、70年を節目とした学生や労働団体による大きな闘争があるのですが、それもセンセーショナルな側面しか伝えないマスコミ報道をテレビで眺めている大半の国民にとって自分達の生活とは縁の無い(と思っている)意識の外の世界でした。

いまよりもっと巨悪な利権政治家や、営利最優先公害垂れ流し企業など、それらが巷に溢れていましたし、組合も労働貴族と呼ばれるパラサイト集団がアグラをかき、選挙のためだけの組織(いまの某宗教がその様相と似てきている)として、どんどん真の民意から離れていきました。まじめに政治に向き合わない大衆の無関心を嘆げく声はあがっても、毎日飽食に明け暮れしている人たちの耳には、地道な少数の活動家達の声はもう届きませんでした。

わたしは基本的には性善説派なのですが、現実には人間は性悪説をとったほうがよいのではないかと思う事もあります。バブルがはじけて幻想から目覚めて気がつけば、こころの貧しさ故にお互いにねたみあい、傷つけあい、疑心暗鬼が蔓延しています。いっそノアの洪水かなんか起こって、みんな(わたしも)流されてしまったほうがいいのではないかと思ったりもします。でも信じたい。少しでも可能性があるのなら。人間はそんな愚かな動物ではないはずだと。

この日記が駄文だったと後になって笑って話せる思い出話になることを夢見ています。

ウィリアム・クライン(写真家・アメリカ)の作品で世界の都市シリーズで60年代の東京を撮ったものがありますが、高度成長期の中の日本の混乱ぶりがレンズの目を通して冷静に描かれています)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:32 | Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

2006年06月08日

フィルムVSデジタル

けっこう時間が自由になるので早く記事を書いてしまえば良いのだが、いつもダラダラとしているうちに出勤時間が迫って来る。そのころになって、ようやく文面が浮かんでくるのだ。だからいつも遅刻。

わたしはモノ書きが仕事じゃないし、映像のほうはキャリヤは長いけど現役じゃない。まして今の時代はアナログからデジタルへと、急激に変化しているときだから、過去の経験や知識は図書館の書棚より、博物館の歴史資料棚に展示したほうが良いくらいだ。でも表現媒体がどんなに変っても、それを扱い受けとめるのは人間なのだから伝える中身や目的は何も変らない。

この間、朝日新聞(6月5日付)のコラム(きょうの論点)に篠山紀信さんと赤瀬川原平さんが載っていたので、ちょっと懐akasegawa.jpgかしくなって目をとめた。紀信さんが40年生まれ、原平さんが37年生まれだからそれぞれ66才と69才kishin.jpgだ。若い人から見ればジジイの歳だがまだ現役なのでうれしい。赤瀬川さんはもともとは作家だが、途中から発表活動に写真も取り入れてわたし達を楽しませてくれた。

その2人が好対照な意見を述べている。紀信さんはデジタル時代の中にいる現役としてクールに写真界を語り、原平さんはフィルム時代の写真の良さををホットに懐かしむ言葉でつづっており、どちらも納得の出来るコメントで若い方たちにも理解してもらえると思う。

ときどきいろんな出版物で若い写真マニアの人がレトロなカメラで撮影した作品を発表しているのを見かけることがあるが、我々の時代はその原始的で未完成な道具で苦心惨憺して、いかにリアリティに近づけるかが腕のみせどころだったのに、その未完成さが素敵だと喜ばれるなんて想像もしていなかった。今はよき時代だと思う。

街を歩いていても、あちこちで携帯電話を前方にかざして写真を撮っている光景をみかける。だれでも手軽に映像を楽しめる時代になった。でもこれは裏返していえば、それを商売にしていた者達にとって受難の時代だともいえる。だからプロは切磋琢磨してもっと素人に真似の出来ない作品作りに専念しなければいけないのだ。これはどの業界にも通じる事で既得権益に甘んじていたら足元をすくわれるのは、次はアナタの番かもしれない。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年06月06日

カエルの子はカエル。

昨日の村上世彰さん(村上ファンド)や堀江貴文さん(ライブドア)が時代の寵児と世間で持てはやされても、それが一夜にして罪人扱い。若い人には相変わらず人気だけれど、アメリカ的サクセスストーリーは日本には馴染まない。

