石橋を叩いても渡らないかも?

2006年05月30日

続・両刃の剣(マスメディア考)

takesi.gifきのうは「ビートたけしのTVタックル」を見た。予告のバンセン(番組宣伝)で公明党を取り上げていたからだ。どこまで切り込むか興味があったが、やはりこちらの期待を裏切らず、和やかな玉虫色番組(皮肉!)に終始した。

マスコミの書けない七つのタブーのうちのひとつ「宗教」をバックボーンに持つ政党だけに視聴者の関心は、その辺にあるのだろうが、それにはほとんど触れず、それがかえって見終わったあとに、この党の曖昧さをより感じさせた。
たけしはあいかわらずボケに徹して、それが彼一流の「しょせん娯楽番組」という位置付けの精一杯のアプローチなのだろう。こういう番組作りの構成が三流誌ぽくって、真面目な視聴者にとってはいつも不満が残るのだろう(マジメに観るなって!しょせん娯楽番組なんだから)。
このあいだからメディアリテラシーということを念頭に入れて様々なメディアに接してきているのだけど、わたしにとって構えてまで警戒心を持つメディアは見当たらない。もしかしたら、すでに自分に取り入れるときに無意識に取捨選択しているのかもしれない。
 この間国民投票法案の審議入りにあたって提出された与党、民主両党の案に一抹の不安を感じたその日の夜、同世代の同業者と意見交換したのだが、メディア規制をしないということはそれに向かって行く為政者の立場でいうと、金に糸目を接げないでその道のプロ(広告製作サービス業者)にイメージ作りを委託して、マス媒体をフルに活用すれば疑いを持たない国民はマインドコントロール出来るのではないかと、そうなると国民投票に委ねられた案の中身より、宣伝上手な方に票が流れてしまうのではないかと、ま、こんな事を話しながら夜を明かしたのだが、考えてみればもう既に、それは始まっているのかもしれない。
 
国民にとって一番大切なことは誰の為の政治なのかということなのだが、それを見守り判断する側(国民)の受けとめ方にも時代の流れや、価値観の変化がある。
一部のイデオロギーに固執した政党が凋落していったのも、持論が正しいと言う信念だけでは、人はついて来ないことを早く悟るべきだった。(それを人々が無能だから自分たちの主張が理解を得られないのだという見地から、いまも行動しているのならもう救いようがない時代錯誤だ)
マスメディアは両刃の剣だ。嫌悪感を持つ以前にその効力がいかに絶大か、敵に回すよりも味方につけて自分たちをアピールすることも必要だ。

もともとひとびとのしあわせのためにあるのですから「ますめでぃあ」は!。
 

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(2) | マスメディア

2006年05月29日

両刃の剣

takajin.gifもう半年近くテレビを見ていないのだけれど(半年前に数回見ただけ)、自分でもメディアリテラシーのことを取り上げるようになって、いろいろ人のブログも読んだりして、まじめに取り組んでいくうちに、どうも槍玉に挙がっているのはメディアの中でもテレビのことらしいと気がついた。

日ごろテレビを見ないわたしが、現状を知らないで記事を書くのもおかしいので、みんながよく話題にしている番組から見てみようと番組欄を見てたらよみうりテレビの「たかじんのそこまで言って委員会」っていうのがちょうど30分後にあるので、チャンネルを替えて初めて見たのだけれど、以前見てた(今は見ていない)「たけしのテレビタックル」の関西版みたいで期待ハズレだった。

やしきたかじんのキャラはよく知っているから、もっと鋭いツッコミがあるのかと思っていたし、OFF関東エリアの利点を活かしているかなと思ったけれど、しっかりハサミ(編集)が入って当り障りのない番組になっており、これがマスメディアの限界かなと思ったりもした。
サンケイ新聞に脱税ヨバワリされた橋下弁護士も出ていて、何か言ってたけれど、あの人の場合はそれも有名税だし、そのことについて反論の場も与えてもらえるからいいけれど、これが一般人だと世間の制裁にあったりして、単なる誤報で済まされなくなるので悲惨である。


