石橋を叩いても渡らないかも?

2007年01月31日

大巾修正、きのうの記事。

きのうは、出かけ間際になって記事を書いたものだから (いつものことですが)、けさ自宅に帰って読み直してみると、なんのことやら、まるっきりわからん (これも、いつものことですが)。

よって、より理解していただけるように、わかりやすく丁寧に時間をかけて書き直しました。

もし、読むのが苦痛(?)でなければ、再度、前日の記事に目を通していただければと思います。

もし、お読みになって、きのうと何も変わらんじゃないかと思われた方は、かなり読解力のある方だと尊敬申し上げます。

なにせ、自分で読んでも理解不能だったため、半分以上書き直しました。そんな拙文なのに理解いただけたとは。
でも、ほとんどの方はそうでないと思われますので、よろしくお願い申し上げます。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 06:54 | Comment(25) | TrackBack(25) | 政治

2007年01月30日

わたしもひと言。国民投票法案

きょうも時間がないので駆け込み記事になります。

前々回の記事の終わりに国民投票法案のことについて書きたいと記したまま終えてしまいました。その間に他のブロガーの皆さんがどんどん書かれているので、いまさらわたしの生半可な見識など述べてもしかたがないと思い、ちょっと視点を変えてわたしの意見を述べてみました。

なぜ、宮崎県知事選の(わたしの)記事の中で国民投票法案のことにふれたいと書いたのかといいますと、ご存じのように宮崎県知事選の結果が無党派層を先頭に、すべての党に有権者の政党離れ現象が起き、結果として東国原氏が勝利したわけですが、これは彼の政治的手腕に期待してというよりも、最も政治臭のしない、しかも知名度だけはしっかりあるっていうことが一番の決め手だったのではないでしょうか。

あの玄人っぽい臭いのするプロ政治家よりも、政治に関する知識や経験はほどほどでも、何も匂わない知名度(有名人)のある人に期待する気持ち。そしてそういう人に投票する気持ち。
これは、かっての石原さんや青島さん(お二人とも素人ではなかったが)、田中康夫さんなんかがそうであり、政治家ではない別の部分の知名度が、なによりも彼らを有権者に選ばせる大きなキーポイントだったのではと思われるのです。

選挙とひとくちにいっても、首長を選ぶ選挙は議員を選ぶ選挙とは違い、個人の魅力が本人の政治的スタンス(思想)以上に、有権者にとって決め手になるという要素でもあり、どちらかといえば人気投票に近いものがあると思います。

今回は、国民投票法案の是非についての具体的な記事は他のブロガー連にお任せして、わたしは、もし賛否を問う国民投票(選挙)が実施されると仮定したら、問題は有権者が直接、結果を選ぶということ、しかもYESかNOしか選択の余地がないということの二点だろうと思います。このような選挙(国民投票)をすることは上記にあげた首長選挙と同様、人気投票に近い有権者の判断が命運を左右するだけに、大きな危険をはらんでいると思うのです(憲法改正のための国民投票だった場合などを仮定して)。

近い将来実施されるであろう国民投票は、人を選ぶわけではないのですけれど、自公民、合意の修正案次第では、金や組織力を挙げての宣伝合戦になるのではと危惧するのです。いま現在、両党が提出した修正案が曖昧なのは、どちらも未来の覇権者は自分だと思っていますから、自分たち都合いいようになっています。

そんなことに明け暮れるスタイルが公然化したPR活動(選挙活動)になってしてしまうと(アメリカのように)、本当の政策の中身より、インパクトの残る(人の場合は知名度)ことだけが一人歩きしてしまい、結果的には何か内容のわからぬままに好印象のほうへ人々は投票してしまうという恐ろしいことになってしまうのではと思うのです。

国の一生を決める大事な国民投票(選挙)をカーニバルしてよいのでしょうか。

だから今回の国民投票法案に向けての与党の精力的な活動に一抹の不安を感じるのです。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:44 | Comment(1) | TrackBack(5) | 政治

2007年01月29日

小さな中国のお針子

33.gifYhoo動画でタイトルに惹かれて「小さな中国のお針子」を見ました。原作・監督・キャスティングも中国人、言葉も中国語なのですが、実は2002年のフランス映画です。ラストのクレジットがフランス語で何分も続くのが印象的でした。(Gyaoでもやっています)

1970年当時、中国文化大革命の粛清の嵐に巻き込まれていく、二人の青年のつらくもほろ苦い青春の思い出を、山深い寒村に住むひとりの美少女を中心に描かれた映画です。

メインキャストの若者たちが、当時のわたしとダブるストーリーだったので、さまざまなことが思いだされる感慨深い映画でした。そういう意味ではわたしにとってリアリティのある筋書きの展開は当時の中国の一端を冷静に描写しており、あとでフランス制作だと知って納得出来ました。(現社会主義の中国では作れないでしょう)

視聴レビューを見てみると、世代によって受け止め方が違うのも、当時のことを事後の歴史としてしか知らない世代の人たちには無理もないと思いました。

いま中国が空前の経済成長を成し遂げていますが、そこまでの過程は、まさに日本が何十年か前に歩んできた道をたどっているに過ぎません。耐えられない貧しさから脱出したい国家は、紆余曲折ながらも経済成長を目指しますが、それが果たしてよかったのかどうかは、後に生きる人のみ知ることです。

舞台が社会主義中国の寒村という設定や、登場してくる人々の素朴さのレベルの差こそあれ、彼らの心理や、ささやかな価値観は高度成長とともに人の心も生活も、急激に変わってしまった過去の日本にも通じるところです。

でも、山道を徒歩で何時間もかようような昔の生活に戻りたいとは、いまさら誰も思わないでしょう。

文明の進歩によって得られる新しい文化と生活。

それと引き替えに失って行くものは、
美しい山河。
原始的ながらも生きていくためだった人々の知恵。
素朴な自然への崇拝。

前に進むしかない時の流れは、わたしたちに何を与えてくれるのでしょうか。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(3) | エンターティメント