貧しかった日本が、お金さえあれば幸せがなられると、一億総エコノミックアノマルと化してみんな猛烈に働きまくり、そして得たものは物質的豊かさとは引き換えに、沢山の大切なモノも失った。その事にそろそろ気づき始めていても、じゃあ元の生活に戻れますか。テレビ見ながらスナック、ボリボリ食べて「うん、昔は良かった」なんていってる、そこのオジサンやオバサン。まず、おたくの生活態度から改めようよ。そんな親を見て育てばヘンテコリンな子供になって当然だよ。子は親の鏡だよ。

何でもかんでも人のせいにして文句があるなら、子供に誇れる大人になろうよ。どうせ長生きして、いずれは子供のご厄介になるんだから、そのときひどい目に合わされても知らないよ。

6月1日から道交法改正に伴い交通ルール無視の自転車に対する新しい罰則規定が実施されるにあたって、警視庁と広島県警の近年の自転車及び歩行者の関わる交通事故統計を調べてみた。そこでわかったことは就学児童(小中学生)の事故発生率の以外に少ない事だ。50代以降の熟年から極端に事故発生率が増加する。それは単なる高齢化に伴う体力的なことだけが原因じゃない。ただ単にルールを守らない大人が多いだけのことだ。就学児童はさすがに学ぶ気持ちのある世代だから社会のルールには、一番従順だ。

こういうのを具体的に数値で見せられると、反論出来ない。大人として恥ずかしい。自分たちがモラルもルールも守れなくて、やれ、政治がどうの、世の中がこうのとよく言えると思う。そんな世の中にしてしまったのは、先に生まれたわたしたちだ。でも、今更言ってもしょうがないかな〜と思っている今日この頃だ。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2006年06月05日

村上世彰氏逮捕

ハッキリ言って株のことはよく分からない。ライブドアや楽天の企業買収が世間を賑わせている時に、常に見え隠れしていたのが、このmurakami.jpg村上ファンドだ。彼らの動向はニュースの主役達よりも一般投資家にとって気になる存在だった。

M&Aが日本に存在することを一般人に認識させたが、その馴染めない行動に素人のわたしでも、なぜか胡散臭さを感じていた。所詮お金持ち相手のマネーゲームで食っている連中のことなど遠い存在だったが、阪神買収劇のころから様子がおかしくなってきた。

東京地検が執拗に彼らの足跡を追求し、遂に追い詰めた。彼の優秀な経歴に不可能の文字は無かった筈なのに、少しづつ軌道がずれ始めた。エリートは頭の中の理論は完璧でも現実の世界のアクシデントにはいたってひ弱い。弾力性がないのだ。

悪党相手の商売の官憲にとって、彼らはヤクザを落とすより易しい。

今朝の東証での記者団を集めての発表には、彼一流の饒舌が最後まで続いたが、それは聞くものにとって、失笑に値するとしか言いようのない惨めな弁明の羅列でしかなかった。

夕方に「逮捕」の速報が流れた。

国の為政者も努力する者が報われる社会の実現をと、次期総裁を意識してキレイゴトをノタマワッテいるが、そういう意味でもアダバナ的ファンド野郎は、国政にとって邪魔だったのかもしれない。

「人生に必要なものは、勇気と想像力と、そしてほんの少しのお金」(映画ライムライトより)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:44 | Comment(0) | TrackBack(43) | 社会

2006年06月04日

Snobbish World

平成17年度芸術選奨で文部科学大臣賞まで頂いた、どこやらの絵描きさんが実は人さまの作品をそっくりコピーして、いままで数十点盗作、発表しバレないどころか絶賛されてきたというから、驚きというか日本の文化水準の低さを改めて露呈した事件になってしまいました。。時事ネタとしては、賞味卒限スレスレなのですが、この世界に友人もいて門前の小僧ながら多少の知識もあるので、ちょっと関心を持った次第です。

わたしの友人に言わすと、この世界ほどスノッブな世界(俗物が上流ぶって集うエセ社交界)はないといいます。

もともとたいした見識眼もないくせに、ちょっと成り上がった企業や個人が好んでコレクションしたがるから、メシ食っていけるんだと友人は笑ってました。いまなら3個で100円で売っていそうな湯のみや茶碗を作っているオヤジがある地方都市にいました。そこそこ生活用品として売れますから何不自由はなかったのですが、歴史のある陶器を作っている窯元を、いつも羨んでいました。でもただのチャワン屋ですから世に出る事など知るすべもなく毎日をくらしておりました。そこへ、ある男(わたしの友人)が訪ねてきて、いろいろ策を廻らし芸術の世界への道筋をつけてやったので、そのチャワン屋は、みるみるうちに陶芸家として世に出て行くことが出来ました。