わたしが駆け出しの頃、局の留守番をやってたら、ある一市民の方が前日の誤報記事の訂正を求めて来られたことがあった。お伺いしたら、掲載された各紙すべてを抗議に回られたとの事だったが、いづれも門前払い同様だったという。わたしはどうしてよいのか解らず、上司に伝えて後日返答するという事でお帰り願ったのだが、結果的にはそのままだった(上司に放っておけと言われた)。ご商売されている方だったので、取引先からの問い合わせや抗議の電話で大変な状態だといわれており、気の毒に思ったがどうしようもなかった。(いまなら市民意識が高いから状況は違うと思うが)

マスコミはペンを剣にして権力と闘うものだが、矛先があらぬ方向に向かってもそれを認めようとしないのは、今も昔も変らない。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:36 | Comment(1) | TrackBack(1) | マスメディア

2006年05月28日

「ライムライト」

raimlight.gif久し振りにインターネットオークションでDVDを買った。
昔の名作が好きで、たまたまYahooの動画でチャップリンの「ライムライト」をやっていたので観た。感激した。
子供の頃から映画が好きで近所の映画館へ十円玉数枚握りしめて、学校の放課後観に行っていた。和洋どちらの映画も観たが、進駐軍(駐留軍)の街という影響もあってか、洋画のほうをよく観たと思う。

チャップリンの映画は子供のわたしでも、あのドタバタが面白くて、欠かさず観に行ったのに何故か「ライムライト」だけは観ていなかった。製作から五十年以上経ってインターネットで観るなんて思わなかったけれど、この歳になって観る機会を得たことは返って良かったかも知れない。主演のチャップリンに近い年齢になって観る今の自分のほうが自然に共鳴出来るからだ。

(チャーリー・チャップリン)
波乱の二十世紀を不遇な生い立ちながら、映画という当時の真新しいメディアの水を得て才能を発揮するも、あまりにも奇才過ぎる製作活動が当時のアメリカを吹き荒れた「赤狩り」の網ににかかり、その年公開予定だった映画「ライムライト」とともに国外追放となる。それから実に二十年の後に名誉回復の証として招かれ、アカデミー賞受賞作品としてアメリカ国内で上映された。
(作品説明)
往年は名を馳せた事もある老芸人が、同じアパートに住む無名の若い踊り子の自殺未遂に遭遇し、彼女に生きる希望を人生の先輩として教え、励ましてやるが、それは彼自身が再起にかける自分への励ましの言葉でもあり、そして最後の舞台に全てをかけていく結末にチャップリン(62歳)の思いがわかるような気がして泣いた。(わたしは泣き虫なのです)

さっそくネットオークションに出てないかと検索したら、驚き!新品未開封、希望落札価格420円って出てるじゃないですか。即買いました。
次の日、夕方のニュースを見てたら「ローマの休日」のDVDの著作権をめぐってパナマウント映画が日本のDVD販売会社を訴えていました。50年で著作権の時効なのだが最近改正で延長になったことで、そのハザマにかかる作品はビミョーな立場らしいのだが、わたしにはよく分かりません。ともかく著作権切れでオークション落札価格が安かったことだけはよく分かりましたけど。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 22:08 | Comment(0) | TrackBack(2) | エンターティメント

2006年05月27日

しあわせって?

昨日は何も頭に浮かばなくて外出する直前に無理やりヤッツケ記事を仕上げてしまったけれど、反応はモロ最悪。手抜きはいけないことだと日頃、人さまの批判記事書いているのに自分が手抜きしてたんじゃ、このブログも微弱な揺れにも耐えられないかもしれない。

朝は、会社の近くの喫茶店でモーニングコーヒーなんだけれど、来店する客は朝のラッシュを避けて早めにマイカーで出勤した人たちが会社が開くまでの束の間のモーニングタイムだ。

職業も色々だけれどみんな顔なじみだから、声かけなくてもこころの中で互いの確認をしている。混み合うときは相席になるのだが、そのとき初めて会話交わして何時も見かけたオジサンがじつはご近所(会社が)の自動車販売店の社長さんだったり、川向こうの女子高の校長先生だったりするから面白い。
でも普段は自分の指定席(みんな勝手にそう思っている)で、それぞれ朝刊読んだり、なにか仕事の書類のチェックしてたりしてるので話しかけることはしない。

みんなが勤め先に向かった後のガランと空席ばかりが目立つころに、暇なご隠居さんやオバちゃん連中がダベリに来る。この人たちはお話(会話)が目的なので、いつ帰るのか判らないのだけど、暇な店内も枯れ木の賑わいで、やっと手の空いたマスターも調理場から出てきて話の輪に加わる。