2007年01月22日

そのまんま東氏、宮崎県知事選勝利を見て

言葉ではうまく言えないけれど、わたしは運命のようなもの。なんと表現したらよいのか、なにか人の力の及ばぬ天の力のようなものがあるのではと思っています。お断りしておきますが、わたしは特定の宗教や神道とは、一切かかわりはありません。

出だしからオカルトめいたあいさつになってしまいましたが、本題に入ります。

きょうは朝から自宅にいたので、ノンビリしていました。あいかわらずテレビは見ないので、きのうの宮崎県知事選の結果がそのまんま東氏に決まったことはネットの記事で知りました (それもJANJANのアップ記事で)。
それから、マスメディアの記事をひととおり閲覧したのですが、おおむね好意的な掲載が多かったように思います。うがった見方をすれば常に勝者になびくマスコミ体質とも言えますが。

それから午後になってそのまんま東氏勝利をテーマにしたブログ記事がぽつぽつとアップされて来ました。みなさん素直に勝利を喜んでいる様子がうかがえました。

わたし自身はたいした感動も無く、さりとて彼がお笑いタレントだったという偏見もありませんでしたから、当選した事実は別に不思議にも思いませんでしたが、ただ宮崎県民が何を基準にして彼を選んだのか、そのことが非常に興味ありました。

詳しいことはらんきーブログさんの記事を参照してください。(大幅な手抜き!)
まだ当選結果が発表された翌日では分析結果を早計に結論づけるにはいまひとつ不安が残りますが、四月に広島市長選挙を控えているわたしたち市民にとって、あのタレント顔負の元フリーアナウンサー、参議院議員、自民党タカ派の柏村武昭氏の出馬が控えています。

だから、そのまんま東氏の当選は分析結果次第によっては、わたしにとって新たな不安材料となるのです。

まず、彼(東氏)に投票した県民が彼のタレントとしての知名度にひかれたのか?(特に無党派層)、それとも彼の真摯な立候補決意が県民の心を揺り動かせたのか?非常に気になるところです。数少ない彼の立候補にあたっての情報では演説のうまさや、インターネット上に具体的なマニフェストの公開。宮崎県の課題についての勉強ぶり。

しがらみのない清廉さを強調し、旧知の芸能人仲間の応援もすべて断った事実。愚直なまでの草の根遊説。これらのどこを評価して一票を投じたのでしょうか。

これは本人の人間性を冷静に評価して投じられた結果なら、単なるわたしの取り越し苦労なのですが、淡い期待と目新しさだけで選ばれたのならば、それは浮動票が立候補者の真の姿を見抜けぬままに選んでしまう怖さも秘めていると思います。

今回のそのまんま東氏当選の結果は、別の機会に書こうと思っていた国民投票法案成立に向かっている与党の流れに危惧しているわたしにとって、早急に記事を書かなければと決意させました。早い時期に、そのことは掲載したいと思っております。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:52 | Comment(2) | TrackBack(8) | 政治

2007年01月20日

なぜ書き続けるのか

個人的な日記ブログでスタートしたのに、いつのまにか政治ブログもどきになってしまいました。

政治ブログもどきと書いたのは、わたしのコンセプトは決して大仰な主義主張を訴えるのが目的では無く、マイブログのサブタイトルに掲げているとおり、「裸の王様」が家臣や民衆に見えもしない (まといもしない)晴れ着を褒めそやされ、それを眺めていた子どもたちが「王様は裸だ!」と叫ぶ。そのまっすぐな視線を貴方自身、失いかけていませんかという問いかけのブログとして書き始めたのです。

見えていることを「見える」。感じていることを「感じる」。
このあたりまえといえばあたりまえのことが、なぜか人は大人になっていくと口に出せない。いや、口に出せないのではなく、ほんとうに見えなくなっていたり、感じなくなっていたりするのです。

おかしいと思えば相手が与党だろうと野党だろうとに関係なく書きたいのです。疑問をぶつけたいのです。だから確固とした主義主張のあるブロガーのみなさんからみれば、立ち位置の定まらない野郎だと思いでしょうが、わたしからみれば身内だから、支持しているからとかということで口をつぐんでしまうことは決してあってはならないと思うのです。

そうでないと人を批判する記事を書く資格はないと思います。そうでないと結果的には、自分自身へのお返しとなって批判される側となんら変わらないことになってしまいます。たまたま書いた記事がどちらかに寄っているように見えてもわたしの場合、それは寄っているというよりは素直に感じたままを優先させたに過ぎません。

だから人にレッテル張りをすることも、されることも嫌です。良いと思う意見はどなたの意見でも受け入れ、間違っていると思えば批判もします。

以前から思っていたことなのですが、日本人の成熟度がいまでも低いと思われることの一つに自分の視点に基づいた自己主張がないことです。わがままとは違います。例え、自己主張だと本人が思っていても単なる他人の意見の借り物だったり、同じ色合いもの同士の横並びの姿勢をみていると、つくづく日本人だなと思うのです。

でも、この記事を読まれる方を想像し、言葉を選びながら書いているいまの自分に、わたし自身脱しきれないものを感じていることも事実です。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 23:07 | Comment(1) | TrackBack(4) | 日記

2007年01月19日

タダのありがたさを振り返ってみよう。

きょうも外出前の駆け込み記事なのですみません。

以前記事に書いた広島郵便貯金ホールの存続問題なのですが、結局、県が買い取ると言うことで決着。県民にとって大切な文化の灯火が消えることを食い止めることが出来ましたが、では毎年続く赤字はどうするのかということで、初の県民債を発行することになりました。

一口一万円なのですが、大変良いアイデアだと思います。利殖としてはこの低金利の時代、何の魅力もありませんが、文化を愛する人たちにとって、自分たちの施設は自分たちで守るという自覚ができる効果があります。

