石橋を叩いても渡らないかも?

2006年05月03日

PCを捨てて街に出よう。

最近、ちょっと欲が出てきて、もっとみんなに共感を得られるブログにしたいと思い始めている。
でも自分の心情に逆らってまでウケを狙った記事は書きたくないし、内容的には稚拙でも、何か心に余韻の残るような文章が書きたい。
カテゴリーは「日記」でスタートしたブログだったのに、いつのまにか政治ブログぽくなってしまった。(やっぱり、一番関心があったからかもしれない)

きょうは半日費やして、人様(ひとさま)のブログを政治、文化、はたまた宗教から右系、左系と乱読したが、読めば読むほど頭の中は混乱してもうギブアップ。どれも正論に思えるからだ。
いずれも熱心で、書き手の思いがこもっているのが感じられて、無げに否定できない。でも、好んで読まない限りこんな思いはしたくないというのが本音だ。(疲れた)
わたしの個人的な意見を言えわせてもらえば、ひとりの人間のこころの中には部分的ではあっても、すべての皆さんのご意見にそれぞれ共鳴する要素があって、はっきりと何系とか、何寄りとかじゃなく、混在したものが人の心ではないかと。

わたしが一貫として心掛けているのは、難しい専門知識を持って語るよりも、こどもの無垢な、それでいて残酷な鋭い視点にすこしでも近づきたいと思っている。

たまたま拝見したブログがそうだったのかもしれないけど、皆さんのブログは知識や情報が先行して、ご本人も気づかぬうちに自分の意見として述べられているのが多いように思われる。そのことを否定するのではなく、わたしの言いたいことはもっと実体験を経ての感想を聞きたい。
昔「書を捨てて街に出よう」と言う著名な方の言葉がはやったことがあったが、バーチャル全盛な世の中で、もうそれも無理な時代なのかも知れない。

ずっと以前、テレビで各界ののゲストを交えての番組で、国際政治学者の舛添要一さんがその日のテーマのながれで、わたしの専門分野の話題を語ったことがあったが、プロ(職人)の立場で聞いてると、その発言は薄っぺらく、知識として取り入れたものをただ口にしているだけなのが感じられる場面があって、思わず苦笑してしまった。でも大方の視聴者は彼の肩書きと番組のブランドで信じて観ていたかも知れない。あの舛添さんでさえその程度なのだ。
「生活」は字のとおり、活きた行動でなければ机上の知識で終わってしまう。
若者すべてがというのは言い過ぎるが、日頃ブログに接するにつけ、そう感じるのは「年寄りのおせっかい」だろうか。





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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:55 | Comment(3) | TrackBack(1) | ニューメディア

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