以前はマスターは働きづめで休憩をとるということをしない人だったから、三年前、とうとう仕事中にぶっ倒れてしまった。救急病院に運ばれ、即緊急手術となったのだが、長年の不摂生が祟って術後も予断を許さない状態だった。みんな心配して(毎朝の行き着けのお店がなくなるのではと、別の意味で心配してた人もいたが)面族謝絶が解けると、それぞれがお見舞いに行った。
ベットに横たわる童顔のマスターがまるで別人のように老け込んで、お互いの目線が合ったとき、わたしに気がついて彼が何か言おうとして口を開くのだが言葉にならない。手術の為に剃った頭のネットが日頃の彼の印象を変えてしまって痛々しい。彼は同郷のひとつ下の後輩なので自分のことのように悲しかった。あの明るい笑顔がもう見れなくなるのではと不安だった。

いつも忙しくてテレビを見なかった(つけなかった)マスターが、いまはご隠居さんやオバちゃん連中と一緒にテレビのワイドショーを見ながら盛り上がっている。その時間だけ退院後から来てもらっているパートさんに任せて遅い朝食とりながらみんなと話してる。
わたしはそばで見ているだけで話の輪に加わらない。

人のしあわせってなんだろう。

みんな毎日を一生懸命生きてきて、健康ならばこうやって老若男女にかかわらず、会話がはずむ。隣に出来たマンションのおかげでテレビの映りが悪くなったとご隠居さんは嘆く。オバちゃんはカラオケ仲間が新しい店見つけたからいまから行くのだとメール打つのに余念が無い。

雨があがったので、わたしは店を出て遅い帰宅の路についた。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 11:52 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2006年05月26日

補足 メディアリテラシー入門かな?

7月1日から衆院本会議で国民投票法の初審議が始まるようだ。
与党と民主党から提出された国民投票法案の概略をみてみると、ひとつ引っかかるのは、両党ともメディア規制をしない点だ。
これはメディアの影響力が、大きく政局を左右することを体験した両党に共通する政治的思惑だろう。
政治ブロガー諸君が、常日頃から危惧している政治にうとい、ムードに流れる浮動票層の取り込みを狙っているのは明らかだ。

国民にとって社会正義の指針であり、アドバイザーでもあるはずのマスメディアがあてにならないばかりか、視聴者(国民)をあらぬ方向に導いてしまう可能性だってあるのだ。

しっかりと目を見開いてお上とメディアを監視し、国民自身が考えて身を守っていかなければならない。
その為の目を肥やす努力も必要になるだろう。

自分のためにも、これからの未来を生きていく子供たちのためにも。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 22:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2006年05月25日

メディアリテラシー入門かな?

日頃、テレビを見ないわたしは活字による情報が主だが、それは映像イコール真実という幻想に最初から否定的見地に立っているからだ。たしかに活字がマス媒体としての主役の役割を果たしていた時代を経て、テレビという動画の登場が世の人々に与えた功績は大きい。
だがこのリアリティー感(決してリアリティーではない)は両刃の剣で、創り手の意図が何を目指しているかによって、より真実に皆の意識を近づけることも出来るし、また遠ざける方向に導くことも可能なのだ。

ただ映像の唯一の弱点はカメラのレンズの前に、必ず伝えたい現実(被写体)がないと何も始まらない。(その点、活字は何も無くてもkurosawa-2.gifデスクの上でペンひとつで創り上げていける)
それとレンズの写り込む範囲(角度)のものは全て、創り手にとって不必要なものまで伝えてしまう(写し込んでしまう)。
かの名映画監督黒沢明氏が屋外ロケで撮影にジャマな電信柱なんかを強引に撤去させたと言う話があるが(いまなら後で簡単にデジタル処理できるが)、ニュース映像ではそうもいかない。
小説(フィクション)は読む人がイメージを自分の中で膨らませていく楽しみがあるが、映像は直接視角から入ってくるのでその想像の余地がないことが、逆にある意味で人々を真実(リアリティー)と錯覚させているかも知れない。