また、いつもの例え話に飛びますが、カルチャー教室や、スポーツジムで高い受講料を払ってまで何故、人々は通うのでしょうか。もちろん、自宅では得られない高い知識や、ハイレベルのマシーンを使えるというメリットはありますが、それ以上に月謝を払っているから利用しないと勿体ないという気持ちが、より通う気持ちに拍車をかけるのでしょう。

とかく、タダならなんでもいいという風潮がありますが、タダほど高いものはないことも現実ですし、またなにかに取り組むことや学ぶときにタダだと有り難みが薄れてしまい、やめるのも簡単という弊害があります。

長い前振りになりましたが、わたしが言いたかったのは、ちまたにあふれる情報や文化はタダでも得られる恵まれた環境にいまの日本はありますが、それが人々の気持ちに、本来得られることのありがたさを忘れさせてしまっているのではないかと言うことです。

ここで、おもいっきり話は飛びます。
民放マスメディア情報もタダです。例年、行われる地方選挙や国政選挙もタダです。
でも、それらを受け止める市民の側の慎重な選択と運用は、タダであるが故に有効に生かされていないと思います。
最初に書いたように自分たちの施設なんだと言う気持ちで文化に一口参加する意識と同様、もっと色々なこと(政治)に関心を持って取り組むことを望みます。

だって、それらはすべてわたしたちの生活に跳ね返ってくることなのですから。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 22:33 | Comment(0) | TrackBack(3) | 社会

2007年01月16日

つかのまの帰宅

いや〜。仕事が忙しくてブログから遠ざかっています。
たまに家に帰って(?)ひとさまの記事をチェックするんだけれど、それもほとんど斜め読み。

いま、社内もちょっとした内紛(小嵐)でゴタついているので、けさは社長と個人的に話し合い。
わたしはほかの社員と出勤時間も違うし、利害も絡んでいないので双方から意見を求められるのだけれど、ハッキリいって困っている。

逃げになってしまうけれど社長にアドバイスしたのは、明確な指針を打ち出したほうが良いと言うこと。それから、トコトン話し合う必要があるということを伝えた。

世の中、政治の世界も、経済社会も対立するモノ同士の疑心暗鬼が、よけいに解決の手だてなるはずの道をを迷路化してしまう。

とにかく、話し合いしかない。
わたしはみんな好きだし、きのうまで仲良くやってきたのだからなんとか元に戻らないかと思うのだが。

きょうはまったくの日記になってしまいました。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 19:43 | Comment(0) | TrackBack(2) | 日記

2007年01月12日

不眠不休?のわたし

マイカーが壊れたままだから出勤できない(いつもの言い訳?)。
でも、買い換えるお金もない。そこで自分で直すことにした。
言っておきますけど、こう見えても車つつかせたら整備士並み(自画自賛)。

でも好きでやるわけではない。ただ貧乏なだけ。
やる気満々なのだけど悲しいかな、そこは素人。
バラしてみれば次から次へと修理箇所が増えて終わりそうにない。
いつまでも休んでいる訳にもいかず、きのうはタクシーで出勤(金も無いのに)。

たまりにたまった仕事かたづけるためにきょうの昼過ぎまでかかった。
午後二時過ぎにようやく自宅に帰ったが、隣のニイチャンがめずらしく玄関先で声をかけてきたので立ち話。きのう奥さんと離婚したのだという。
なんか誰かに聞いて貰いたい、そうでなければ辛くてたまらない、っと言う雰囲気なので、ついつい話し相手になっていたら、ドンドン時間が経っていく。
おいおい!、おれはきのうから一睡もしていないのだ勘弁してくれよ。
小一時間つきあって、ようやく話が途切れたから、ほうほうのていで自宅に入った。
帰ってからも何やかや、やらなきゃいけないこと部屋で片付けていたら、疲れからいつのまにかそのままうたた寝。

おかげできょうも、また遅刻(いつもの言い訳?)。
でも、きょうは会社から借りてきた車で出勤なのでラクチンなので〜すう。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:43 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2007年01月11日

A quiet diary

けさ、ちょっとした調べモノのため、検索サイトでキーワードを入れて検索をした。

調べたい業種のホームページにたどり着きたかった、と いうよりは、ちゃんとたどり着けたのだけれど目的の項目が見つからなくて、しかたがなく同じキーワードのほかのサイトをパラパラと (実際はネットだからパラパラじゃなくて、クリックなのだけど) めくっていたら、偶然あるブログにたどり着いた。

それは日々の出来事や気にとめたことなどを書きつづっているだけなのだけれど、いつもそこで終わっている。プロフィールも見てみたけれど、中年の人でごく普通のかたみたいだ。でも、過去ログまでさかのぼって全部に目を通してみても、一行としてご本人の感想 (意見)が書かれていない。

何だかキツネにつままれたみたいな気がしたが、よく見ると、そんな記事でもコメントが来ている。それもどこかのブログへ訪れたお礼のコメントだ。彼のブログは決して自分の意見を書かないのに、どこかへ出かけていっては、ちゃんと何か言っているらしい。

こんな、もの静かなブログもあるんだ。そのかたが関心をもたれて、書かれた記事のながれをみれば彼が何を言いたかったのか想像できる。日ごろ、あたりまえだと思っているわたしたちのほうが騒々し過ぎるのかも知れない。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

2007年01月08日

オーマイニュース(店・仮想)を訪れて

年末から正月にかけてずっと出勤状態のわたしにとって、新たな年を迎えたことで気分一新のスタートをはかりたいところですが、このダラダラと続く毎日は精神的疲労もピークに近く、記事を書く意欲もわかない状態でした。

連休初日、空の雲行きが怪しくなった頃、いつものようにマイカーで出社しようとしたらエンスト。
わたしの足となって走り続けてくれた愛車も、いままで走っているのが不思儀なくらい酷使していただけに、わたし同様老朽化し、それを だましだまし乗り続けてきたから、とうとう来るときがきたかという思いです。