わたしの友人の中でもその男は、そういう世渡りというか、その裏社会に精通していて、インスタント芸術家を仕立て上げる腕は素晴らしいものがありました。

みなさんもご存知の二○会とか、国○会とか、美術団体はワンサカあります。よくニュースでテレビタレントの○○浩二の絵が公募に入選したとか、○○みどりの絵が入選したとかそのシーズンになるとオンエアしているのを見た事があるでしょう。美術団体といえどもボランティアでやっているわけではないですから、主宰者はその団体を運営する事でメシを食っているわけです。だからより知名度が上がるほうがいいに決まっていますからマスコミが飛びつくような話題をいつも提供しているのです。

もちろん才能や実力もあって活躍されている方が大半でしょうが、きれい事ばかりの世界でもないことも事実です。彼はそのへんをたくみに渡り歩いているようでした。もっと具体的に書けないのが残念ですが、やっぱり芸術は本当の実力で評価されるものであって欲しいと思います。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 08:00 | Comment(15) | TrackBack(21) | 社会

2006年06月02日

わたしの反省(最近のニュースの事)

cyushaihan.gif6月1日、改正道交法施行よる放置駐車の取締りが始まった。この二日間、街中走ってみるののだけど、ぜんぜん見かけない。(違反車両も取り締まりの駐車監視員も。マスメディアを通じてあれだけ予告した効果か?)

我が、広島県は2業者26人と出ていたが2人1組で廻るとでていたから、実質13箇所の地点での取締りとなる。そのうち呉市と福山市は広島市から30キロと100キロも離れているからそれぞれに駐車監視員を置かないとカバー出来ないから、その2箇所4人を引くと広島市内は22人11箇所の取締りとなる。初めての試みなのでどれぐらい効果があるか、実施されることによって新たな問題点も発生が予想されるので、そのときは速やかな手直しがされることを望む。

今回の改正には自転車の事故につながる危険な運転に対する具体的な指導と罰則が盛り込まれている。わたしのブログでも(4月14日付け)、交通事故の中での自転車を含む(関わる)事故が大きなウェイトを占めて来ている現在、早急な対策が望まれると書いたが、結論実施は今秋と見られていたのに予想外の早い実施に驚いている。これも周知徹底されることによる効果を期待したい。

今の時代はいろんなことが複雑に絡み合い様々なかたちで問題を発生させており、ひとつひとつを検証し解決に持っていくまでには困難や疑問も予想されるが、国民生活の向上という最終目標のために手を拱(こまね)いていても何も解決しないし、枝葉末節な議論は本筋の目標を見誤らせる。

きのうラジオでニュースを聞いていたら社会保険庁の今回の問題に関して解説していたが、民間の知恵を導入して新たな道を見出そうとする行動(方針)が、現場の認識とのギャップがあまりにも大き過ぎて、そのひとつに公務員特有の事勿れ体質が足を引っ張るかたちとなったことが原因として取り上げられていた。わたしは日頃見ないテレビを見てて、長官の居直りとも言える発言と彼の不幸にも生まれ持った人相の悪さが相乗効果を生み、誤って長官を責めてしまったが(他ブログで)、後になって冷静に考えてみると、公務員がどれほど新しいことや改革に消極的な集合体であるかということの、読みの甘さの点については長官は責められても致し方ないと思う。しかし続行を命じられた以上、汚名挽回の為に本当の成果を出して貰わないと今度は本当の悪党になってしまう。

たまたま見たテレビニュースが、誘導ともとれる記者団の質問が長官の本音を引き出した点は評価するが(うっかり喋った長官の態度は別の見方をすれば正直であり、もしこれが老練な官僚上がりの長官ならそんな本音はおくびにも出さず、遺憾の意を述べて在り来たりの答弁に終始していただろう。それは耳障りは良くても後に不満が残る。)

わたしもいつもは偉そうなことをマイブログで述べているが、今回は度々取り上げているメディアリテラシーの難しさを改めて感じた(体験した)。マスコミは責任を一点に集中し、視聴者の不満のはけ口のの為のスケープゴード狩りをし、わたしもまんまと乗せられてしまった。国民が本当に求めているのは、多少の不満は伴っても納得のいく行政の在り方であり、ドジ踏むたびに首のすげ替えや、トカゲの尻尾切りでお茶を濁されていたのでは何も変らない。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:21 | Comment(1) | TrackBack(1) | マスメディア

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