アマチュアの人の作品で何を撮っているのか、何が言いたいのかメチャクチャに盛り沢山で、理解に苦しむような映像があるが、その人自身の脳の中では選ばれたイメージを捉えたつもりが、無機質なカメラのレンズは全ての状況を冷酷に捉えてしまう。
本当はこれが最も原始的リアリティーなのだが、何かを伝えたい、訴えたいと言うことになると意図的なカメラワークが要求される。

今日は何が言いたいのか書いてて論点がボケてしまったが、あえて伝える側の肩を持つならば、現場の第一線(カメラ)は決して視聴者を騙そうという意図は無く、職業意識で、より事実(リアリティー)に近づける為のイメージづくり(カメラワーク)はするかもしれない。
映像イコール真実という観かたは改めたほうが良いかも知れない。
(長文は苦手なのでつづきは改めて後日書きたいと思います。)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:07 | Comment(3) | TrackBack(1) | 社会

2006年05月20日

補足、年老いた猫

前回の補足記事になります。
いつものことながら時間が経って読み返すと、ここが足らない、ここが説明不足、ここは逆にも解釈できる。いやはや、自分の文章力の無さにつくづく情けなくなります。

昨日の記事で原爆資料館に再び足を踏み入れないと書いたのはリニューアルされた新しい館内に満足して行かないと言ったのではなく、幼いときに観たあのオドロオドロした恐怖は、自分がなにも理解できない子供だったからなのか、大人になって再び観たときは、冷静に見れる成人だから感じ方が変って見えたのか、自分でも判断できないまま過ごしてきました。

先日、ある三人連れのお年を召された女の方のグループとしばらくの間、行き先を伴にする機会がありました。女の人は幾つになられてもオシャベリ好きです。

会話はトントンと弾んで原爆投下の日の話になったとき、ひとりの方(三人のうち一番若い。といっても80歳は越えているとお見受けする)が「あんなもんじゃないよ(資料館のこと)・・・。あの日のことは、いまでもハッキリ覚えてるよ・・・。どこまで今の人たちに伝わるのか・・・。」さっきまでハシャイでた連れの老婦人は二人とも黙りこくってしまいました。いつまでもじっと前方をみつめていらした一番年上の方(93歳だそうです)の深くシワに刻まれたお顔が、何も語ろとしない彼女の表情が、わたしには一番印象的でした。

資料館としての構成は完璧です。おそらく権威のあるビジュアルデザイン会社に委託してリニューアルしたのでしょう。意図しなくても歴史資料として伝わることは、観る人たちに、遠い遠い、昔ばなしを聞かせるみたいで、オバケ屋敷(時代)を知っているわたしには、もう自分の行く所ではなくなったと少し寂しく感じているのです。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年05月19日

年老いた猫

基本的に、群れることは好きでない。スポーツも団体競技は鑑賞するが、いままで自分が好んでやってきたスポーツはいずれも個人競技だ。動物に例えると犬よりも猫に近いと自分自身勝手に思っている。
この間ラジオ聞いてたら、深夜に猫族会議(ノラ、飼い猫問わず参加自由)が人知れず開かれているという。猫の行動を研究するグループのコメントだが信憑性はどうであれ、ブロガーのコミニュケーションみたいで面白い。
まあ、猫科のわたしでも長年生息していると、自分なりのポリシーみたいなものが出来てきて、それが色んな判断を迫られる状況に置かれたときの振り分けの基準となる。

おそらく日常生活で日本で一番たくさん「平和」という言葉を目にし、siryoukann.gif耳で聞く環境にいる「広島の自分」は何処の団体にも属さず、かと言って決して無関心ではなく、自分なりの結論を求めて今日まで生きながらえているのだが、「平和」もバーゲンみたいにテンコ盛りで毎日々々聞かされるとうんざりしてしまう。
職業がら市内の観光ガイドみたいなことを仰せつかって、何度か広島に来られた方をご案内したことがあったが、原爆資料館まで来ると入口までご案内し、わたしは入らない。
ひとつには私自身が怖がりで、過去に二回だけ観たことがあるが、最初は昭和30年の開館したばかりのときで、無造作に陳列してある遺品が妙にオドロオドロして、幼いわたしにはお化け屋敷よりも怖くて二度と行こうとは思わなかった。それから数十年、先程いったように業務命令のようなかたちで市内をご案内する任務を受けたとき、下見として二度目の来館となった。展示会場の広さにはさほど変化はなかったが、見違えるような現代のビジュアルデザインの粋を凝らして、訪れる方たちに、より理解して頂くよう、リニューアルされた館内に驚いてしまった。
あの素人っぽい無造作な展示の資料館のときの怖さはないことが、改めて年月が経ったことを窺わせ(わたしも大人になった)、それがわたしを再び資料館の入口をくぐらせない理由でもある。