でも、そのおかげで思わぬ休む為の口実が出来て、精いっぱい悲しそうな声をつくって社に電話し、やっと人並みに連休がとれました (代替えの交通機関のない不便なところに住んでいます)。

前フリが長くなりましたが、さっそく いつも伺う方たちのブログをチェック、相も変わらず正月から元気な様子を確認し、それから、いま一番関心のあるお店、オーマイニュース(仮想)を訪れました。

開店(創刊)からはや半年が来ようとしています。小奇麗な店先の陳列(誌面)は変わりありませんが、なぜか人気(ひとけ)のないガランとした雰囲気に訝しさを感じながらも店内に入って見ました。

品ぞろえは日ごろから口うるさい常連客を意識してか、陳列棚にならぶ商品は健康食品(記事)ばかりです。
開店早々、冷やかしのお客で一時騒然となった経緯がありますから、ウィンドショッピングに訪れる一元のお客様の扱いは以前のままですが、会員客(コメント投稿者)を装った不良来店者の締め出しは強化されているみたいです。

もっと、驚いたのはお店で一番の売れ筋(人気記事)が、いまだにお店自慢のクレームグッツ(社内批判記事)だったことです。なにせ注文件数(アクセス&コメント数)は他の商品を抜いてダントツに多いのです。それに比べて他の商品の予約注文(アクセス&コメント)の少ないこと。予約ゼロ(コメント数)の商品(記事)が棚にあふれています(当然アクセス数も少ないのですが)。

でも、新鮮を主に売りとしているこのお店は、売れなくてもドンドン棚ざらえして新商品(新記事)が並ぶのです。
そして店内を闊歩している常連客たちと言えば、自称開店当初からの常連だといって、あらたに訪れる店の客を品定めし、その客が何か言おうものなら、口の利き方が悪いだとか、うちの店(?)に相応しくないだとか、およそ一般世間では考えられない応対で来店者をビビらせて悦にいっているのです(元々、セルフのお店なのですが、なぜ店員でもないのに指図するのだろう?フ・シ・ギ?)。

お店の店長も困っているみたいですが、実質この常連客で売り上げ(アクセス&コメント数)を維持しているという現状を考えると何も言えないみたいです。わたしも何か言おうと思いましたが、そのとばっちりが店長や静かに来店している他のお客様にご迷惑がかかってはいけないのでただ、傍観しているだけです。

お店の経営責任は店長やその仕事に従事している者にあります。
ローカル球団にありがちな熱烈であるがゆえに監督の采配に口出しする野球ファンに似ています。でも勝たなければいけないと一番感じているのは当事者(編集部)でしょう。どんなに熱心でもファンは責任の無い発言者です。ともに心中はしてくれません。でも、注文は人一倍多いのです。

みなさんも日常生活でこんなお店見かけたことはありませんか。ヤンキーがたむろしているコンビニとか、反対に高級ブティックで鼻もちならない成金マダムがインテリかぜ吹かせて、さも自分でこの店は持っているんだといわんばかりの態度で、それをお店の人が上目使いに応対している様子だとか。

わたしもオーマイニュース(仮想)が開店したときはおおいに期待し、既存の大規模店(マスメディア)の退廃ムードに新風を吹き込んでくれるのではと思いましたが、現状ではインテリ(?)ヤクザのたまり場と化しているみたいです。

一日も早く創刊時の志に戻ることを望みます。

注:(実在の企業名に類似した部分がありますが、これはあくまでもフィクションであり、正月向けのエンターティメントとしてご鑑賞ください)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:13 | Comment(2) | TrackBack(5) | ニューメディア

2006年12月26日

(続)いま一番必要なもの

きのうは政治ブロガー批判に終始したのだけれど、これとて憎くて書いた訳ではない。

打倒安倍政権の集(ブログ記事)が、民主党さえ政権をとればと悲願にも近い気持ちで語られ盛り上がるムードに一抹の不安を感じるのだ。それは「あの岸まで泳ぎ着ければ」とか「あの山さえ超えれば」とかという先の見えない桃源郷を夢見ている姿にも見える。

そこまで極論ではないにしてもとりあえず、対立軸として政権をとれば今後どちらが政権をとっても、民意を無視した政策はとれないだろうと言う二大政党願望の現れかも知れない。それが、わたしにとってすごく安易に感じられ、あたかも見えぬ山の向こうに楽園が拡がっているかのような願望にも思える。

そもそも小泉さんが異常ともいえる多数の支持を取りつけて政権を維持し続けられたのも、長年の一党独裁の時代(厳密には連立ではあるが)終わりを告げるべく、「古い自民党をぶっこわす!」というアンチ自民の期待をみんなに抱かせたからだ。

小泉政権の残した結果は惨憺たるもので、これからの立て直しに引き継いだ政権にすべてが委ねられたわけだが、これとて現政権が具体的な成果を出していかない限り、国民に見捨てられる日がくるのはそう遠い日ではないと思われる。安倍政権がダメ振りを出し続けることがいちばん可能性のある政権交代の最短距離なのだ。

その日が来るのを手放しで喜べるか? いや手放しで喜ぶ前に受け皿となる野党共闘代表の民主党にその度量があるのか。最近、民主党の戦いに疑問を投げかけるブログ記事が目につき始めた。その迷いともとれる動向に疑問や不安を感じていると皆の意見は共通している。

だが現実は、その姿を見ているのは支持者ばかりではないのだ。これから政権奪還に必要な将来、支持者になるであろう人たちも見ているいるのだ。その辺の曖昧さをひこずったままで挑むこれからの戦いはどこまで支持を増やすことが出来るだろうか。小沢代表はこれからも野党共闘でいくことを唱えているが、それすらも共闘する他党から不信の声が上がり始めている。

野党共闘で戦いきって、たとえ敗れたとしても精一杯戦った結果であれば悔いは無い。だが主導をとる民主党が自らの不協和音や失態で自滅して負けるのは悔やんでも悔やみきれない。協力してくれる他党にも失礼だ。野党の立場とはいえ、そういう重要な位置におかれていることの自覚が民主党執行部にはあるのだろうか。

