石橋を叩いても渡らないかも?

2006年05月25日

メディアリテラシー入門かな?

日頃、テレビを見ないわたしは活字による情報が主だが、それは映像イコール真実という幻想に最初から否定的見地に立っているからだ。たしかに活字がマス媒体としての主役の役割を果たしていた時代を経て、テレビという動画の登場が世の人々に与えた功績は大きい。
だがこのリアリティー感(決してリアリティーではない)は両刃の剣で、創り手の意図が何を目指しているかによって、より真実に皆の意識を近づけることも出来るし、また遠ざける方向に導くことも可能なのだ。

ただ映像の唯一の弱点はカメラのレンズの前に、必ず伝えたい現実(被写体)がないと何も始まらない。(その点、活字は何も無くてもkurosawa-2.gifデスクの上でペンひとつで創り上げていける)
それとレンズの写り込む範囲(角度)のものは全て、創り手にとって不必要なものまで伝えてしまう(写し込んでしまう)。
かの名映画監督黒沢明氏が屋外ロケで撮影にジャマな電信柱なんかを強引に撤去させたと言う話があるが(いまなら後で簡単にデジタル処理できるが)、ニュース映像ではそうもいかない。
小説(フィクション)は読む人がイメージを自分の中で膨らませていく楽しみがあるが、映像は直接視角から入ってくるのでその想像の余地がないことが、逆にある意味で人々を真実(リアリティー)と錯覚させているかも知れない。

アマチュアの人の作品で何を撮っているのか、何が言いたいのかメチャクチャに盛り沢山で、理解に苦しむような映像があるが、その人自身の脳の中では選ばれたイメージを捉えたつもりが、無機質なカメラのレンズは全ての状況を冷酷に捉えてしまう。
本当はこれが最も原始的リアリティーなのだが、何かを伝えたい、訴えたいと言うことになると意図的なカメラワークが要求される。

今日は何が言いたいのか書いてて論点がボケてしまったが、あえて伝える側の肩を持つならば、現場の第一線(カメラ)は決して視聴者を騙そうという意図は無く、職業意識で、より事実(リアリティー)に近づける為のイメージづくり(カメラワーク)はするかもしれない。
映像イコール真実という観かたは改めたほうが良いかも知れない。
(長文は苦手なのでつづきは改めて後日書きたいと思います。)



このページの一番上の記事へ戻ります

posted by ゲゲゲのイチロー at 21:07 | Comment(3) | TrackBack(1) | 社会

最新のTOPページへ

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。