わたしの「平和」という言葉の定義づけは「他の人を思いやる心」である。これは百万遍の平和スローガンよりも、より平和に近いと思う。


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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:11 | Comment(2) | TrackBack(1) | 日記

2006年05月16日

わたしのブログに訪れて頂いてる皆さんへ

わたしのいつもお邪魔させて頂いてるブログで「メディアリテラシー」なる奇怪なタイトルの記事が掲載されておりまして、自分の五感だけで生きてきた原始生活人の一番苦手とする横文字にはいつも苦労しております。
情報化社会での自己防衛意識みたいなもんだと、交通ルール守っていても赤信号無視して飛びこんでくる人や車もいるから己の身は自分で守りなさいっていう意味とおんなじと解釈していいのかな。


昼下がりの下町のバス道(みち)は車の往来が少ない。そのバス道を車で走っていると、前方をお年寄りがユッタリと横切っていく。それも斜めに。何人も何人も。
とおる車のほうがそのペースに巻き込まれて、なかば諦め顔で、みんなお年寄りの後をスローペースで続く。こういう情景の中に、わたしは束の間の幸せを感じる。


正直いってゲームに参加するのは嫌だ。
犯人探しするみたいに、諸悪の根源はどこにあるのだと、井戸端会議や床屋談義やってるうちは楽しかったけど、それを超えちゃうともうそこに残されるのは妥協なき責任感だけ。

アマチュアとプロの違いはそれで食っているかどうかだけで、制約がない分アマチュアのほうが無限な可能性を秘めているからプロ以上のことが出来るというのが本来の姿。
だけど現実にはプロを乗り越えられない。
何故か。

わたしは長年続けた仕事のご縁で、趣味の世界で実力を発揮されている方々に大勢お会いしてきました。彼らの果てしない向上心に少しでもお答えできればとアドバイスを添えることもありましたが、その度に返ってくる彼らの言葉は「いや、所詮趣味ですから・・・」何度、その言葉を聞いたでしょう。
プロに逃げ道はありません。(きょうび、プロらしからぬプロも一杯いますから判断を誤るかも)

匿名ブロガーの気楽さをこえるには、もう齢を取り過ぎました。


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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:42 | Comment(2) | TrackBack(1) | マスメディア

2006年05月14日

海猿の街

kaiho-dai.gifゴールデンウィークも終わって久し振りの好天気に恵まれた日曜日、爽やかな五月の風と柔らかな日差しを浴びながら、街行く人々の幸せな顔、顔、顔を見ているだけでこちらまで嬉しくなってしまうのです。

人の自慢話と悪口は死ぬほどキライなわたしですが、久々の故郷にゆかりのある「カイホ」の人たちを主人公にした映画「LIMIT OF LOVE 海猿」が6日から全国で上映、興行成績も前回を上回るのではないかの中間報告に人さまの商業映画とはいえ、唯単純に顔がほころんでしまうのです。

オカの警察の「刑事ドラマ」は数々あれど、海の警察「海上保安官」を主役にした映画の大ヒットは初めてはないでしょうか。「ブラックジャックによろしく」で有名な漫画家佐藤秀峰氏の原作を映画化、テレビドラマ化したものですが、日頃の地道な貢献にもかかわらず、目立たない職務の海上保安官たちが、この映画やドラマで脚光を浴びたことは、空気や水の有難さと同様、彼らのおかげで日々の治安が守られていることを日本中の人たちに再認識させました。

と、マエフリが異常に長いのですが、自分の自慢なら幾らでもしたい、わたしの故郷「呉」にその海上保安大学校があるのです。
今日14日のAsahicomに「海猿効果?海上保安学校の受験者、過去最多に」と出ていました。これは舞鶴の保安学校のニュースですが、いずれしても競争率は50倍以上の超難関です。ある意味では生きる目標を見失いかけている若者にとって、ささやかな夢の登竜門かもしれません。ダメモトでいいからチャレンジしましょう。仲々ないよ、こういうヤリガイのある仕事。