安倍さんが世襲が故にその甘さを批判されているが、その言葉をそっくり鳩山さんにお返ししたい。
いまは勝つことだけ考えて欲しい。モヤモヤと人の顔色ばかりうかがうような優柔不断なコメントや態度は旧来の自民党に愛想を尽かして小泉支持に回った人たちのいちばん嫌う政治姿勢だ。その潜在的に取り込めるであろう新たな票田となる人たちに、似たようなもの(旧来の自民と)だとか、わかりにくいだとか思われたときは、民主党の明日は無い。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 14:05 | Comment(11) | TrackBack(16) | 政治

2006年12月25日

いま一番必要なもの

ブログって自由に自分の思いを書けるところがいいのだけれど、だれも見ない自分の日記として書いているのだろうか。なかにはそういう人もいるが、ほとんどは誰かに見てもらうことを前提に書いているのではなかろうか。

それが政治ブログとなると、単なる自分の思いをつづるだけではなく、自分の意見がなにがしかのかたちで読むひとたちと共鳴できないだろうかとそういう思いを込めて書いているのではなかろうか。

もしそうであるならば、怒りをぶつけるだけのブログは卒業しよう。(うっぷんばらしの人はそれでもいいが)

だれかを批判の対象にして怒りをぶつけるだけで世の中変わるのならなんの苦労もない。

たしかに「わたしも同じ思いです」とコメント寄せらればうれしいし、書いてよかったと思うだろう。

多少でも訪問者は増えてくるだろう。

冷酷な言葉を返すようだけど、それでも世の中は変わらない。もっと具体的にいえば賛同者と支持者は違う。まして訪問者はもっと違う。ただ人の意見が気になっただけかも知れない。

わたしが政治ブログを、いまひとつ好きになれないのは、彼らの主張は外に呼びかけているにもかかわらず、その姿勢はこちら(世間)に背をむけていることだ。

そんなブログの群れを見ているとどうぞご勝手にお仲間でじゃれあっていればといいたくなる。

もういちど言う。
うっぷんばらしなら、もうよけいなおせっかいは焼かない。ご自由に。

でも、世の中、変えたいのだろう!
いま必要なのはお仲間の「褒め言葉」でなく、人々がなにを求めているかということだ。それを知ることだ。

相容れないモノは敵 ?? 。お気楽な結論づけだと思う。
エンターティメントのテレビ番組を見て苦情の電話入れる視聴者レベルだと思う(それをあなたたちは愚民といっているが)。

賢いあなたたちがなぜ愚民に支持されないのだろう。

一愚民のわたしはいつも不思議に思っている。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:23 | Comment(1) | TrackBack(3) | 政治

2006年12月20日

人生へのスローライド

きょうは忙しいさなかのちょっとした中休み。
貧乏ヒマなしというけれど、ヒマがあっても先立つモノが無いからヒマを持て余してしまう。でもって原稿書こうと思ったら、マイブログのサーバーが24時間のメンテナンスで書き込み出来ない。

jitensha.gif区の図書館に貸し出し予約していた本が入庫しましたとメールが来ていた。思いついたらドンドン予約するから忘れたころに連絡があると何の本を予約してたのか思い出せない。

定期健康診断で、運動不足からくる成人病の兆候が現れているから毎日30分の歩行をしなさいと医者に言われた。ちょうど借りてきた本の中に「自転車スローライド」(新田穂高著)というのがあった。読後、すこし感化されてお休みの日は運動不足解消も兼ねてチャリンコで町内を走り回っている。

この本の著者は、子どものころに乗り始めた自転車とのかかわりが、やがて成人するとともにその世界に深くのめり込み、自転車雑誌の編集者として携わるようになるが、後に彼自身のライフスタイルにまで影響を与え、いまは郊外のかやぶき屋根の下で田舎暮らししているという。

若いとき、風をきって走ることだけに快感を感じていた自転車が、やがて四季折々の風景を楽しむためのサイクリングとなり、そしていま、著者が言うには
「ぼくは、ただ風景に出会うだけのサイクリングでは飽き足りなくなっていた。旅の途中で人に会い、話を聞きたいと思った・・・・風景にかかわる人を訪ねてまわった・・・・

自転車を停めて話しはじめると、予想以上に会話がはずむ。「自転車をこいで来た」と言うだけで・・・・・寄り道の時間は多くなり、一日の走行距離は格段に減った。・・・・ぼくは「スローライド」という新しい走り方を発見した。」

現代人は何を生き急いでいるのだろう。お金のため?会社のため?家族のため?日本のため??? もっと地に足を据えてユックリと生きようよ。そうしたら生き急いでいることで見失っている何かが見えてくるはず。

「自転車スローライド」は「スローライフ」の薦めでもある。わたしにとってもみなさんにとっても。
(12月19日記)

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:42 | Comment(0) | TrackBack(3) | 日記

2006年12月18日

広島県知事辞職勧告決議案可決の陰に

師走の忙しさでブログやメールのお返しが遅れていることをお詫び申し上げます。

fujitachiji.gif全国各地での県知事の不祥事が明らかになって、最悪の場合は逮捕という事態までに至っておりますが、我が広島県もご多分にもれず、藤田現県知事の過去の県知事選での後援会の不正政治資金疑惑が取りざたされて、ようやく18日、議会で知事辞職勧告決議案が可決されました。

法的拘束力はないとはいえ県政史上初めてのことであり、これも全国の厳しい世論に地方議会も怠惰をむさぼってきたいままでのツケが回ってきたということでしょう。うがった見方をすれば、機を見るのが早い支持会派議員たちが自分たちに世論の批判が向けられることを恐れて、いち早く変身し、正義感ぶっているように見えます。(だって昨日まで、うすうす知っていて見て見ぬふりをしていたのが大半でしたから)。

今回は珍しく地元中国放送(RCC)がこの件にしぶとく食い下がっていった報道姿勢を高く評価します。他のメディアはそれに追従した形でした。とかく政治というと、一般市民にはわかりにくく、たとえ理解出来たとしても、その長年のなれ合いと既得権益がらみのつながりが不正を許してきました。

今回は知事の責任追及に一点が集中し、それを正すことでトカゲのシッポ切りならぬ、頭切りの様相ですが、じつは事はそんな単純なことではなく、ここまで堕落させた責任は「おぼっちゃま県知事」を担ぎ上げ、自分たちにとって都合のよいように利用した一部の県議たちに、おおいに責任があると思います。

彼らは疑惑を追及されても全員否定しております。知事が決して清廉潔白だとはいいませんが、今日の議会可決後の知事インタビューでの彼の口惜しそうな表情を見ていると、ちょっと同情してしまいます。老練狡猾なベテラン県議を相手に県政を進めるのは容易ではありません。やがて去っていくであろう知事に責任をおっかぶせて、口をぬぐっている老県議たちに憤りをおぼえます。

無風状態の知事改選なのに、それなりの挨拶料(中途半端な額ではない)を要求し、それを飲まないとこれからの議会運営に支障が起こるかも知れないと脅し取った手口はまさに「平和のヒロシマ」ならぬ「ヤクザのヒロシマ」です。知事一人の首のすげかえより、この腐った老県議連中が居座って居る限り、明日の県政の未来はないと思います。これからどう展開していくのか目の離せない日が続きます。地元マスコミの正義の取材報道が持続することを期待しています。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(2) | ローカル(行政)

2006年12月12日

12月11日、深夜。

きのう、遅い時間に外出しかけて、少し時間があるからとその場繋ぎのつもりでブログ見てたら、どなたかの記事でTBSで「オーマイニュース」を取り上げた番組をオンエアするという文字が目に飛び込んできた。

実名登録制に踏み切った「オーマイニュース」だが、実施後投稿欄が荒れることもなく、淡々と市民記者の記事を更新し続けているが、その平穏な静けさは何故か寂しさの漂う紙面でもあり、世間で言われるように、もはや人々の関心から遠ざかっているのかなと思っていたところへの番組予告記事だった。

わたしは、日ごろテレビを見ないものだから、前から見たいと思っていた番組が気がついたら放映済みということがよくある。今回も、きょうが何日かも知らずに日々を過ごしているわたしにとって、また見落としてしまったかなと思ったが、念のため調べてみると期日はきょうだ。しかもオンエア数分前。

ニューメディアが、あたらしい報道の世界を切り開いてくれるのではという期待もあって、その後の経過が気になって、急きょ外出を取りやめテレビの前に座った。

内容は「オーマイニュース」の発足から今日までの経過を病気治療中の鳥越編集長を絡めての簡素な番組だった。ちょっとガッカリしたが、報道とは本来こういうものである。それを伝えることによって受け止める視聴者がどう感じるかはそれぞれ自由だ。

いつも主義主張のハッキリしているブログばかり見ているからもの足りなさは感じたが、かといってどちらかに誘導するような意図が見え隠れしても困る。中立性を保つという報道は左右双方からマスコミ批判のやり玉に挙がりがちなのだけれど判断するのは視聴者自身だ。

でも番組の最後にコメンテーターとして筑紫哲也氏が言ったひと言が印象的だった。
「新しいメディアの可能性を秘めて現在進行中なのですが、もしこれが成功して大きな力となったら、そのとき一番先に脅かされるのは、既存のメディアの立場にいるわたしたちかも知れません」

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posted by ゲゲゲのイチロー at 17:07 | Comment(0) | TrackBack(6) | ニューメディア

2006年12月08日

非力だとあきらめるな。

師走真っただ中で、自宅PCの前に座る時間もなかなかとれません。

家に帰ってすぐ就寝。目が覚めたら簡単にRSSリーダーでピックアップされた記事のみ、ざっと目を通してすぐ出社という状態が続いています。

とかく、悪い面だけ伝わって、多くのブロガーの皆さんに不信を買っているマスメディアですが、その問題は言い訳してもしきれないぐらいあるので今回はパス。

心、もとらないながらも、ニューメディアの道を歩み始めた「オーマイニュース」にこんな記事がありました。

「みんなで権力と戦いたい」。これは警察権力に対して、一部の地方紙記者たちの奮戦を語ったものです。社会のさまざまな悪に立ち向かうブロガーの皆さんからみれば、些細な動きとしか受け止めてもらえないかも知れませんが、報道のプロの人間でさえ、真剣にひとつの問題に取り組むと、さまざまな障害に行く手を阻まれるのが現状なのです。

大手マスメディアの鈍い姿勢は批判されても致し方がないとわたしも思いますが、目立たないながらもジャーナリストの志を捨てないで頑張っているひとたちがいることもわかって欲しかったのです。なかなか内部的な苦労話は披露される機会はないので、もし参考になればと思いリンクしました。

仕事として携わっている姿は外目には有利に見えますが、それ故に動けないこと、出来ないこともたくさんあるのです。だからひそかにプライベートな立場でブログや他のサイトでうっぷんをはらしている御仁も多くみかけます。以前にも書きましたが健全なマスコミを育てるのも世論です。

十把一絡げにマスコミ批判するのもいいですが、足りないところを支え合っていかなければ本当のメディアが育たないのです。決して他力本願でなく、ひとりひとりが積み重ねていくことが民主主義の原点だと思うのです。ブログも小さな発言の場ですがその特性を生かせば、だれも無視できない日がくると思っています。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:26 | Comment(4) | TrackBack(3) | マスメディア

2006年12月04日

わたしが1日の記事(わたしの)を削除したわけ

12月に入ってめっきり寒くなってしまいました。めったに風邪を引かないわたしもとうとう引いてしまい、ダウンしています。

先日、12月1日に記事をアップしたのですが、あとになって読み返してみるに、記事として至らぬ点が多すぎるので、思い切って削除しました。そのとき取り上げた話題は「広島ドッグパーク」のことについてだったのですが、同じ日にアップされた「きっこのブログ」の記事に触発されて、深く考えぬまま自分の見解を書いてしまいました。