前回の海猿に出ていた魔のトレーニングの「両城の200階段」は本当にあるけど地元に住んでいる人たちに聞いても、誰も「海保生」が駆けてる姿を見たことがない。だから安心してね。

(おまけ)海猿にちなんだロケ地はこちらからどうぞ。http://www.kurenavi.jp/html/movie_location_umi.html

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:15 | Comment(2) | TrackBack(4) | ローカル(社会)

2006年05月11日

シンプル・イズ・ザ・ベスト

いつも原稿を書いていて、後になって自分の真意がちゃんと伝わってないのじゃないかと思うことがある。アップした記事を、後日こっそり修正することさえある。
いつも勢いで書いてしまうのが常であるし、ゆっくり読み直す時間がないと言うことも大いに原因している。
それでもあまりにも独りヨガりな文面に仕上がっていたりすると、しばらく経って読んでア然とし、慌てて補足記事など書いてみるが、しっくりといかず、そのまま放置してしまおうかと思ったりするが、今回はそれも気になって補足の補足というブザマな手段を選んでしまう。

本来くどくどと、細かく説明するのは好きではなく、限られたスペース(スクロール無しの、ワンクリックで読めるというのがわたしの基本型)という条件もあって、如何に簡潔のまとめるかでいつも苦労する。(ここまで書くなんて充分くどいとは思うが・・・。)

sakamotoruichi.gif前回の「政治家よりもアーティスト(芸術家)を信じる」の下りは、決して、どちらが上で、どちらが下ということではなく、感性のまま、表現活動に打ち込むのがアーティストの生き方だとすれば、「人間らしく生きていく」(こういう表現は本当は嫌いだ)中で嫌なことは嫌、オカシイと思うことはオカシイと言う、いわば世間では我がままと言われそうな彼らの言動の中に真を得ていることがあるからだ。

例として適切かどうか分からないけど、先日のPSEマーク問題で坂本龍一氏ら、ミュージシャンが不満の声をあげた事がトドメとなって、お上は大幅な見直しを余儀なくされるという一件があったが、これとて彼らに政治的意図は無く、「おかしい。変だ。」という素朴な疑問への投げ掛けが、たまたま有名ミュージッシャンたちだったから無視出来ない結果となったのではないだろうか。

トーマス・ジェファーソンの格言にこういうのがあります。
「新聞を読まない人の方が、読んでいる人より正しく物事を認識できる。何も知らない人は、うそと偽りに心を奪われた人より真実に近い」

(いや〜、とうとうタイトルまで間違えてアップしてしまいました。あわてて直しましたけど、検索サイトのほうはもう手遅れかもしれないよ)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:19 | Comment(2) | TrackBack(1) | 社会

2006年05月09日

追伸 ゴールデンウィーク様様(さまざま)

前回の記事で誤解を受けないよう注釈しておきますが、(カッコイイ戦艦大和)とか(カッコイイ戦闘機)の記述は世相に無関心な大人たちや純心なこどもたちは、それが人殺しの道具だという概念より、唯、単にカッコイイから群れているだけのことです。
それを一刀両断に「そんなもの触っちゃダメ、見ちゃあダメ」というのは、わたしのような無学な者の目には、何故か悲しく映るのです。
それは多分、こどもにとって消防自動車や、パトカーがカッコイイのと同じです。

わたし個人的は戦争映画、ヤクザ映画、は嫌いです。(どちらも子供の頃、実体験に近い環境にあったから)。現実はあんなにドラマチックなものでないことはわたしが一番感じているからです。
でも平和時に見る戦艦(自衛艦)や戦闘機は大人の目にもカッコイイのです。

それら諸々の表現というか、声というか、それを何故か一方の方向だけに導かれることだけには、本能的に危険な匂いを敏感に感じます。自然に拒否反応をおこします。

わたしは政治家よりもアーティストの感覚を信じています。(スペイン内戦時のピカソやダリのように)、(キャパやブレッソンやシーモアに憧れていました)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | ローカル(社会)

2006年05月07日

ゴールデンウィーク様様(さまざま)

iwakuni-kichi.gifゴールデンウィークも今日で終わりということで、全国の幹線道路はユーターンの車で大渋滞とのことだ。
映画監督大林宣彦さんの故郷への絶縁宣言で話題になった尾道の「戦艦大和のロケセット」会場は、公開が今日までということもあって、監督の思いとは裏腹に最後に一目見ようという観光客でこれまで以上に盛況とのこと。