マイブログといえ、いつも訪問してくださる方たちに、しっかりと確証を持たぬまま書いた記事を読んで頂くことは、本来のわたしの趣旨に反します。基本的には体験に基づいた記事を書くことを目標とし目指していますから、それが例えメジャーなブログに触発されたことだったとはいえ、短時間に結論めいた記事を書いたことを反省しております。

「きっこのブログ」も当初から確信的なコメントは控えていました。、第二弾、三弾と記事を重ねることによって読者に事の重大さを提示しておりました。風邪のおかげ?でじっくりとこの件を検証するための時間を得たわたしは、改めて「広島ドッグパーク」に関わる記事やコメントに、出来る限り目を通しました。

そこに見えてきたことは、思ったより複雑で難解な事件だったということです。現地に行けないことや当事者に会えない代わりに、多くの方のブログやニュースを拝見することで少し事実が見えてきたことです。それはだれが悪者と決めつける以前にボランティア活動の難しさや、その受け止め方が多様だという事実です。

ずっと前に「武装解除」(伊勢崎賢治著)の本の紹介をしたことがありました。国際紛争の地に乗り込んで平和的解決と復興を目的としたNPO活動で活躍、体験された方の著書だったのですが、規模こそ違え今回の「広島ドッグパーク」に通じるものがあります。

今回は事件として取り上げられ、世論を巻き起こし、大勢の人たちの声を後ろ盾に事を解決するのですが、その世論さえも、その多くは、軽く考えている人、反対に深刻に考えすぎる人、他に責任を求めて声を上げる人、その他さまざまなのです。

そして実際に行動を起こすとなると、ボランティア経験の不足からくる現実とのギャップ、その中での意思統一、そして個々の理解度の違いや予定通り進まぬ救援作業とそれに伴う疲労。いらだち。

ニュースの受け売りから発生した単純な正義感は、純粋が故にさまざまな軋轢を生み出します。

今回の件に関してわたしの結論はこうです。400頭以上のワンちゃんが救われたことは事実です。大勢の国民が同情と関心を持ったことも事実です。そのきっかけをつくったのがアークエンジェルだったのも事実です。

上に述べた事実と、今起きている疑惑とを混同して議論する世論に危惧します。
仮に不純な動機を持って始まった救犬活動だったとしたら、それはそれで責任追及するなり、別の問題として解決すれば良いと思います。もしそうでなかったときの傷の深さや反動の怖さも感じます。

今回の件はわたし自身に、たくさんの教訓を与えてくれました。内容こそ違え、政治ブロガーたちが目指している目標への道のりは、同じような問題と困難を抱えていると思います。それらを深く洞察して進まないと、形ある成果を生み出さないと思います。

「広島ドッグパーク」で救い出されたワンちゃんたちは事実であり、そうでなければならない国民の姿でもあるわけですから。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 16:44 | Comment(0) | TrackBack(4) | 社会

2006年11月27日

プロポーズの日を信じて

hiranuma-2.gifとうとう郵政造反組は踏み絵を踏んでしまいましたね。他人事ながら民間でいえば同族会社での経営者一族の主導権争いを見る思いですね。わずか11人のことですけれど、その陰に大勢の不満分子はいるはずですから。

反自民の立場でいえば、どんどん醜態をさらしてくれれば何もいうことはありません。偉い先生方がどれだけ志が低いかを、身を持って国民に示してくれるなんて願ったりかなったりです。次期参院選への危機感がそうさせたのでしょうか。

小泉さんが9/11で成功したからといって二番煎じをやるなんて身の程知らず、あまりにも役者が違います。これで一番喜んでいるのは野党ではなくて公明党でしょう。

しょせん自民党は沈みかけた老船です。それをリニューアルイメージで民意を取りつけた小泉政権だったのですが、このたびの措置は古い革袋に新しい酒を盛るがごとく無理があります。あの狡猾な自民党はどこへいってしまったのでしょう。

内心は嫌で嫌でたまらないあの公明党の力をまた借りなければならない状況に自らを追い込んでいます。沖縄知事選で見せつけられたあの力がなければ野党に成り下がるのはもはや避けられそうにありません。

なりふり構わないいまの自民党の姿に哀れさえ感じられます。

もう民意がこちらを向いてくれる日も間近です。

だが、思い焦がれていた彼(国民)がやっと、こちらを振り向いてくれたときに、彼の視線を釘付けにするだけの魅力を発揮する努力をしてますか。民主党さん。せめてその日まで磨きましょう。身も心も。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 22:33 | Comment(1) | TrackBack(21) | 政治

2006年11月23日

わかりやすい質疑、わかりにくい応答 (訂正版)

きのうの夕方、気の向くままさんのブログが更新したとRSSリーダーがシグナルを送ってきたので、気の向くままさんのブログまでちょっとお出かけしてみました。

参議院質疑応答(教育基本法)の国会審議というタイトルで、いま見たテレビ中継のことを記事で書かれてました。本文のメッセージが活きていて興味をそそられ、さっそくインターネットの参院中継にクリックしてみたのですが、まだ収録中だったので、記事に書かれてあった連舫さん(民主党)の場面は収録完了まで待たないと見れないので改めて後ほど見ることにしました。

renhou2.gif夜半になって手が空いたので、さっそくクリックしてビデオライブラリーを開いてみました。
7時間27分に及ぶ長いビデオなので前半はすっ飛ばし、連舫さんの質疑応答場面が出てくるところまで画面を先送りしました。連舫さんのことは、どこかのアナウンサーだったこと位しか知りません。そういう意味では先入観を持たないで冷静に見ることが出来ました。

彼女の質疑の鋭いこと、すごい。。あの老練な閣僚たちがタジタジなのです。彼女の言葉は聞いていても簡単明瞭でわかりやすいのです。それでいて的を外さないから政治用語オンリーのわかりにくい答弁しかできない大臣や官僚たちがまるでバカみたいにみえます。それも意味不明瞭な答弁をオウムのように繰り返すしかない姿はおおいに笑えました。

安倍さんなんかビビってしまって、指名されても腰が引けて椅子から立ち上がれないのです。とっさに議長が代わりの大臣を指名して、その場を取り繕うとしたのですが彼女はそれを許さない雰囲気です。しかたがなく大臣の後に改めて答弁するということで納得させたのですが後出し答弁は楽ですよね。先に述べた大臣の言葉をなぞればいいだけなんだもの。こんなのあり〜?

いよいよ質疑応答は佳境に入ってきて、もうこうなると一方的に彼女の独壇場。質問内容もしっかりと裏付けがとってあるからブレないのです。これと対照的に政府側はまともに答えられないのです。安倍さんなんかバカのひとつ覚えみたいに「ただいま調査中なのでわかり次第しかるべき処置をとりたいとおもいます」というようなことを繰り返すばかりです。

このやりとりを見ていて気がついたのは、連舫さんのわかりやすい言葉に対して、政治用語しか話せない大臣たちの言葉との違いです。これが国民に政治は難しいもの、わかりにくいものという印象をうえつけているのだと気がつきました。

これは与党側に限った話ではないのです。政治に関わるすべての議員に言えることです。彼らは日常用語で話すことはプライドが許せないのでしょうか。それとも議員になるとそういう言葉しか使ってはいけないという決まり事でもあるのでしょうか。

もうひとつ気がついたことは答弁の言葉の語尾が決して断定的なかたちで締めくくっていないことです。これは後になって答弁に矛盾が出たときにどうでも逃げられるように言葉の解釈に巾を持たせているとしかおもえないのです。そのあいまいさが国民に政治家は言い逃れや嘘を言う人種だと先入観を持たせてしまうのでしょう。

小泉さんがいつもワンフレーズでわかりやすかったのと、言葉の語尾はいつも「・・します」「・・です」と断定的な言葉で締めくくっていたことを思い出しました。ひとははっきりと日常用語で言い切る言葉には耳にも心地よく頼もしく正直に感じるのです。だから若い人たちに人気があったのかもしれません。

きのう、らんきーブログさんも記事で書かれていましたが、国民の位置まで立ち位置を下げることはプライド以前のことです。それは決して恥ずかしいことではないのです。わかりやすい政治を心がけることこそ、国民の期待に応える真の政治家だとおもうのですがどうでしょうか。

(おまけ)
きのうの楽しい連舫さんの質疑の様子を見たい方はコチラ ↓
2006年11月22日  教育基本法に関する特別委員会(参議院)・ビデオライブラリー
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
録画時間が長いので先送り(早送り)して見てください。ニュースでやっていたタウンミーティング会場経費でのエレベーターボタン2回押しただけで日当1万5千円のやりとりも見れますよ。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 18:26 | Comment(3) | TrackBack(7) | 政治

2006年11月20日

沖縄知事選を終えて

沖縄県知事選、野党連合が与党連合に敗北したという結果に終わってしまいました。
この結果に対してみなさんはどう受け止めていらっしゃるのでしょう。

負けた負けたと悔しがる前に、冷静な分析が必要です。感情論だけでは選挙は勝てません。その原因をあらぬほうに向けて、それをいってどうなるというのですか。前回のブログでも書きましたが、主権者は国民にあるのです。結果的には民意を受け止められなかったということでしょう。これが実社会だったらどうです。ひとが良いだけで世間を生き残っていけますか。

okinawachiji.gif選挙結果の分析をわたしなりにしてみようと思います。基地問題を前面に出して支持を訴えた糸数さんは、その件に関しては圧倒的に支持を受けています(84パーセント)。ただし、地元経済の活性化に関しては仲井氏のほうが糸数さんを倍以上の支持を取りつけています(67パーセント)。
このグラフは何を投票の決め手にしたのかという投票所の出口調査なので支持率と得票数はつながりませんのであしからず。

グラフには書きませんでしたけれど、今回の選挙は政党で選んだひとは32パーセントで、過半数の有権者(60パーセント)は党よりも人で選んでいます。与野党双方とも連合なのでこれは無視してよいでしょう。
各党別支持者はいずれも自分の党が推薦した候補者を80〜90パーセントの人が投票しています。

無党派層がどちらに入れたのかがいちばん関心のあるところですが糸数さんに63パーセント、仲井氏に35パーセントなので、糸数さんはよく健闘していると思います。

日本でいちばん失業率の高い沖縄県の県民にとっては、基地問題の将来よりも目の前の明日のコメ代でしょう。これは基地問題に関心がないのではなく、それ以上に日々の暮らしが切実な関心事だということです。

仲井氏はその辺を基地問題も含みを持たせながら、実生活につながる地元活性化の政策を前面に出してきました。いわば作戦勝ちです。

話しはとびますが、同日におこなわれた福岡市長選で野党推薦の候補が与党現職市長に勝ったのも、ある意味では未来のオリンピック誘致構想よりも、目の前の市の赤字財政をどうするかというほうが市民にとって切実な問題だったのだと思います。

戦う背景や生活環境の違いこそあれ、どちらにも共通することは住民にとって遠大なビジョンよりも関心は現実的な目の前の問題でしょう。

バカのひとつ覚えみたいに何度も言いますが、民意を汲み取ってこそ勝利の道は近づくのです。押しつけの夢よりも明日の現実です。
冷静な一部の政治ブロガーの方たちは、落ち着いた意見を述べられています。負ける悔しさで落ち込むのではなく、それをバネとして次の戦いに挑むことこそ真の戦い方だと思います。

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posted by ゲゲゲのイチロー at 20:34 | Comment(1) | TrackBack(14) | 政治

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