大林監督がここまで地元尾道市とこじれてしまった経緯は、すでに色々な方々のブログでも紹介されているとおりであるが、おなじ映像に携わってきた者の端くれとして監督の気持ちは痛いほどよく分かる。それが物創りの職人のこだわりであり、プライドなのだ。
現代のメルヘンを創り続けてきた監督にとって、他人の作品のロケセットとはいえ、舞台裏を見せる(見世物にする)ことは忍びなかったのかも知れない。

でも大林さん、みんな喜んでいるじゃないですか。映画はこうやって創られるのだという素朴な発見と感動。そしてカッコイイ戦艦大和。(ハリボテだけど)
セコい市の観光課の思惑だろうが、反戦市民団体の抗議だろうが、そんなことは全てオリコミ済みで、もっとおおらかに受け止めて貰えないのかな。だって見にきている人たちはみんな戦争なんかキライだろうし、このことで尾道のイメージや監督の作品にキズがつくとは思えない。普段はおせじにも賑わっているとは言えない、ひなびた瀬戸内の小都市に久し振りの活気は、素直に喜んであげてもいいんじゃないかと思う。

おなじゴールデンウィーク5日子供の日、岩国では米軍基地の、年に一度の市民のための基地開放日である。先日基地再編増強化に圧倒的多数の反対票を投じたのに、なぜか市民や観光客がその日を楽しみに25万人も訪れたという。(カッコイイ戦闘機の前で家族連れが記念写真撮ってました)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | ローカル(社会)

2006年05月03日

PCを捨てて街に出よう。

最近、ちょっと欲が出てきて、もっとみんなに共感を得られるブログにしたいと思い始めている。
でも自分の心情に逆らってまでウケを狙った記事は書きたくないし、内容的には稚拙でも、何か心に余韻の残るような文章が書きたい。
カテゴリーは「日記」でスタートしたブログだったのに、いつのまにか政治ブログぽくなってしまった。(やっぱり、一番関心があったからかもしれない)

きょうは半日費やして、人様(ひとさま)のブログを政治、文化、はたまた宗教から右系、左系と乱読したが、読めば読むほど頭の中は混乱してもうギブアップ。どれも正論に思えるからだ。
いずれも熱心で、書き手の思いがこもっているのが感じられて、無げに否定できない。でも、好んで読まない限りこんな思いはしたくないというのが本音だ。(疲れた)
わたしの個人的な意見を言えわせてもらえば、ひとりの人間のこころの中には部分的ではあっても、すべての皆さんのご意見にそれぞれ共鳴する要素があって、はっきりと何系とか、何寄りとかじゃなく、混在したものが人の心ではないかと。

わたしが一貫として心掛けているのは、難しい専門知識を持って語るよりも、こどもの無垢な、それでいて残酷な鋭い視点にすこしでも近づきたいと思っている。

たまたま拝見したブログがそうだったのかもしれないけど、皆さんのブログは知識や情報が先行して、ご本人も気づかぬうちに自分の意見として述べられているのが多いように思われる。そのことを否定するのではなく、わたしの言いたいことはもっと実体験を経ての感想を聞きたい。
昔「書を捨てて街に出よう」と言う著名な方の言葉がはやったことがあったが、バーチャル全盛な世の中で、もうそれも無理な時代なのかも知れない。

ずっと以前、テレビで各界ののゲストを交えての番組で、国際政治学者の舛添要一さんがその日のテーマのながれで、わたしの専門分野の話題を語ったことがあったが、プロ(職人)の立場で聞いてると、その発言は薄っぺらく、知識として取り入れたものをただ口にしているだけなのが感じられる場面があって、思わず苦笑してしまった。でも大方の視聴者は彼の肩書きと番組のブランドで信じて観ていたかも知れない。あの舛添さんでさえその程度なのだ。
「生活」は字のとおり、活きた行動でなければ机上の知識で終わってしまう。
若者すべてがというのは言い過ぎるが、日頃ブログに接するにつけ、そう感じるのは「年寄りのおせっかい」だろうか。



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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:55 | Comment(3) | TrackBack(1) | ニューメディア

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